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2019年7月21日日曜日

雑草取り

今日は朝一から、当社売主の建売住宅のご案内。

約束の時間より少し早く現場に着いたら
土地に生える雑草が気になります。

2週間前にむしったばかりなのですが・・・
この時期は、1年で一番雑草がのびますね。

まだ、10分ぐらいあるので
早々、草むしりをすることにしました。

ここで、草むしりあるある発動。

ところどころにある
目立つ大きいものだけをむしります。
5分ほどで完了。

「きれいになっただろう!?」

少し離れ、遠くから見てみます。
でも、全体的に見てみると
さっき、目につかなかった雑草が
やたらと主張してきます。

大きな雑草に隠れていた中ぐらいの雑草です。
「あれ?こんなにあったっけ?」

そこで、しぶしぶもう一度雑草をむしることに。

大体むしった後、
再度、遠くからチェックすると
今度は、大中の雑草が無くなったことにより
それまで目につかなかった
『小さな雑草』がやたらと目立つ。

よって、泣く泣くもう一度、雑草を摘まみます。

最初は全く目につかなかった小さい雑草。
それらをせっせと引き抜きながら・・・

「ああ、これって世の中のすべてに当てはまるな~」

と、妙に感心してしまいました。

人は、大きいものに慣れてしまうと
それよりも小さいものは意識できなくなるんです。
さらにそれより小さいものは、もう目にすら入らない。

つまり・・・
悪いことが目の前で立て続けに起きたとしても
一番大きいものに目をふさいでしまったら
その周辺に派生している小さな悪事には
一切、見えなくなってしまう。

逆に良い事でも
大きい出来事に感動しなければ
それよりも小さい良事に気付けなくなってしまう。

雑草と同じで
悪いことも大小しっかりと解決していけば
些細な悪事もしっかりと目に留まり
良事も大小問わず感動をしていれば
小さな幸せを日々、感じることが出来るのです。

大きい雑草があり続けれると
小さな雑草に気が付かないというのは
完全な錯覚です。

最初から目を凝らして
近づいてよくよく観察すれば
どれだけ雑草が生えているかは
正確に解るのです。

でも、雑草の量が多くなれば多くなるほど
また、土地が広くなれば広くなるほど
全体像をぼんやりと見てしまうので
大きなものしか目が行かず
その俯瞰でとらえた景色が全てだと
錯覚をしてしまうのですね。

たかが雑草ムシりで
現代社会の様々な問題の根源と
人間が「愚か」と言われる本質の部分を見たようで

とてもドキッとした、日曜日の朝となりました。

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