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2019年3月9日土曜日

記憶のズレ

歴史学者清水透さんが東京新聞で連載中の
「インディオの村通い40年」という手記にて
こんなことをおっしゃっていました。
(※筆者は白血病で娘さんを失くされています。)

あの時の娘の表情。
あの時の娘の一言。
そんあ些細なことを巡る記憶が
僕と妻でズレることがある。

「そうかなぁ?あの時は・・・」
と僕が疑問を口にすれば
妻の心は傷付いてしまう。

逆の場合もある。

過去の記憶は
それが事実であるか否かを問わず
一人ひとりの記憶の布に
一本の糸として織り込まれ
今を生きようとする(我々の)
それぞれの心の支えとなている。

相手の記憶をそっと思いやるゆとり。
それがなければ
記憶のズレで家族に隙間風が生まれる。

次第に家族で思い出を語ることを
躊躇(ためら)うようになってしまうのである。

この記事を読んで私・・・
「夫婦のあるあるだ~。」と、笑いました。

我が家でも、ひょんなことから
子供たちと思い出話をすることがあります。
妻と出会った時の話や
息子が生まれた時の話。

でも、その中で私が語る記憶に対し
妻は・・・
「いや、それは違う。」
「私はそんなことしてない。」
と、強く言い返される事があります。

ここで、私が言い返すと
妻は、明らかに機嫌が悪くなります。

逆に、自分の記憶を否定された私は
自身を否定されたようで
やはり、気分を害します。

こんなことを繰り返してきたので
私が妻にじかに思い出話をすることは
殆どありません。

妻も同じだと思います。

でも、そのすれ違いは
我が家だけの話だけなのではなく
どこの家庭でもそうなんですね。

清水さんのコラムでそれを知って
目からうろこです。

相手の記憶を思いやる心。

なるほど。
必要ですね。

思い違いでもなく
記憶違いでもなく
その人の中に生き続けている過去なんです。

生きているのだから
姿かたちを日々、変えていくわけです。

それを否定されてしまっては
人は傷つき、その過去も死んでしまいます。

記憶を思いやる。

簡単な言葉ですが・・・
物凄く、人として勉強になりました。
ありがとうございました。(^^)

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