東京新聞「時代を読む」の
哲学者・内山節のコラムを転載します。
(以下転載)
社会は、信頼・信用・共感といった
様々な『心情』に支えられている。
例えば・・・
戦後しばらくの間の日本を見ると
『平和』を何よりも大事なものと
考える共感の広がりがあり
自由や民主主義に対する信頼があった。
この『心情』が
戦後社会を支えたと言っても良い。
ところが・・・
高度成長期に入ると
経済発展が全てを解決するかのような
心情が生まれ
自分が勤める企業を
何よりも信頼する精神が
つくられていった。
こうして生まれたのが
かつての『企業社会』だった。
とすると・・・
今日ではどうなのだろう。
特に若い世代の人たちにとっては
企業は信頼するに値するものでは
無くなっている。
平和・自由・民主主義を
信頼しようとしても
現実にあるのは
平和が壊されていくのではないかという
『不安』であり
自由であるはずなのに
自由に生きられない社会であり
機能しない民主主義である。
信頼できるもの共感できるものが
失われていく。
そこに・・・
現在の社会があると言ってもよい。
そしてこの傾向は
新型コロナウイルス下のこの一年有余の間に
さらに拡大していった。
政府の政策や政治家たちの発言を
信頼している人が
今日では、どれだけいるのだろうか?
オリンピックと選挙の事だけを考えて
行き当たりばったりの
感染対策を繰り返すだけの政府。
コロナを自分の政治的野心の道具にするだけの
東京の都知事。
病院の経営維持しか
念頭に無いのかの如く感じさせる
医療界の「専門家」たちの発言。
ここから見えてくるのは
信頼も共感もできない社会の現実だ。
もちろん多くの人たちが
コロナ患者の治療に当たっている
医師や医療関係者たちに対しては
信頼や共感の気持ちを持っているだろう。
この現実の中で
困難に直面している生活困窮者や
飲食店をはじめとする
犠牲を強いられている人々の気持ちへの
『共感』も生まれている。
人間同士の想いへ信頼や共感はあっても
政治や社会のあり方としては
信頼も共感も出来ない現実が広がっている。
それが今の『コロナ下の社会』である。
だから多くの人が
緊急事態宣言が発せられても
自分の判断で行動している。
それは自粛疲れとか気のゆるみではなく
自粛を要求してくる政治家や専門家が
信用されていないからである。
そういう現象を展開させながら
その奥底では
戦後的理念や企業社会などの
今日の市場経済に対する
不信感が広がっている。
それがこの日本の現実なのだと
私は感じている。
私達は、『無事な社会』や
お互いに『守り合える社会』を
再創造するために
信頼と共感の世界を
つくり出していかなければ
いけないのである。
日本の伝統社会では
自然と共同体への強い信頼感があった。
自然は時に災害も起こすし
共同体は「わずらわしさ」ももたらす。
そういう事があっても
私達を守っているのは
自然と地域や
同業者の共同体だという事への信頼
その内部にある共感の輪が
社会を支えていたのである。
だが・・・
近代的な社会ではそのどちらもが崩れた。
そして、人工的に作られた
政治・経済・社会が生まれ
今それらへの信頼が一気に壊れている。
歴史は『近代がつくりだしたものの瓦解』という
大きな転換期を迎えているのかもしれない。
コロナ下の現実を見据えながら
私達はこの歴史的な課題と
向き合わなければならなくなっている。
以上
信頼・信用・共感が
今の世界を形成していて
日本の高度経済成長は
信頼の積み重ねが作り上げた。
それが今の日本では
音をたてて瓦解してしまった。
『信』とは「まこと」と読みます。
つまり嘘をつかないという事です。
社会全体の信頼回復には
『嘘』を無くすだけで済むのです。
自民党が掲げた
「日本を取り戻す」
というスローガンは
本来持ち合わせていた
日本人の美徳を
こころがけるだけで良かったのです。
日本人の美徳とは
たった2文字で表現できます。
『誠実』
又は
『実直』
たったそれだけを持ち合わせれば
メイドインジャパンは
すぐさま復活するのだと
個人的に思うのです。
今の日本企業は
日本社会が忌み嫌っていた
偽装・虚偽・粉飾・隠ぺい・手抜き
ばかりを繰り返し
今の政治は
日本人が一番嫌う
保身のための『嘘』ばかりをつく。
信頼していたはずの
社会構造の上に立つ人々が
虚偽に対する謝罪ばかりして
日々、頭を下げる。
でも、謝罪だけで誤魔化し
責任逃れに徹する様を
常に見て育った子供たち。
そんな社会の中で育った若者が
何も信じなくなり
自分の内に籠るのは誰も責められない。
でも、今のまま
若い世代にこの社会を
バトンタッチしてしまったら
もう日本の美徳は
消えて無くなってしまうでしょう。
嘘が誠になる世界。
小さな嘘に固められて
1mmも後戻りできず
巨大な嘘の塊となった日本。
それを変えられるのは
「働き世代」の我々しか居ないというのは
痛いほど解るのです。
じゃあ、どうすればよいのか?
まずは、一人一人が
誠実に生きる事こそが
はじめの一歩なんでしょうね。