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2021年7月2日金曜日

認知症


直木賞作家:桜木紫乃さんの絵本
「いつかあなたをわすれても」
が集英社から出版され
とても話題になっているそうです。
(下記、東京新聞の記事を転載します。)


八十一歳の母が認知症になって
五年前についに私の名前を忘れた。

とうとうきたか、と思いつつ
実はあまり悲しくなかったんです。

桜木さんは、そう自身の体験を振り返る。

桜木さんの母は
認知症の今が「一番幸せそう」なのだという。

母の人生は
恵まれているとはいえなかった。
父が家庭向きじゃない人だったし
嫁姑(しゅうとめ)関係でも苦労したし。

私が結婚で家を出たら
グチの相手がいなくなって
体調を崩してしまったほど。

それが今は
「毎日パパが家に帰ってくる!」
と無邪気に喜んでいる。

母は誰かを悪く言うこともなくなり
負の感情から解放された。

本当に良かったなって思うんです。

絵本も「さとちゃん」と呼ばれる
高齢女性が認知症になり
娘の名前を忘れる設定だ。

物語は、孫娘の視点から語られる。

名前を忘れられても
「悲しくないし、悲しくなかったことに驚いている。」
と母が話すのを聞いて
「なぜ?」と驚く孫娘。

物語が進むにつれ、その理由が明かされる。

さとちゃんが
みんなのことを
わすれる日は
わたしたちとのおわかれを
こわがらずに
かなしまずに
すむ日

桜木さんの母のように
さとちゃんは忘れることで
人生の荷物を
ひとつずつ下ろす

それは『お別れの準備』なのだと。

桜木さんは
最初に娘の視点で書いたら
自分と近すぎて
濃すぎるスープみたいな文章に。
孫娘の視点に変えたら
ちょうどいい距離感になったと笑う。

小説と違う執筆作業は
新人時代のように
編集者からダメ出しの連続だった。

いかにそぎ落とすかに
苦心した。
五十代半ばにして
新しい挑戦ができてよかった。

そして、桜木さん自身
母親に忘れられたという
『子としての戸惑い』
はあった。

執筆しながら
『その戸惑いをどこに落ち着けるか』
を考えたという。

桜木さんは
母娘が紡いできた歴史を
一枚の絵にたとえる。

母とその長女である私は
半世紀かけて
一緒に絵を描いてきた。

母が認知症になって
絵が完成に近づき
『余白』
がはっきりした。

母が完全に私を忘れたら
たとえ母が生きていても
絵は完成なの。

と話す。

そして同じたとえは、
桜木さんと娘にも通じる。

今・・・
私と娘が
えがいている絵は
どんな感じかなあ?

と、想像します。

桜木さんがこの絵本を通じて
自分の母に贈りたかったのは

「私を忘れていいよ。」
「忘れた方が寂しくないから。」
「そして忘れても怖くないから。」

という思いだという。

絵本で、さとちゃんの娘は、
自分の将来について
わが子にこう語りかける。

もしも
いつかあなたを
わすれる日がきても

わすれてしまうあれもこれも
みんな
なかったことでは
ないのだから
あんしんしてね

これは
たいせつな
たいせつな
わたしたちのじゅんばん

以上
※2021年5月24日の東京新聞より

「めからうろこ」です。

自分の目を覆い
視界を塞ぎ
思考を停止させていた
うろこが
ポロッと剥がれ落ちました。

なるほど!
なるほど。

なるほど・・・

ちなみに・・・
めからうろこという言葉は
『旧約聖書にある言葉』
なんだということも
このブログを書いていて
初めて知りました。

もとの語源は・・・

『The scales fall from one's eyes』

なんですって。
(余談です。)

