先日のとある定休日
妻と鎌倉市二階堂を散歩していると
普通の街の道路で
こんな場面に出くわしました。
https://www.youtube.com/watch?v=1QQ62rZ8KaQ
歩くのが遅いなーと、見てみたら
土竜ちゃんでした。
やはり、田舎ですね。
土がキレイで
ミミズや虫がいっぱいいるから
モグラもいるわけです。
ただ、見た目はとても愛くるしいですが
庭を荒らす害獣でもあります。
コイツが・・・
実は一番被害が大きいのです。(^^;)
猫が居なくて良かった。(ホッ)
先日のとある定休日
妻と鎌倉市二階堂を散歩していると
普通の街の道路で
こんな場面に出くわしました。
私が子供のころ
大きな影響を受けた漫画の一つ
少年サンデーで連載されていた
「拳児」
の中の一コマ。
東京新聞「時代を読む」の
哲学者・内山節のコラムを転載します。
(以下転載)
社会は、信頼・信用・共感といった
様々な『心情』に支えられている。
例えば・・・
戦後しばらくの間の日本を見ると
『平和』を何よりも大事なものと
考える共感の広がりがあり
自由や民主主義に対する信頼があった。
この『心情』が
戦後社会を支えたと言っても良い。
ところが・・・
高度成長期に入ると
経済発展が全てを解決するかのような
心情が生まれ
自分が勤める企業を
何よりも信頼する精神が
つくられていった。
こうして生まれたのが
かつての『企業社会』だった。
とすると・・・
今日ではどうなのだろう。
特に若い世代の人たちにとっては
企業は信頼するに値するものでは
無くなっている。
平和・自由・民主主義を
信頼しようとしても
現実にあるのは
平和が壊されていくのではないかという
『不安』であり
自由であるはずなのに
自由に生きられない社会であり
機能しない民主主義である。
信頼できるもの共感できるものが
失われていく。
そこに・・・
現在の社会があると言ってもよい。
そしてこの傾向は
新型コロナウイルス下のこの一年有余の間に
さらに拡大していった。
政府の政策や政治家たちの発言を
信頼している人が
今日では、どれだけいるのだろうか?
オリンピックと選挙の事だけを考えて
行き当たりばったりの
感染対策を繰り返すだけの政府。
コロナを自分の政治的野心の道具にするだけの
東京の都知事。
病院の経営維持しか
念頭に無いのかの如く感じさせる
医療界の「専門家」たちの発言。
ここから見えてくるのは
信頼も共感もできない社会の現実だ。
もちろん多くの人たちが
コロナ患者の治療に当たっている
医師や医療関係者たちに対しては
信頼や共感の気持ちを持っているだろう。
この現実の中で
困難に直面している生活困窮者や
飲食店をはじめとする
犠牲を強いられている人々の気持ちへの
『共感』も生まれている。
人間同士の想いへ信頼や共感はあっても
政治や社会のあり方としては
信頼も共感も出来ない現実が広がっている。
それが今の『コロナ下の社会』である。
だから多くの人が
緊急事態宣言が発せられても
自分の判断で行動している。
それは自粛疲れとか気のゆるみではなく
自粛を要求してくる政治家や専門家が
信用されていないからである。
そういう現象を展開させながら
その奥底では
戦後的理念や企業社会などの
今日の市場経済に対する
不信感が広がっている。
それがこの日本の現実なのだと
私は感じている。
私達は、『無事な社会』や
お互いに『守り合える社会』を
再創造するために
信頼と共感の世界を
つくり出していかなければ
いけないのである。
日本の伝統社会では
自然と共同体への強い信頼感があった。
自然は時に災害も起こすし
共同体は「わずらわしさ」ももたらす。
そういう事があっても
私達を守っているのは
自然と地域や
同業者の共同体だという事への信頼
その内部にある共感の輪が
社会を支えていたのである。
だが・・・
近代的な社会ではそのどちらもが崩れた。
そして、人工的に作られた
政治・経済・社会が生まれ
今それらへの信頼が一気に壊れている。
歴史は『近代がつくりだしたものの瓦解』という
大きな転換期を迎えているのかもしれない。
コロナ下の現実を見据えながら
私達はこの歴史的な課題と
向き合わなければならなくなっている。
以上
信頼・信用・共感が
今の世界を形成していて
日本の高度経済成長は
信頼の積み重ねが作り上げた。
それが今の日本では
音をたてて瓦解してしまった。
『信』とは「まこと」と読みます。
つまり嘘をつかないという事です。
社会全体の信頼回復には
『嘘』を無くすだけで済むのです。
自民党が掲げた
「日本を取り戻す」
というスローガンは
本来持ち合わせていた
日本人の美徳を
こころがけるだけで良かったのです。
日本人の美徳とは
たった2文字で表現できます。
『誠実』
又は
『実直』
たったそれだけを持ち合わせれば
メイドインジャパンは
すぐさま復活するのだと
個人的に思うのです。
今の日本企業は
日本社会が忌み嫌っていた
偽装・虚偽・粉飾・隠ぺい・手抜き
ばかりを繰り返し
今の政治は
日本人が一番嫌う
保身のための『嘘』ばかりをつく。
信頼していたはずの
社会構造の上に立つ人々が
虚偽に対する謝罪ばかりして
日々、頭を下げる。
でも、謝罪だけで誤魔化し
責任逃れに徹する様を
常に見て育った子供たち。
そんな社会の中で育った若者が
何も信じなくなり
自分の内に籠るのは誰も責められない。
でも、今のまま
若い世代にこの社会を
バトンタッチしてしまったら
もう日本の美徳は
消えて無くなってしまうでしょう。
嘘が誠になる世界。
小さな嘘に固められて
1mmも後戻りできず
巨大な嘘の塊となった日本。
それを変えられるのは
「働き世代」の我々しか居ないというのは
痛いほど解るのです。
じゃあ、どうすればよいのか?
