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2020年7月31日金曜日

直観力

希代の天才といわれる
将棋の羽生善治永世名人。

数々の名言がありますが
私が好きなのは、この3つです。

①直感の七割は正しい。
②長い時間考えた手がうまくいくケースは非常に少ない。
③直感には邪念の入りようがない。
長く考えるというのは、道に迷っている状態であり
「勝ちたい」とか、余計な思考が入ってくる。
いくら考えても分からない時は
最初に戻って直感にゆだねるのが良い。

つまり・・・
羽生さんは、直感を信じろと仰っています。

不動産売買でも
「直感」と「熟考」がよく対決します。

週末、売地や建売住宅をご案内され
「この物件が良い!」
と直感したお客様。
その日に購入申し込みをされます。

契約は、次の週末になる事が多く
1週間後に契約締結となります。

その間、『熟考タイム』となります。
人は、契約日が近づて来るにつれ
「自分の直感は正しかったのかな?」
と、必ず不安になってきます。

そこで、良くあるのが・・・
第三者の助言を求めるケースです。
その多くは両親だったり親族だったり。
又は、設計の仕事をしている知人や
不動産取引士の免許を持っている友人など
多岐にわたります。

意見を求められた側は
重い「責任」が生まれます。
なんていったって相談合相手の
『一生に一度の買い物』ですから。(汗)

おのずと肯定的な意見は少なくなり
「もう少し考えた方が良いのでは?」
と、たしなめる人の方が大半です。

専門的な資格をもっている人は
一生懸命、物件の粗探しをします。

「日当たりが少し悪くない?」
「収納が少なくない?」
「隣の家が気になる。」

時には・・・

「方角が良くない。」」
「風水的に良くない。」
「家相が良くない。」

などと、占い的な指摘をされる人もいます。

こうなると・・・
お客様は自分が最初に感じた
「この物件は良い!」という
直感が揺らいできます。(苦笑)

ちなみに私、過去が友人から
「某大手の建売住宅を買おうと思っているのだけれど」
と相談を受けた時
その電話だけで「辞めておけ」と話しました。(^^;)

パワービルダー系の建売住宅を買ったら
その後の資産価値がどうなるのかを含め
デメリットを散々、話しました。
ただ、彼はそれを理解したうえで
逆に自分の直感に立ち戻り
当社の仲介で、その物件を買いました。

個人的に・・・
人は、直感がすべてだと思っています。

羽生永世名人が仰る通り、
直感には邪念の入りようがないのです。
長く考えれば考えるほど様々な邪念に侵され
決断できなくなるのが人間です。

彼は、こんな名言も残しています。

④毎回石橋を叩いていたら勢いも流れも絶対つかめない。
⑤漠然とした不安は、立ち止まらないことで払拭される。

将棋と不動産業界は全然異なりますが
人間がやっていることなので本質は同じです。

この仕事をしていると・・・
「もう2年も探しているけど見つからない。」
「何度か良い物件があったけど、買えなかった。」
「3度も2番手となって、先を越された。」
というお客様に多くお会いします。

そんな皆さんにこの場を借りて
羽生永世名人の上記5つの名言の他に
こんな彼の言葉を贈ります。

「まだその時期じゃない」「環境が整っていない」と
リスクばかり強調する人がいるが
環境が整っていないことは
逆説的に言えば、非常にいい環境だと言える。
また、山ほどある情報から
自分に必要な情報を得るには
「選ぶ」より「いかに捨てるか」の方が重要。

今、新時代の天才として
藤井聡太さんが世間をにぎわしていますが
藤井・羽生以前に
神武以来の天才といわれた加藤一二三は
色紙に「直感精読」と書く事が有名です。

直感の手と後から熟考中で浮かんできた手
甲乙つけがたい時はどうするか。
その時、必ず最初に閃いた直感の手を選択する。
その選択が、幼少から天才と言われた
彼を成功に導いたそうです。

後から考えたものは
その考えるプロセスに惚れてしまう傾向が
人間にはあるそうです。

だから、時間をかけるのは
最初の直感をよく精読することに費やす。
他の選択肢を一生懸命考えるのではなく
直感を裏づけることに使うのだと。

なるほど。
凡人は、天才の言葉に学ぶべし。
ですね。

私は、天才とは
直感に素直な人だと考えます。
そして、直感とは・・・
第六感そのものだと考えます。

人間に唯一残っている野生のチカラ。
地震の前触れで
動物が逃げだしたり騒いだり
イルカが砂浜に打ちあがったり
川で魚が大量に浮いて来たり
あれが、野生の第六感ですね。

現代人は、第五感でしか生きていません。
でも、昔から
「虫の知らせ」
「胸騒ぎ」
「不穏な空気」
などという言葉があるように
第六感は存在しているのです。

これらを人は
「超能力」と呼んでいるのだと
個人的に思っています。

その感覚を自分で理解しようとせず
「科学的」とかいう現代理論で
否定してしまう。

もったいないです。

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