2021年6月25日金曜日

子供の宿題への向き合い方

最近の学校は
毎日、宿題が出るのでのですね。

私の子供のころは
宿題をやったという記憶が
どう思い返しても
無いのですが・・・

我が子たちは
毎日、学校から宿題を持ち帰ってきます。

そして、それが原因で
家の中では
日々、妻の怒鳴り声が響きます。

遊びに行く前に
「宿題やってからにしな。」
ご飯を食べる前に
「宿題はやったの?」
ゲームやる前に
「いいかげん宿題やりなさい!」

そして、毎日の最後は
寝る前に・・・
「あなた宿題はやったの?」

という確認となります。

私に似ている息子は、自分で率先して
妻を恐れて、さっさとやるタイプですが

妻に似た娘は、反抗します。
徹底的に反発します。
言われても、やりません。
絶対に。

寝る前に確認され
娘「明日の朝やるからっ!」
妻「はぁ?」
娘「眠いから無理!」
妻「あれだけ言ったのに?」
娘「おやすみなさい」
妻「寝る前にやれ!」

ほぼ毎日の出来事です。(苦笑)

妻のお母さんが以前・・・
我が娘を見て
こんなことを妻に言ってました。

「あんたの子供のころソックリ!」

因果応報です。

ちなみに私は、子供達に
「宿題をやりなさい!」
とは、一度も言ったことがありません。

だって・・・
学校で6時間も我慢して
固い椅子に座り続け
小っさい机に
ただただ縮こまっていた子ですよ。

家に帰ってからも
勉強って、理不尽だと思いません?

個人的には、
メイ一杯好きな事をやればいいと思うのです。

でも、妻は先生から直接
「宿題をやってこない」
と、注意を受けたりしており
放任するわけにはいかないようで。


そこで妻は、娘が帰ってきたら
自分の目の前に座れせ
監視のもと、宿題をやらせます。
そして・・・
問題を前に長い時間考え込んでしまう娘に
答えを教えてしまいます。

それを見た私は
「教えちゃだめだよ」
と口をはさみます。
そうすると妻
「じゃあ、どうすればいいのよ!?」
と、半ギレ。

「間違えるのも勉強なんだから」
「自分が思う答えを書かせな」
「間違えを見て、先生がこの子はここが解らないのかと理解するんだから」

と、言おうものなら
娘に対してイライラを募らせた妻の火山が
私に向けて「ドンッ!」と噴火します。

だから、触らぬ神にたたりなし。
最近は見て見ぬふり。(^^;)

そんな中、東京新聞に
下記記事がありました。

まず一つ目
岡崎勝先生の「子供ってワケわからん」より

子供が遊ぶのは必然。授業中だって先生の声にかまわず遊びます。
「どうしたら授業中に集中してくれますか?」と、若い先生によく聞かれ答えに迷います。

消しゴムを小さくしたり、落書きをしたり、折り紙を折ったり、手紙を書いて回したり、ダンゴムシをペンケースに入れて飼育したり、色々と遊びます。
しかし『それが子供なんだよ!』と思います。
それでいいじゃないかとは
言いにくいですが、遊びたい気持ちを抑えることは出来ないよなと思います。

集中できない理由は色々です。
学習している内容は分っている。問題も出来るので聞くのが面倒くさい。
逆に理解できないし、聞いていても分らないという意欲低下です。
さらに課題の作業が単純で面倒臭い時もあるでしょう。
でも、一番の理由は「こんな楽しいことをやるのは今でしょ!」という事です。
遊びには集中できます。休み時間であろうと授業中であろうと、遊んでいる子供の顔はいつも輝いています。
私は、授業中でも遊んでいる子供を見ると「楽しそうだなあ」と思って力が抜け、笑ってしまいます。

遊ぶ時のドキドキワクワクは、
子供にとって何にも代えがたい大事な物なのです。
私は、しかたなく「あのさあ、そろそろノート開いてくれない?」と言うと「しょうがないなあ~。」という顔をして子供達は授業に付き合ってくれます。

以上
素晴らしい先生ですね。
こんな先生に担任になってほしい。

遊びを制してはダメ。

私は、宮崎駿さんが著書で仰るように
『子供は、遊ぶのが仕事』
というのが信念なので
小学生の内は勉強なんてしなくて良いとまで考えます。
以下、宮崎さんのお言葉

大人になると人間は不自由になるけど、子供の頃はずっと自由だというモノの考え方があったと思うんですよね。
けど、いつのまにか子供時代というのは、大人の時代のための投資の時期だというふうになってしまったんです。
その先行投資が、今ことごとく裏目に出てしまってるんです。
子供たちのことが多分僕らの一番の大きな失敗じゃないかな。
大失敗ですよ。はっきり。