まずは、一人一人が
誠実に生きる事こそが
はじめの一歩なんでしょうね。
昨日の東京新聞にて
前川喜平の本音のコラムを
そのまま転載します。
(以下転載)
部活動の休止で
新型コロナの感染拡大が
止められるとは
到底思えない。
大阪の学校は
3月25日~4月7日まで
春休みだった。
大阪の感染者は
その休み中も
その休み明けも
増え続けた。
学校を休みにしても
感染拡大を止める効果は
無いということだ。
いわんや
部活動だけ休止しても
その効果はほぼゼロだろう。
大阪では
修学旅行や遠足も
延期か中止にするという。
なぜ子供ばかりに
我慢を強いるのか?
プロスポーツは
観客を集めている。
スポーツジムは
営業を続けている。
子供に厳しく大人に甘いのは
どういう訳だ?
吉村知事は
「子供を感染から守る」
という。
まらばまず
大人の活動を抑制して
大人が家庭や学校に
ウイルスを持ち込まないように
するべきだ。
正当な補償のある休業要請で
大人の集まる機会を減らすとか
学校の教職員に
定期的なPCR検査を実施するとか
部活動を禁じる前に
やるべきことがあるだろう。
学校を使って
「やってる感」を出すのは
去年の一斉休校と同じ構図だ。
子供は
補償を求めないから
一円も使わずに
「やってる感」を出せる。
子供なら
選挙にもひびかない。
だから・・・
政治家には都合がいい。
感染拡大はつづき
「やってる感」
はあっという間に
消えるだろう。
後に残るのは
部活動を禁じられた
子供達の悔しい
思いだけだ。
以上
鎌倉でも去年から今年にかけ
遠足や体験合宿
修学旅行が無くなり
運動会や卒業式までが
大幅に制限され・・・
子供達の生涯残る筈だった
大事な記憶の数々が
目の前で削ぎ落されて
無くなるのを見ると
我々大人たちは
ただただ
いたたまれなくて(TT)
それが・・・
政治家どもの
保身のためで
未来の教育が
道具にされているのだとすれば
怒りを通り越して
ただただ
同じ人間として
情けない。
大臣が「すべての責任は私にある」と
土下座張りに頭を下げさせた
このキャラクター。
その名も
「トリチウム君」
なんでも、復興庁が
我々の税金を使い
電通にお金を払い
制作させたものなのだそうです。
個人的に・・・
「面白いじゃん!」
と思いました。
これを考えた官僚方は
この先進国日本が行っている
教育制度の中で
選び抜かれた秀才方です。
こんなキャラを作ったら
大騒ぎになるのは
100も承知ですよ。
これ、わざとやってますよね。(苦笑)
わざと問題をおこして
除染水が注目されるよう
仕向けているのだと
個人的に推測します。
今、日本を支えている
我々アラフィフ世代は
アニメ世代です。
つまり、この・・・
「トリチウム君」
というアンチテーゼは
ど真ん中と言えます。
是非、廃止などせず
キャラクター化を進めてほしい。
処理水に含まれるのは・・・
トリチウムだけではありません。
・炭素14君
・ストロンチウム90君
・セシウム137君
・セシウム134君
・コバルト60君
・アンチモン125君
・ルテニウム106君
・ヨウ素129君
・プルトニウム君
放射能物質には多くの仲間が居ます。
ぜひ、皆の
キャラクター化を進めて頂き
その「攻撃力」や「生命力」を
数値化してほしいです。
それにより・・・
小さな子供達も
放射能がどういうものか
より詳細に理解されることでしょう。
なんならデュエルマスターのような
カード化をして頂き