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2019年8月1日木曜日

小学生の塾通い

先日の東京新聞「紙つぶて」にて

私の住む栃木県の片田舎にも学習塾があり
毎晩十時過ぎまで
小学生中学生たちの姿が見られる。

これほど多くの児童たちが
これほど長時間
外で遊びもせずに
勉強をしている国が
他にどれくらいあるだろうか?

それでいて・・・
子供達の学力が下がっているというのだから
こんな悲喜劇はない。
「非効率もここに極まれり」
である。

子供たちが塾に通うのは
つまるところは「いい学校」に入るためなのだろう。
しかし「いい学校」に入れるのは
少数の「できる子」だけだ。

日本の教育は・・・
膨大な「負け組」を作り出すシステムになっている。

学校の勉強で
挫折感を覚えたことがない人など
日本人の数パーセントもいるまい。
そして思うような生活を送れない人の多くは
その理由を・・・
「勉強が出来なかったから」と考え、黙り込む。

為政者たちにとって、こんなに御しやすい国民はあるまい。
一方で「いい学校」に入れた子供たちも
やがて就職すれば
コミュニケーション能力やリーダーシップがあり
複数の言語を話す外国人の同僚たちに
圧倒されることになるだろう。

子供たちが自分に適したペースで
様々なことを学べるようにすることが絶対に必要だ。

習得が早いか遅いかは、大した問題ではない。
教育における競争は、ゲーム程度で十分だ。

学習が遅れがちな子供を
「落ちこぼれ」
などと呼ぶのは、差別なのである。

三田文学副編集長の粂川麻里生さんのコラムでした。

私も毎週木曜日、空手の稽古に行っております。
仕事を早く切り上げ、午後8時から空手の稽古。
場所は、辻堂駅前のビルなのですが
稽古が終わり、着替えて出るのは午後10時半。
その帰りのエレベーターには・・・
同じビルに入る塾で勉強を終えた
多くの小学生や中学生が乗り合わせます。

毎回毎回思うんです。

こんな夜遅くに小学生が・・・
雑居ビルのエレベーターに乗るって
危険だよね。
子供が夜遅く一人で街を歩いている国って
世界で日本だけじゃないか?

それに学校終わってから今まで勉強してるなんて
この子たち、大丈夫かい?

毎週そのエレベーターで出くわす小学生たちを見て
私も粂川(くめかわ)さんが仰ることと
全く同じことを思っていました。

何度も紹介していますが・・・
また、宮崎駿さんの金言をご紹介します。

大人になると人間は不自由になるけど
子供の頃はずっと自由だという
モノの考え方があったと思うんですよね。

けど、いつのまにか子供時代というのは
大人の時代のための投資の時期だというふうになってしまったんです。
その先行投資が、今ことごとく裏目に出てしまってるんです。

今、日本はいろいろな問題が有りますが
子供たちのことが
多分僕らの一番の大きな失敗じゃないかな。
大失敗ですよ。はっきり。

子供時代というのは、大人になるためにあるんじゃない。
子供のときにしか味わえないものを味わうためにあるんだと思う。

子供時代の5分間の体験というのは
大人の1年間の体験よりも勝るんですよ。
トラウマもその時にできる訳でね。

個性とかなんとか言いますけど
個性なんてその子供時代の経験から育つもんです。
はじめから個性がある訳ではないんです。

ですから個性を伸ばすとかなんとかいろいろ言いますけど
そういうのは止めて子供を一回大人の監視下から解放する。
そうすれば遊び場がなくても、子供は遊びます。

それから僕らの仕事もそうですけど
アニメーションとかゲームとか
金を稼ぐ為に子供たちを相手にしている商売を
法的に規制するしかないと思うんです。

子供時代に先行投資すれば
その後で大変な配当になって戻ってくるというのは
錯覚でしょうね。

これは自分自身がつまらない人生を送っている親の
勝手な幻想じゃないかと僕は思うんですけども。

自分の周りにいる子供たちと夏
山小屋で付き合ったりして
「良い子だなぁ~。」と思もった子が
小学校2年生になった途端
『九九』が出来なくて悩んでるって聞かされるんです。

そうすると僕は頭に血が上るんです。

「なんでこんな幼い子に九九を教えなきゃいけないんだ。」
って。何年か経てばすぐ覚えられますよ。

なんでこんな小さな魂に
「覚えなければ、お前は一人前の大人になれないんだ。」
「覚えなければ、一人前の子供じゃないんだ。」
みたいに脅すんだろうって。

その子の小学校二年生の
もっと豊に暮らせるはずの時間を
それで奪ってしまってるんだと思うんですね。

まず、つまらない校長先生の話しを聞くために
なぜ朝礼をするのか?
人前で話をしたい人の為に
朝礼があるんだと僕は思うんですけど…

子供の頃、一体何を覚えなきゃいけないということですよね。
そしたら読み書きとそろばんですよね。
それから一定の社会常識です。

それをまず義務教育の中でわかる様にしてやればそれでいいんだ。
という考え方に戻せば、子供たちはずっと楽になるんです。

とにかく、ドンドン肥やしをやって
水をかけて陽にさらせば
いくらでも植物は伸びるんだということは
嘘だということですね。

人間という生き物は
(精神的に)とても壊れやすく
もっと不思議な力を持っていて
もう少し野放しにしてあげた方が
実はちゃんと育つんだという当たり前の事にね
気が付けば良いんです。

一つの楽器と
一つのスポーツと
母国語以外の一つの言葉

私も45歳を過ぎて
子供のころに身に着ける必要なものは
この3つだと痛感しています。

母国以外にどこか一つ、他の国に興味を示す。
その国の言葉を学ぶ。

それが中国語でもロシア語でも何でもよい。

この小さな国の中で
さらに小さな地域に限定された
アホみたいな大人の価値観と常識に
縛られた教育をするのは

子供をその極小の地域と価値観に
縛り上げるようなものだと、思うのです。

親としての大人の役目は
「色々なものを見せてあげる」ことかな。

すでに子供の目指す将来像が決まっていて
その目標を達成するための勉強でない限り
塾に毎日のように缶詰めにするなんて
個人的にはありえないのです。(^^;)

良い学校に入れば
将来が明るく開かれるなんて
錯覚です。

日本で問題化するニートの多くが
高学歴だという現実を見れば
簡単にわかりそうだと思うのですが・・・


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