子供時代というのは、大人になるためにあるんじゃなくて、子供のときにしか味わえないものを味わうためにあるんだと思う。
子供時代の5分間の体験というのは、大人の1年間の体験よりも勝るんですよ。
トラウマもその時にできる訳でね。
個性とかなんとか言いますけど、個性なんてその子供時代の経験から育つもんです。
はじめから個性がある訳ではないんです。
ですから個性を伸ばすとかなんとかいろいろ言いますけど、そういうのは止めて子供を一回大人の監視下から解放する、そうすれば遊び場がなくても子供は遊びます。

それから僕らの仕事もそうですけど、アニメーションとかゲームとか色んなことを言いながら、金を稼ぐ為に子供たちを相手にしている商売を法的に規制するしかないと思うんです。

子供時代に先行投資すれば、その後で大変な配当になって戻ってくるというのは錯覚でしょうね。これは自分自身がつまらない人生を送っている親の、勝手な幻想じゃないかと僕は思うんですけども。

自分の周りにいる子供たちと夏、山小屋で付き合ったりして「良い子だなぁ」と思もった子が、小学校2年生になった途端『九九』が出来なくて悩んでるって聞かされるんです。
そうすると僕は頭に血が上るんです。
「なんでこんな幼い子に九九を教えなきゃいけないんだ」って。
何年か経てばすぐ覚えられますよ。
なんでこんな小さな魂に「覚えなければ、お前は一人前の大人になれないんだ、一人前の子供じゃないんだ」みたいに脅すんだろうって。
その子の小学校二年生のもっと豊に暮らせるはずの時間を、それで奪ってしまってるんだと思うんですね。

まず、つまらない校長先生の話しを聞くためになぜ朝礼をするのか?
人前で話をしたい人の為に朝礼があるんだと僕は思うんですけど…

子供の頃、一体何を覚えなきゃいけないということですよね。
そしたら読み書きとそろばんですよね。
それから一定の社会常識です。
それをまず義務教育の中でわかる様にしてやればそれでいいんだ、という考え方に戻せば、子供たちはずっと楽になるんです。
とにかく、ドンドン肥やしをやって、水をかけて陽にさらせばいくらでも植物は伸びるんだということは、嘘だということですね。

人間という生き物は(精神的に)とても壊れやすく、もっと不思議な力を持っていて、もう少し野放しにしてあげた方が、実はちゃんと育つんだという当たり前の事にね、気が付けば良いんです。

以上

本当にごもっとも!
宿題なんていう、半強制的なものを
学校が出して、子供にプレッシャーを与えるのは
辞めてほしいと思うのです。

こんなことを言うと
妻に怒られますので
この辺で辞めておきます。

そして、またまた東京新聞紙面にて
数学の専門家である谷口隆さんの
とてもとても「ためになる」お話。

「3+1=5」。
子どもが足し算の問題にこう答えたら、学校の先生も保護者も、普通は「×」を付けるだろう。ところが、「○」にした数学者がいる。

神戸大大学院理学研究科教授の谷口さんだ。
当時3~4歳で、足し算を覚えて間もなかった娘に口頭で尋ね、「5」という答えを「そうだね、5だね」と○にした。正解の「4」も教えなかった。

谷口さんは「答えは一応3より大きいし、また7や8のような見当外れの数でもない。何より、それまで指を使って足し算をしていた娘が、初めて指を使わずに導いた答えだった」と振り返る。「いずれ足し算はできるようになる。指を使わずに足すという新たな一歩を大切にしたかった」

現在は小学生の長女、幼稚園児の長男の2児の親でもある谷口さん。
算数に取り組む2人の様子を観察し、誤答にも常に理由があり、部分的には正しい推論をしていることに驚いた。
こうした発見を、近著『子どもの算数、なんでそうなる?』でも紹介している。

子どもは考えた答えを誤りだと否定され、正解だけを押しつけられるうち、自分で考える意欲を失っていくという。谷口さんは「ある時点で誤った認識をしていても、月日がたち、学びが深まるにつれて、自ら誤りに気付いて修正する力が子どもにはある」と話す。

