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2020年12月11日金曜日

村田諒太

 ボクシングの
WBAミドル級チャンピオン
村田諒太が
東京新聞にこんなコラムを
寄与していました。(以下抜粋)

先日、読んだ本の中で
人間は合理的な生き物ではなく
「合理化」する生き物だ
という文章に感銘を受けた。

今の世の中は、合理化さえすれば
何でも許されてしまうという
危うさを持ち合わせている。

例えば・・・
「この人は悪いことをした」
などという
世間的評価さえ付けてしまえば
徹底的に攻撃することも
『悪い人だから当たり前』
という訳の分からない
合理化の上に成り立ってしまう。
逆に・・・
社会にとって到底有利だと思えない
人の行いや出来事においても
合理化さえあれば
なんでも許されてしまう。

人間の合理化などというものは
ことごとく無意味なものだ。

本質的には
「自分が上に立ちたい」
という事から成り立ち
その手段として
他者を攻撃するという
欲求や感情が根底にある。

それを合理化し
もっというと自分に都合よく
肯定し弁護して
大義名分を掲げる。

自己肯定・自己弁護を
合理化さえできれば
人だって殺すし
戦争を起こす。
それを無くすためには
肯定感や
合理性と言うのは
物凄く厄介なものとなる。

「なぜボクシングをしているの?」

と、お決まりのように聞かれる。
その答えを
自分を肯定するような
合理化した言葉ではなく
感情的で
うその無い言葉で
返さないと人の心には響かない。

理由なんて・・・
生活をする上で
ボクシングしかないからさ。

その中で
「出会えた尊敬できる人」
「気付き」
「絶望」
そんなものも含めて
この道が今の自分にはベストなんだ。

合理化の悪い面ばかりを
言ってきたが
しっかり考えて
自分に嘘さえつかなければ
合理化は
より良い道を選べる
ツールになる。

合理化する前に
「本当に人のためになるか」
という前提を置き
生きられる人間が
立派な人間なのだと思う。

来年はどんな道が待っているか?
どんな気付きがあるか?
そして、人の役に立つには
なにができるか?
来年はワクワクする年にしたい。

そんな合理化(小言)を言いながら
年を越したいと思う。

以上

面白い。
ちょっと噛みしめて
何度も読んでみたいと思った。

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