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2023年9月9日土曜日

今日は残りの人生で一番若い日

四苦八苦とは 

「生」・「老」・「病」・「死」
の苦しみと
「愛別」「怨憎」「求不」「五蘊」
の苦しみを足した
仏教用語です。

私は無宗教者ですが
四苦八苦という言葉を
良く使ってきました。
でも、その言葉の意味を
先日の東京新聞の紙面のコラムで
初めて知りました。

愛知学院大学の名誉教授で
白鳥山法持寺の住職でもある
川口高風さんの
「志いまだ老いず」です。



本にもなっているようで
末尾転載で興味が沸いた方は
読んでみてくださいませ。

四苦は

生苦/生まれることに起因する苦しみ。
老苦/老いていくことに起因する苦しみ。
病苦/病気による痛みや苦しみ。
死苦/免れることのできない死という苦しみ。

八苦は

愛別離苦/親・兄弟・妻子など愛する者と死別する苦しみ
怨憎会苦/怨み憎んでいる者に会う苦しみ
求不得苦/求める物が思うように得られない苦しみ
五蘊盛苦/五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ

五蘊(ごうん)は

「色」・「受」・「想」・「行」・「識」

蘊は

「積み蓄える」という意味を持ちます。
現代語に返還すると

色蘊(しきうん)/肉体
受蘊(じゅうん)/感覚
想蘊(そううん)/表像(想像)
行蘊(ぎょううん)/意思
識蘊(しきうん)/認識

となり
聞きなれない言葉ですが
仏教では、この五蘊で
衆生が形成されているとされています。

衆生(しゅじょう)は

命のある全てのもの

色・受・想・行・識
を簡単に例えると・・・

家を建てようとTVKハウジングに行く。(色)
色々な家を見て回る。(受)
その家での生活をイメージする。(想)
どのハウスメーカーで建てるか決める。(行)
完成後、このハウスメーカーにして良かったと思う。(識)

となります。

生き物はこのように
外的な「色」で始まり
内的な「受・想・行・識」を
連動させて
価値観を形成しているとの事。

つまり・・・
五蘊の内「色・受・想・行」までが
全部良くても「識」が悪ければ
全てが苦に変わるし
逆に・・・
「色・受・想・行」が悪くても
「識」が良くなれば
全てが楽になる。
終わり良ければすべて良しとは
よく言ったもので
識蘊は人のすべてを左右することから
「心王」ともいわれます。

また、色即是空の「色」は
この色を指します。

色即是空は

すべて形のあるものや
物質的なものは
その本質においては
みな実体がなく
「空」である

という仏教の教義で・・・
生物の価値を形成する「色」は
実態がないので
その色から成す心は
空虚だという事。

『四苦八苦』
という言葉はとても深いですね。

でも、仏教の教えは
『生まれたとたん四苦八苦』
ということになりますね。(^^;)
だから、仏様を信仰して
「祈りながら生きなさい」
という事になるのかなぁ?

以下より、記事を抜粋&転載です。
↓↓
私は三月に後期高齢者(75歳)になった
団塊の世代である。
65歳を迎えた時、高齢者の通知が届き
少し愕然したことを覚えている。
当時はまだ現職であったためか
高齢者の意識はあまり感じなかった。
しかし今回の通知は
確実に老境に入った知らせである。

事実、足腰に痛みを感じ
行動は素早くできなくなっている。

老人になれば
嫌でも死や病気を考えるようになる。
しかし大切なのは
心の老いを防ぐことであろう。
老年になって一番大事なのは
「志」と言ったのは
江戸時代の儒学者佐藤一齊である。

血気に老少ありて
志気に老少無し
老人の学を講ずるには
まさにますます志気を励まして
少壮の人に譲るべからざるべし

※少壮=若くて元気いっぱい

人間の体力から発する血気には
青年と老人で大きな違いはあるが
精神よりほとばしり出る志気には
老人と青年の間に違いはない。
だから老人が勉学をするには
まず志気を励まして
青少年の人たちに負けてはならない
と言っている。また

老人には
すなわち真に来日無し
尤も当に今日学ばずして
来日有りと謂うことなかるべし


老人にはもう取り戻す時間は無い。
今日学ばなければ
他日学ぶことは出来ない。
老人であるからこそ
一日一日を惜しんで
仕事に打ち込むことができ
一分一秒さえも
大切にできると言っている。
さらに

人は百歳能わず
只だ当に志、不朽に在るべし
志、不朽に在れば
則ち業も不朽なり


人間は百歳まで
寿命を保つことは困難だが
志だけは永遠に
朽ちないものでありたい。
志が朽ちなければ
行いも永遠に朽ちない。
と言っている。

人間の一生は「生老病死」である。
仏教ではそれを「四苦」といい
愛する人と別れる愛別離や
求めても得られない求不得などの
4つを合わせて「四苦八苦」という。

難しい問題や
容易にできないことと出会った時
思わず出てくる言葉でもある。

その中で・・・
『老苦』
が一番厳しいと
鎌倉時代の禅僧である
無住国師はいう。

老は八苦の随一
何事につけても
昔にかはりて、見苦しく
障りのみ多き中にも
人に厭い、憎まれ、笑はれ侍り


鎌倉時代でも現代でも
老人の姿は同じである。
肉体的衰えはもちろんであるが
それ以外に
疎外されることから生まれる
「孤独感」がある。

これこそ老人が一番感ずる
人生晩年の苦と言えるだろう。

人生には定年がない。
生まれた途端に
日付の書かれていない
定期券を手にするようなものだ。
そのため最期の時を
いつ迎えてもいいように
日々を悔いなく生きていきたい。

百一歳で亡くなった
禅僧の松原泰道師は

生涯現役、臨終定年

が座右の銘の一つであった。
亡くなる直前まで
日本全国、説法に飛び回り

自分は後期高齢者をとっくに終え
ただいま末期高齢者です
残された命も
秒読みの段階で
いつ消えるか分かりませんので
早々お話に入ります


と言って
会場を爆笑させた。

これから何年生きるか分からないが
志を持って
一日一日を生きたい。

私もそのうち気が付けば
八十歳、八十五歳になっていることだろう。

今日は、残りの人生で一番若い日


これは事実である。
日々精進し
後期高齢者一年生として
新しい気持ちで
前進していきたい。
志は、老い知らずである。

(以上、東京新聞5月7日紙面より)

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