多くのご意見をいただきましたが
S様の奥様と
道端でバッタリお会いしました。
その直後・・・
そこで、こんなCMを見ました。
強制CMを最後まで見たのは
これほどまでに簡単に達成し
ゆる~い内容で行きます。
m(_ _)m
2009年1月にスタートした
このブログも
あと数日で12年目を迎えます。
いままで自分の考えや想いを
自分が思うがまま
だれに制限されることなく
自由に
書き列ねてきました。
ですが昨日
他意により
記事を削除することと
相成りました。
長く続けることで
多くの方にご覧いただくようになり
とても嬉しいのですが
その反面
それが足枷になり
監視されるがごとく
自由が奪われるのであれば
なにも無理をして続ける意味は
ありません。
また、このブログが
争い事の起因になるのは
本意ではありません。
よって本ブログの更新は
今日で最後にしたいと思います。
長いようで
短い12年でしたが
ご覧いただきました皆様
有り難うございました。
心より感謝申し上げます。
また、お会いするたび
「ブログ見てるよ~」
「ブログ面白いね~」
とおっしゃっていただいた方々
その都度元気をもらいました。
有り難うございました。
ブログは今日で最後となりますが
私は変わらず
自由に走り続けます。
会社のユーチューブサイトを開設し
「動画をドンドン掲載していきます!」
と意気込んで
このブログで発表しておきながら
全く動画掲載が出来ていません。
来年は動画編集を頑張って参ります。
(つもりです)
つきましては
引き続き、当社関連のWebサイトを
ご覧くださいますよう
何卒、よろしくお願い申し上げます。
有難うございました。
押忍!!
最近、TVの報道において
首をかしげるようなものが
多発しているように思います。
先日目にしたのが
「熱海の不動産加熱」
というものです。
報道によると・・・
熱海の分譲マンションや
中古マンション
一戸建てや別荘地にいたるまで
空前絶後の大人気で
毎日、不動産会社の電話が
鳴りやまないそうです。
・・・
・・・
・・・
私、近県の不動産業者ですが
そんな話・・・
正直、聞いたことがありません。
逆に今年に入り
インバウンド需要が無くなり
その需要を見込んだ分譲マンションが
壊滅的な状況にあるという
話を他方から聞きます。
TV番組の中では
テレワーク需要で
首都圏からの移住者が多く
その人気に合わせ
市内の商店街は活況。
新規店舗が次々にOPENし
魅力的な街として
紹介されていました。
私の記憶では・・・
熱海市では
人口が減り続け
観光地を外れると
過疎化が進み
空き家数も大幅に増加していた
と思われます。
また、観光地でも
シャッターを下ろした店が
まだまだ多く存在し
廃墟になったホテルも目立ち
街の刷新が叫ばれる中
外国人観光客が大挙して押し寄せ
風紀が乱れるなど
様々な問題を抱えていたと
認識しています。
報道が確かならば・・・
コロナ渦の中
これら問題を解決し
熱海市が目指していた
理想的な発展を遂げたことになります。
近県の不動産業者として
かなり気になるので
この報道が本当かどうか
お正月に
熱海に行ってみようと思います。
ただ・・・
これら報道を見て
「熱海の分譲マンションを見に行こう」
と思うのは良いですが
この報道を鵜呑みにして
良くリサーチもせず
不動産を購入するのは危険です。
現在、売りに出されている
分譲マンションは
コロナ騒動以前に計画された
価格となっています。
つまり・・・
「オリンピック需要で売れまくるぞ」
という設計価格なのです。
コロナ騒動でどこも工事が遅れ
完成時期が大きくズレ込み
コストも予定以上に掛かっているでしょう。
よって、今・・・
デベロッパーも分譲業者も
値引きが出来ない状態でありながら
