私が高校1年生になり
(※注:34年前の話)
原付の免許を取って
初めて買ったバイクが
TZR50です。
ヤマハが・・・
原動機付自転車免許しか
持っていない16歳の子供たちだけを
ターゲットに絞った
狂気の沙汰の
レーサーレプリカバイクです。
当時は、筆記試験だけで
原付(50cc)の免許が取れたので
半日、学科講習を受ければ
バイクに跨ったことのない子供たちが
すぐに100kmが出せる
公道レーサーに
乗れた訳です。(^^;)
法律では・・・
50ccのオートバイは
公道では時速30kmしか
速度を出してはいけない
ことになっているのに
どう考えても
おかしいですよね?
日本のオートバイは性能世界一。
エンジンはどんどん進化し
各メーカーは
如何に高出力のエンジンを作るかに
しのぎを削っていました。
その進化し続ける
性能を抑えるために
「リミッター」という
速度抑制装置を設置して
スピードが時速60km以上
出せないようにして
販売をしていました。(笑)
法律で30kmしか出しちゃダメなのに
60km出せるバイクを売るのが
そもそも、おかしいですが
それ以上におかしいのは
このリミッターを解除する装置が
普通に市販されていた事。
子供たちは皆
バイクを購入したら
すぐ、その装置を「南海」などの
パーツショップで購入し
自分で簡単に装着して
時速100km出るように
改造したものです。(^^;)
1989年当時は
スクーターも全盛を迎えており
■ヤマハ
チャンプ
ジョグ
■ホンダ
タクト
ディオ
■スズキ
アドレス
この中でも
スズキが新発売したアドレスチューンは
リミッターカットするだけで
簡単に80kmが出て
多くの子供たちが
事故った記憶が
鮮明にあります。
そう考えると
やっぱり、昭和の日本は
何もかもが緩かった・・・
子供たちにとって良い時代で
バイク業界に至っては
「狂気の時代」だったと
個人的に思うのです。
・・・話を戻します。
私が手に入れたTZR50は
重量95kg。
レーサーレプリカなので
無駄なものを一切除いた車体です。
4倍の出力のエンジンを積んだ
SDR200の車重が105kgですから
如何に軽いかが
お判りいただけると思います。
私はTZR50のあと
RZ125を手に入れました。
これは、走り屋の友人が
改造し尽くしたものを
譲り受けたもので
「鬼ハンドル」
「ケツ上げ」
された・・・
いわゆる「神奈川仕様」という物でした。
当時の写真は残っていませんが
我々と同じ年代に
秦野や箱根を走っていた
走り屋チーム「どんぐりの会」さんが
愛車を公開していましたので
画像をお借りしてみました。
私が乗っていたRZと
姿かたちが全く同じ。(^^)
懐かしいな~。
このバイクは、
SDR200につながる系譜で
原付の車体に125ccのエンジンを積んだ
車重95kgしかない
無茶苦茶なバイクでした。
2速でアクセルをあけると
フロントが浮き上がり
「自動ウィリー機」
などと、揶揄されたバイクで
これもアドレスチューンと並び
多くの子供たちの骨を折った
迷惑車といえます。
当時を振り返ると・・・
私は原付の免許しか
持っていませんでした。
なぜ、RZ125を乗っていたかは
謎です。(汗)
つづく