長い目で見て算数の力をつける上で大事なのは、自分の頭で考える姿勢だという。
谷口さんは「自分で考えてたどり着いた答えは、正誤にかかわらずすてきなもの。正解を教えたり、誤りを訂正したりするのに躍起になるのではなく、子どもが考えた道筋を一緒に楽しんで」と訴える。

「現時点だけを見て『この子は算数が苦手』と決めつけたり、口にしたりするのは避けてほしい」とも。
心身の発達と同じように、算数の学び方や進度には個人差がある。
「その子が自分なりのペースと関心の持ち方で学んでいるのであれば、焦らなくて大丈夫。大事なのは、一人一人が自分に合った形で算数を学んでいくこと。それこそが本人にとって糧となる」と話す。

以上

我が家にも
この考えを浸透させようと思います。
素敵です。

2021年6月11日金曜日

ユニクロの遥か上を行くワークマン

先日の休みのこと。

妻が・・・
「とにかく凄い!」
「初めて行ってビックリした!」
と、興奮気味に語りながら

「~女子とか~プラスが有るらしい。」
「行ってみたい、連れてって!」
と嘆願されたので

子供達が学校から帰ってくるのを待って
横浜桜木町に新しく出来た
商業ビル「コレットマーレ」に行って来ました。

お洒~落なお店がいっぱい入っていて
お洒~落な人たちが行きかうビルで
我々が他に目もくれず向かった先は
5階にありました。


吉幾三でおなじみの
ガテン系作業着の老舗、ワークマン。

そのワークマンの語尾に
プラスと女子が付いたお店です。


ここは、本当に・・・
あの・・
ワークマンか?

「行こうみんなでワークマン!!」
とコブシの利いた・・・

目を疑う私。


その変わりように
驚きながら、写真を撮る私。

妻は、「おおっ!」と興奮しながら
息子の手を引っ張り
足ばやに店内に消えていく。(^^;)

後を追いかけると
ここが凄かった!!

ガテン系に気を利かせた価格と
機能性に特化した作業着を
「一般開放」し・・・
さらにお洒落にしたという
洋服の数々。

しかも、どれもこれも
生地も縫合もしっかりしてる。

ガテン系が使う作業着が
元となっているので
とてもしっかり作っている訳です。

しかも、価格は
土にまみれて働く男の味方。
ユニクロの半値以下の金額です。

成長著しい我が子達。
洋服は、半年で小さくなり
着れなくなってしまいます。
去年の夏ものは
どれも着ることが出来ません。(TT)

今年の娘と息子の夏物洋服を
大量買いする妻。

その数、15着。

その量を見て
「おいおい、大丈夫か?」
「3万円は行くぞ、それ。」
「買いすぎだろ~!」
と、軽くピクつく私に

「大丈夫だから!」
と、躊躇なくレジに向かう妻。
恐る恐るレジの数字を見ると

ピッ
Tシャツ:580円
ピッ
Tシャツ:580円
ピッ
帽子:580円
ピッ
ズボン:980円

なんと、15着で1万円也!

想定していた金額の
3分の1でした。
あまりの驚きに
「ヤスッ!!ユニクロの3分の1じゃん!」
と、声を出した私。

すると店員さんが笑いながら
「ありがとうございますっ!」

と居酒屋のような合いの手で
返してくれました。(爆笑)


こりゃ、もう他では買い物出来ませんよ!
ここ数年の中で
一番、驚きました。

子育て世代の・・・
強い味方発見です!!!

しかも、私にも優しい。
3Lがふんだんにあるのです。(^^;)

余談ですが
7階にあるトイレの景色にビックリ。
みなとみらい、一望です!


このトイレは、夜来たら・・・
観覧車からベイブリッチまでの
絶景を独り占めできます。

横浜にある数あるトイレの中で
ナンバーワンの絶景でしょう。
(隠れオススメ)

また、同フロアにはキャンプ道具の
アポリトが入っていて
「どうぞハンモックにお乗りください」
というので、
子供達は洋服そっちのけで
ハンモックにずっと乗ってました。