一刻も早く売りたくて仕方ないのです。
そこに
このコロナの強烈な第三波が到来。
普通に考えたら
高値で売れる様相では
まるで無いのですが・・・
都心も地方も
「不動産が高値で売れている」
という大報道。
誰がどう考えても「?」ですが
その報道を見て
11月の新築分譲マンションの内覧数は
うなぎのぼりなのだとか。(苦笑)
正直言って・・・
この状況下で
高額の分譲マンションを買うのは
「飛んで火に入る夏の虫」です。(汗)
報道が全て正しい訳ではありません。
特に最近・・・
企業側にたった番組作りが
とっても色濃いな~と
思うのです。
不動産を購入するときは
個人でしっかりとした
市場調査をすることを
おススメします。
企業広告で成り立つ
メディアやアナリストを基準に
不動産売買や不動産投資を行うと
痛い目にあうことが多いです。
今に始まった事ではありませんが
注意してください。
「合理化」という言葉を
ウィキペディアで
調べてみました。
私の認識では・・・
ウィキペディアにある
企業等の団体が
設備・施設・技術を刷新して
それらに合わせ管理体制
組織を再編成すること。
というものが
合理化の持つ言葉のイメージ
そのものでした。
でも・・・
どうやら心理学的な
別の意味があるんですね。
村田諒太の新聞記事を通して
初めて知りました。(無恥だ~)
心理学における合理化とは
言い訳とも知られ
否認の一種であり
防衛機制のひとつである。
①満たされなかった欲求に対して
理論化して考えることにより
自分を納得させること。
②問題とされている行動・感情について
その事実を述べることを避けるために
一見すると合理的で論理的な
正当化をして述べること。
あるいはもっともらしい手段により
意図的に許容できるものにすること。
③自分にとって都合の悪い現実を
事実と異なる理由で
隠蔽・正当化するなど
心理的自己防衛を図ること。
例えば・・・
大学入試に失敗した者が
自分の学力が不足していたことに目を背け
「あの大学はもともと学風が嫌いだった。」
と述べるなど。
事実の後
行動を正当化しようとする試みとして
一見すると問題なく
論理的なものを構築しようと
合理化が行われる。
このプロセスは
完全に意識的に行われていることもあれば
ほとんど無意識的に
行われていることもある。
ほほ~。
なるほど~。(□゜;)
ということは・・・
今の政治は、物凄く「合理化」された
ものという事なんですね。
安倍さんは
「嘘の王子様」ではなくて
「合理化」の権化だったのか。
ネット社会が
一人一人のその合理化で
アメリカ大統領の人選をも
左右する昨今。
この世の中は
極限まで「合理化」されてしまった
人たちの塊なのですね。(汗)
そこに宗教が合わさり
世界が混乱しているのが
現代社会です。
宗教が恣意的に使われると
「神のお導き」
という合理化により
個人の善悪の判断が
一切失われてしまい
全ての行いが
正当化されてしまう。
安倍総理夫人は
たびたび・・・
「神から使命を与えられる」
「神さまは私を使ってくださっている」
「啓示が目の前に降りてくる」
というような発言をしています。
神様の啓示を受けたとなれば
どんなに嘘を付こうが
どんなに人を貶めようが
良心の呵責に苛まれることは無く
自己嫌悪することも無い。
だから・・・
そのご主人は
あれだけ嘘を付いても
自己崩壊しなかったのだと
腑に落ちる訳です。
村田諒太さんが仰ることを
もう一度整理します。
合理化は、決して悪い事ではない。
自己肯定や自己弁護は
誰もが行っている事だ。
ただ、己でその合理化をする前に
「本当に人のためになるか」
という前提を置き
考え生きられる人が
立派な人間なのだと思う。
凄いな。
達観してますね。
村田チャンピオン。
次戦、頑張ってください!!