しかもこのビル
映画館も入っていて
レストランも豊富。

桜木横丁ですってよ、奥さん!
https://colettemare-yokohama.com/251375

コロナが明けたら
がっつり遊びに来たいと思います。

2021年6月10日木曜日

鎌倉のモグラ

先日のとある定休日
妻と鎌倉市二階堂を散歩していると
普通の街の道路で
こんな場面に出くわしました。


動画が見れない場合は、下記をクリックください。
https://www.youtube.com/watch?v=1QQ62rZ8KaQ

ネズミにしては
歩くのが遅いなーと、見てみたら
土竜ちゃんでした。

鎌倉は、こんな事が日常です。
やはり、田舎ですね。

土がキレイで
ミミズや虫がいっぱいいるから
モグラもいるわけです。

ただ、見た目はとても愛くるしいですが
庭を荒らす害獣でもあります。

鎌倉に住むと、アライグマやハクビシン
台湾リスの多さに皆驚きます。
タヌキもいっぱいいます。

でも、庭をボコボコにする
コイツが・・・
実は一番被害が大きいのです。(^^;)

動画を撮ったあと
私が手で捕まえて
土がある場所に逃がしてあげました。

猫が居なくて良かった。(ホッ)

2021年5月31日月曜日

今の世界に足りないもの

私が子供のころ
大きな影響を受けた漫画の一つ
少年サンデーで連載されていた
「拳児」
の中の一コマ。


今の世の中で
決定的に足りないものが
この1ページに集約されています。

仁義礼智信

これらは・・・
過去、日本の社会が
大切にしてきたものばかりで
日本人の大きな価値観でした。

だから自然と・・・
親や先生が子に教え
その子が大人になり
また子に教える。
私も子供のころから
「嘘つきは泥棒の始まり」
と親や先生に口酸っぱく言われ
教育されました。

それが何時しか・・・
受験だけに目が向き
大人は子供にテストの点数だけを求め
良い高校・良い大学に入ることが
最大の価値観となり

親は人としての生き方を
教えることを忘れ
それを学校に求めるも
学校は予備的なものに成り下がり
「予備校」「学習塾」が
勉強の基軸になり替わり
数式や英単語を覚えることだけが
教育となっている。

自分の子が将来
どういう人間になるか
多くの親たちは
そこに興味が無いように見受けます。

「仁義礼智信」

良い言葉ですね。
人間、こうありたい
こう生きたいと、強く思います。

2021年5月22日土曜日

壊れゆく人工的な社会

東京新聞「時代を読む」の
哲学者・内山節のコラムを転載します。
(以下転載)

社会は、信頼・信用・共感といった
様々な『心情』に支えられている。

例えば・・・
戦後しばらくの間の日本を見ると
『平和』を何よりも大事なものと
考える共感の広がりがあり
自由や民主主義に対する信頼があった。

この『心情』が
戦後社会を支えたと言っても良い。

ところが・・・
高度成長期に入ると
経済発展が全てを解決するかのような
心情が生まれ
自分が勤める企業を
何よりも信頼する精神が
つくられていった。

こうして生まれたのが
かつての『企業社会』だった。

とすると・・・
今日ではどうなのだろう。
特に若い世代の人たちにとっては
企業は信頼するに値するものでは
無くなっている。

平和・自由・民主主義を
信頼しようとしても
現実にあるのは
平和が壊されていくのではないかという
『不安』であり
自由であるはずなのに
自由に生きられない社会であり
機能しない民主主義である。

信頼できるもの共感できるものが
失われていく。

そこに・・・
現在の社会があると言ってもよい。

そしてこの傾向は
新型コロナウイルス下のこの一年有余の間に
さらに拡大していった。


政府の政策や政治家たちの発言を
信頼している人が
今日では、どれだけいるのだろうか?

オリンピックと選挙の事だけを考えて
行き当たりばったりの
感染対策を繰り返すだけの政府。

コロナを自分の政治的野心の道具にするだけの
東京の都知事。

病院の経営維持しか
念頭に無いのかの如く感じさせる
医療界の「専門家」たちの発言。

ここから見えてくるのは
信頼も共感もできない社会の現実だ。

もちろん多くの人たちが
コロナ患者の治療に当たっている
医師や医療関係者たちに対しては
信頼や共感の気持ちを持っているだろう。

この現実の中で
困難に直面している生活困窮者や
飲食店をはじめとする
犠牲を強いられている人々の気持ちへの
『共感』も生まれている。

人間同士の想いへ信頼や共感はあっても
政治や社会のあり方としては
信頼も共感も出来ない現実が広がっている。

それが今の『コロナ下の社会』である。

だから多くの人が
緊急事態宣言が発せられても
自分の判断で行動している。
それは自粛疲れとか気のゆるみではなく
自粛を要求してくる政治家や専門家が
信用されていないからである。

そういう現象を展開させながら
その奥底では
戦後的理念や企業社会などの
今日の市場経済に対する
不信感が広がっている。

それがこの日本の現実なのだと
私は感じている。

私達は、『無事な社会』や
お互いに『守り合える社会』を
再創造するために
信頼と共感の世界を
つくり出していかなければ
いけないのである。

日本の伝統社会では
自然と共同体への強い信頼感があった。

自然は時に災害も起こすし
共同体は「わずらわしさ」ももたらす。
そういう事があっても
私達を守っているのは
自然と地域や
同業者の共同体だという事への信頼
その内部にある共感の輪が
社会を支えていたのである。

だが・・・
近代的な社会ではそのどちらもが崩れた。

そして、人工的に作られた
政治・経済・社会が生まれ
今それらへの信頼が一気に壊れている。

歴史は『近代がつくりだしたものの瓦解』という
大きな転換期を迎えているのかもしれない。

コロナ下の現実を見据えながら
私達はこの歴史的な課題と
向き合わなければならなくなっている。


以上

信頼・信用・共感が
今の世界を形成していて
日本の高度経済成長は
信頼の積み重ねが作り上げた。

それが今の日本では
音をたてて瓦解してしまった。

『信』とは「まこと」と読みます。

つまり嘘をつかないという事です。
社会全体の信頼回復には
『嘘』を無くすだけで済むのです。

自民党が掲げた
「日本を取り戻す」
というスローガンは
本来持ち合わせていた
日本人の美徳を
こころがけるだけで良かったのです。

日本人の美徳とは
たった2文字で表現できます。

『誠実』
又は
『実直』

たったそれだけを持ち合わせれば
メイドインジャパンは
すぐさま復活するのだと
個人的に思うのです。

今の日本企業は
日本社会が忌み嫌っていた
偽装・虚偽・粉飾・隠ぺい・手抜き
ばかりを繰り返し

今の政治は
日本人が一番嫌う
保身のための『嘘』ばかりをつく。

信頼していたはずの
社会構造の上に立つ人々が
虚偽に対する謝罪ばかりして
日々、頭を下げる。

でも、謝罪だけで誤魔化し
責任逃れに徹する様を
常に見て育った子供たち。

そんな社会の中で育った若者が
何も信じなくなり
自分の内に籠るのは誰も責められない。

でも、今のまま
若い世代にこの社会を
バトンタッチしてしまったら
もう日本の美徳は
消えて無くなってしまうでしょう。

嘘が誠になる世界。
小さな嘘に固められて
1mmも後戻りできず
巨大な嘘の塊となった日本。

それを変えられるのは
「働き世代」の我々しか居ないというのは
痛いほど解るのです。

じゃあ、どうすればよいのか?

まずは、一人一人が
誠実に生きる事こそが
はじめの一歩なんでしょうね。

2021年5月16日日曜日

材木泥棒

ウッドショックの昨今・・・
現場からの材木泥棒が
大流行りしています。

一昨日、とんでもない事件が
身近で発生しました。

木造住宅は、基礎が完成した後
土台柱を敷いた後
上棟前日に
建物の躯体となる
柱や梁を現場に搬入します。

搬入された材木は
朝一に現場に
トラック数台で持ってきて
土台の上に積み上げられ
ブルーシートをかけて
翌日の上棟を待ちます。

翌日の朝は
午前8時前から
大型クレーン車が
現場に横付けし
大工が6~7人集まり
1日で屋根まで組み上げます。

とある現場にて
朝、クレーンが現場に来て
大工が7人集まって
現場監督も到着後
いざ、上棟を始めようとしたら

土台の上にある筈の材木は
どこにも無い。
全て忽然と消えていたそうです。

トラック2台分の
一棟分の駆体です。

それを夜・・・
人知れず盗むという
離れ業。

今までであれば
全く考えられない
「材木泥棒」です。

盗まれた材木は
約1か月前から
プレカット業者と打ち合わせを重ね
その家のためだけの
柱や梁を加工したものです。

「盗んでどうするんだ?」
と思うのですが・・・
再加工をすれば、流用は可能です。
また、同じような家を
建てるのであれば、そのまま
流用も出来ることを考えれば
今後、我々工務店は
恐怖でしかありません。