ボクシングの
WBAミドル級チャンピオン
村田諒太が
東京新聞にこんなコラムを
寄与していました。(以下抜粋)
先日、読んだ本の中で
人間は合理的な生き物ではなく
「合理化」する生き物だ
という文章に感銘を受けた。
今の世の中は、合理化さえすれば
何でも許されてしまうという
危うさを持ち合わせている。
例えば・・・
「この人は悪いことをした」
などという
世間的評価さえ付けてしまえば
徹底的に攻撃することも
『悪い人だから当たり前』
という訳の分からない
合理化の上に成り立ってしまう。
逆に・・・
社会にとって到底有利だと思えない
人の行いや出来事においても
合理化さえあれば
なんでも許されてしまう。
人間の合理化などというものは
ことごとく無意味なものだ。
本質的には
「自分が上に立ちたい」
という事から成り立ち
その手段として
他者を攻撃するという
欲求や感情が根底にある。
それを合理化し
もっというと自分に都合よく
肯定し弁護して
大義名分を掲げる。
自己肯定・自己弁護を
合理化さえできれば
人だって殺すし
戦争を起こす。
それを無くすためには
肯定感や
合理性と言うのは
物凄く厄介なものとなる。
「なぜボクシングをしているの?」
と、お決まりのように聞かれる。
その答えを
自分を肯定するような
合理化した言葉ではなく
感情的で
うその無い言葉で
返さないと人の心には響かない。
理由なんて・・・
生活をする上で
ボクシングしかないからさ。
その中で
「出会えた尊敬できる人」
「気付き」
「絶望」
そんなものも含めて
この道が今の自分にはベストなんだ。
合理化の悪い面ばかりを
言ってきたが
しっかり考えて
自分に嘘さえつかなければ
合理化は
より良い道を選べる
ツールになる。
合理化する前に
「本当に人のためになるか」
という前提を置き
生きられる人間が
立派な人間なのだと思う。
来年はどんな道が待っているか?
どんな気付きがあるか?
そして、人の役に立つには
なにができるか?
来年はワクワクする年にしたい。
そんな合理化(小言)を言いながら
年を越したいと思う。
以上
面白い。
ちょっと噛みしめて
何度も読んでみたいと思った。
今日のニュースにて
凄い記事が出ていました。
見出しは
「同居の孤独死538人」
というものです。(以下抜粋)
家族と同居していたのに
自宅で死亡しても
すぐに発見されない
「同居の孤独死」が
2017~19年の3年間に
東京23区と大阪市だけで
計538人に上ったことが
毎日新聞の集計で判明した。
大阪市では
同居者が認知症のため
発見が遅れたケースが
全体の3割に上った。
高齢化が進行する中
全国で同様の事例が
相次いでいるとみられ
専門家は、国や自治体が
支援を強化する必要性を
指摘している。
(以上)
なんとも凄い話ですね。
孤独死のほとんどが
一人暮らしの高齢者ですが
今、一人暮らしではなくても
孤独死をするというものです。
それほど・・・
日本において
家族という価値観が
希薄になっているのですね。
今、我々不動産業界では
この「孤独死」が
大きな問題になっています。
不動産売買において
「孤独死」物件を
とても多く扱うように
なっているからです。
関東圏では
住宅地の世代交代が起きており
ドンドンと新しくなる街の中で
若い世代は
昔のような近所付合いが皆無です。
お隣にどんな人が住んでいるか
知らないなんて当たり前。
挨拶すらしないなんて
珍しくない。
特に、マンションはは
それが顕著で
逆に居住者個々が
「我々に干渉するな」
というオーラを出しながら
生活しているような状況です。
だから・・・
お隣さんが具合が悪くても
解るわけないし
亡くなってしまっても
全く気が付かないのです。
去年、東京都内で孤独死した
65歳以上の単身世帯が
5,953人にも上ったそうです。
これは・・・
都内だけの
たった1年間の数字です。
日本全国での統計は
存在していませんが
事件性が無い孤独死は
年間4万人は越えていると
言われています。
「悲しい事態だ」
「なんともかわいそう」
という声であふれ
社会問題として
取り上げられていますが
でも・・・
日本では昔から
『自宅で最期を迎える』
という確固たる価値観が
存在します。
アンケートを取ったら
たぶん、100人中100人が
「家で死にたい」
というでしょう。
つまり、孤独死と
言われている死に方は、実は
「日本人の理想の死に方」
でもあるのです。
だから個人的には
「孤独死」という
ネガティブな表現には
大きな違和感があります。
この言葉が生まれた後
「老衰死」という言葉も
ネガティブに受け止められていて
個人的に納得いかないのです。
私もつねづね
「病院で管につながれて身動きできず、無機質な天井をみて死ぬのはヤダ」
と、自分の将来に強く願います。
だから、自分の家で
心筋梗塞などの心疾患や
脳卒中や脳梗塞・くも膜下等で
一人、死ぬのは
孤独でも何でもなく
『素敵だ』とさえ思ってしまいます。
なぜ、こんなに
ネガティブにとらえられるか?