材木不足で・・・
ようやく漕ぎつけた上棟日
数百万円分の
材木を盗まれてしまう。
その後、材木の手配は
目途が立たず
着工に1カ月以上遅れるのは
確実でしょう。

下手すれば、数か月
遅れる可能性もあります。

そうなったら
施主様と大もめにもめるでしょうね。
下手したら、現場管理責任を指摘され
損害賠償請求を受けることに
なるかもしれません。

当社も・・・
6月末までに上棟を控える現場が5棟あります。
至急、対策を練らなければなりません。

戦々恐々です。

2021年5月6日木曜日

資材ショック

4日間、お休みを頂き
誠にありがとうございました。

当社は本日より
通常営業となります。

さて、今年に入ってから
様々な業界で
「資材ショック」なるものが
起こっております。

自動車は半導体不足で
生産が出来ず
世界に名を馳せるトヨタ自動車が
減産に踏み切り

様々な原材料や生製品は
タイ・ベトナム・フィリピン・マレーシア
などのから中国に買い占められ
中国国内で付加価値を付け
メイドインチャイナとして
世界に輸出されている状況となり

鋼材から食料に至るまで
価格が右肩上がりで高騰し続けています。

我々建設業界では
北欧産の建材が
日本に全く入って来ないという
状況に陥っています。

もうすでに・・・
集成材やホワイトウッドなどの
輸入木材が枯渇しており
日本国内では
住宅が建てられないメーカーも
実際に出てきています。

コロナの影響?

今まで、日本では
バブル崩壊やリーマンショックなど
様々な危機がありましたが
住宅が建てられなくなるような事態は
一度もありませんでした。

パンデミックによる
運輸の落ち込みや
中国の高値買いや
アメリカの木造需要の急伸など
様々な理由が言われていますが

決定的な理由は
全く別の所にあるのだと
考えます。

要は、日本の『国力』が
急激に下がっているのです。

日々のニュースでは
内閣の親族や仲間のスキャンダルばかり。
日本国内だけで
アップアップの大物政治家方。

外交のニュースなどは
対アメリカ以外
ほどんど見ませんね。

建材の主要輸入先は
カナダ・スウェーデン・フィンランド
と遠い国々です。
そして、ロシア・中国と続きます。

これら国々との
まともな外交のニュースは
見た試しがない。

日本の政府外交が滞っています。
その、政治的な失敗が
今、我々に大きく
のしかかってきているのでは?

日本企業の疲弊ぶりが目立ち
コロナを無視するかのような
アメリカ好景気のニュース。

アマゾンやアップルは
過去最高の売り上げを記録し
2社だけでスペインの国家予算を
大きく超えるそうです。(苦笑)
アマゾンに至っては
日本だけの売り上げが
去年一年で2兆円を超えたのだとか。

コロナで日本全国の産業が
奈落の底に落ち苦しみもがく中
アメリカ企業の一人勝ちという
嘘のような本当。

このコロナ禍とは
一体全体、なんなんだ?

そんな中、日本政府は
何を思ったのか
日本人が作ったLINEを攻撃し
日本屈指のネット販売大手の楽天を
アメリカの監視下に置くという(失笑)

この酷い有様は・・・
政治家を国内に縛り
官僚をスキャンダル対応に終始させ
国の運営の麻痺さている
我々国民や
マスコミが作り出したと言えます。

官僚組織が弱体化し
国が回らなくなっているんです。

輸入建材の多くは
船便のコンテナで運ばれており
そのコンテナを中国が買占め
コンテナ不足の欧州では
陸路へシフトチェンジ。

結果、中国を挟んだ島国である
わが国には
建材が入ってこないという
今の状況を打破するのは
政治の役目です。

アメリカだけに顔が向いた
一極集中型の外交の
大きなほころびが
今、一気に日本を襲っています。

建材輸出国であるロシアは
一番近い生産国ですが
アメリカとロシアの関係が
悪化の一途をたどると
日本は親分様の顔色をうかがい
ロシアと外交すら出来ない。

優秀な官僚方を一刻も早く
政治家の「御守り」役から
引き離す必要があり

官僚を政治家のつかいっぱしりではなく
国を動かす動力とするため
政治家の手の届かない所に
戻す必要があります。

田舎の威張ったお爺ちゃんたちが
掲げた「政治主導」という旗は
大きな失敗だった。

アメリカが力を失ってきた今
盲目なアメリカ追従を止め

官僚組織を再構築して
近隣国との外交を活発化しないと
日本沈没というような
もうどうしようもない
状況になりますよ。

2021年4月30日金曜日

一年前と全く同じ

ゴールデンウィーク初日・・・
去年から何も改善されず
全く同じですね。

下記は、1年前の今日
2020年ゴールデンウィーク初日の
フジテレビのニュースです。


FNNプライムオンラインより)

動画が見れない人は
下記をクリック。
https://www.youtube.com/watch?v=O898G_9zdE4

今年も・・・
神奈川県知事が
海岸の立ち入りを自粛するよう
湘南の海に看板を掲示しました。

マスクも当初・・・
コロナウィルスは
粒子が小さいので
あまり効果が無いとされていましたが
何時の間にか
「マスクをしていれば安全」
となり
誰も異を唱えません。

大阪府知事も神奈川県知事も
「マスク飲食、マスク飲食」
と呪文のように唱え・・・

どうかしてますね。
政府も官僚も企業も国民も。(^^;)

2021のGWも
去年と同様「自粛しろ」という
行政からの嘆願だけ。

我々は、その呪言に従うしかなく

飲食や旅館、物販を
生業にする方々の
「GWに取り戻す」という
起死回生の切な願いを
踏みにじるしか
手段は無いのでしょうか?

何だか、オカシイね。
酷い話です。

そんな中、当社もGWは
誠に勝手ながら
下記の期間、お休みをいただきます。

5月2日(日)~5月5日(水)

ご迷惑をおかけいたしますが
何卒、よろしくお願い申し上げます。

m(_ _)m

2021年4月23日金曜日

お互い様

この国の決定的な欠陥は・・・

政治家は、国民を馬鹿だと思っている。
国民は、政治家が馬鹿だと思っている。
そして官僚は・・・
政治家と国民が馬鹿だと思っている。

ここに尽きると思う。
終始、互いにバカにし合っている。

今回のコロナ騒動で
そこがこの国をダメにしていることが
ハッキリした。

コロナが終息しない理由を
各自こう思ってる。

■政治家さんの言い分
我々がどんな手を打っても
国民がいう事を聞かない。
外出自粛を掲げても
外に出るし飲み歩く。
手の施しようがない。

■国民の言い分
政治家は
ただ「自粛しろ」としか言わず
コロナの政策と言えば
我々の税金をバラまくだけ。
具体的な政策を打たず
1年以上ただただ「我慢しろ」って
手の施しようがない。

■官僚さんの言い分
政治家も国民も
言う事を聞かない。
政治家は利権しか興味が無く
国民は自己の権利ばかりを主張する。
手の施しようがない。

皆・・・
自分のせいではなく
相手が悪いと思っている。

「俺は悪くない」
「あいつらが馬鹿なんだ」
「俺はこれだけやってやってるのに」

と、なっている。
結果・・・
「馬鹿は相手にしない」
となっている。

だから、何も進展しない。

「政治不信」
という言葉が
ここ何十年も問題とされていますが

政治家や官僚に言わせると

「国民不信」

なんだなと・・・

このコロナ禍の
政治家方の言動をみて
よ~く、解りました。

この芯の部分を
改善しなければ
たぶん、日本国は
潰れるでしょう。

「愛国心」などと
よく言われますが・・・

今の政治家は
国を愛して民を愛さず
今の日本人は
国を愛しても政治に無関心。

政治家には
「愛民心」を求めたい。
国民には
「愛政心」を求めたい。

とにもかくにも
互いに見下しあう心情の
一刻も早い改善を
切に願います。