それは、この言葉が生まれたのが
『阪神淡路大震災の後』
だったからなのと
その後、行わなければならない
「事後処理」が原因です。
一人暮らしの人が
自宅で亡くなられると
死後数日から
数か月たったあとに
発見されるケースが殆どです。
新聞を購読している方の場合は
新聞の配達員が
「ポストに溜まっている新聞」
をみて、警察に通報するケースが多く
その場合は、1週間程度で発見されます。
新聞を取っていない方は
郵便配達員が
「ポストに溜まっている郵便物」
をみて、警察に通報するケースとなりますが
その場合は、1カ月以上経過することが
多くなります。
亡くなられた方の遺骸は
魂が抜けてすぐ
土に戻ろうと腐敗していくので
家の中は
数日で惨状となります。
私も一度
ご近隣の住民から通報を受け
一人暮らしで無くなられた方の
第一発見者になったことがありますが
その時は、死後1カ月を経過しており
その惨状は20年たった今でも
忘れられません。
それら多くの住宅は
遺体を運び出して
供養した後
解体され「更地」となります。
そして、親族に相続され
殆どが相続税等の税金を払うために
売却されます。
売却をする際・・・
売主となる所有者には
『告知義務』という責任があり
事件性が無い場合でも
「過去存在した家の中で人が亡くなった」
という告知を行う必要があります。
これを怠ると
『隠れた心理的瑕疵』
とみなされ
買主は、売主に対して
契約の無効や
損害倍書を請求することが
出来るようになっています。
平成の半ばまで
我々不動産業界では
自宅で人が亡くなられても
事件性がなければ
ほとんど告知しませんでした。
ただ、ここ数年で宅建業法が
より厳しく解釈され
死後1日でもたって発見された
すべての「自宅死」は
告知案件と認識されています。
これが、ネガティブになる
大きな要因となっているのだと
個人的には思うのです。
日本全国で年間4万軒。
それを事件物件や事故物件と同じ
「心理的瑕疵」という一括りで
表現するのは、一業者として
全く納得できません。
国は、宅建業法の見直し
表現方法を考え
「告知義務」の種類を
何通りも分けをしてほしいと思います。
そして、世間では
「孤独死」という言葉を
使うのは辞めてもらい
一昔前の日本で当たり前だった
「自宅死」に一人称を加え
「一人自宅死」というような
受け入れやすい言葉で表現し
一人暮らしのご老人が
一人、自宅で永眠することに
もう少し市民権を与えてほしいと
強く強く思うのです。
「お一人様」なんて言葉が
市民権を得ている昨今。
なぜ、一人暮らしのご老人が
「寂しい」「悲惨」と考えるのか?
自由を謳歌している人も
いっぱいいると思いますよ。
当社でも、今年、数件
『一人自宅死』の物件を
買い取らせてもらっています。
その頻度は、年々多くなってきています。
そんな土地に対して
一般の皆さんには
是非、嫌な思いをしてほしくないのです。
「住んでいた人は幸せだったろうな」
「自宅で死ねて本望だったろうな」
と、プラスに感じてほしい。
そして、そんな家を
『本懐を遂げた家』
として、逆に
幸せな場所と捉えててほしいです。
実際、本当にそうだと
私は思うんだけどな~。(^^;)