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2023年9月12日火曜日

働くとは

東京新聞の連載コラム
「家族のこと話そう」にて
芸人『島田秀平』さんのインタビューに
啓発されました。


(※写真は東京すくすくより)

以下抜粋

父は長野市役所の職員でした。
雨が降ると・・・
川の氾濫や土砂崩れが起きていないか
夜通しの点検に出ていくことも
よくありました。
1998年に開かれた長野冬季五輪の
組織委員会へも出向しました。

子煩悩で教育熱心で読書好き。
夕食の時は2人の姉と僕に
ニュースを解説してくれました。

僕が第1志望の高校に入れず
往復3時間の私立に進むことになって
落ち込んだ時、父は
「良かったな。3年間電車でたくさん本が読めるな。」
と。その言葉で心が楽になりました。
実際に多くの本を読めたし
学校に地元の友達がいない分
自分から話しかけるようになりました。

父を思うと
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が浮かびます。
僕の中学の卒業式で
PTA会長だった父が
壇上で朗読したこともありました。

父は・・・
「アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニ」
という感じで
休日に田畑で育てたリンゴや桃、野菜を
ほとんど人にあげてしまうんです。

僕が高校3年になった春、父は
「ちょっと胃が痛いんだ。」
と病院に行き
末期がんと分かりました。

入院前日の夕食の後
和室から父の呼ぶ声がしました。
入ると・・・
父が腕組みしてあぐらをかき
「俺のこと、おんぶしてみろよ」と。
恥ずかしいから嫌だけど
「できるよ。」とだけ答え
おんぶして畳の上を何周か走りました。
軽々と背負える力があることを
示そうと必死に。

「この家に男はおまえ1人になる」
「家族のことを頼んだぞ」
というメッセージだと感じました。

入院から4カ月後、父は亡くなりました。

高校卒業後に上京して
コンビで漫才を始めました。
「M-1グランプリ」の決勝に
進む目標がかなわず
30歳でいったん解散。

実家に帰ろうかと途方に暮れた時
母から・・・
「父のノートが蔵から見つかった」
と連絡がありました。

3冊のノートの表紙にはそれぞれ
私達子供の名前が書いてありました。
開くと・・・
「幼稚園へ通うためにかさを買う」
「模様は仮面ライダーでなければとだだをこねる」
といった成長の記録のほか
働くとはどういうことかという
父の考えが記されていました。

ハタとは他人やまわりの人という意味で
その人たちを楽にする
これをハタラクという


という文章があって
お笑い1本の道に挫折し
手相鑑定も仕事に加えようとしていた
当時の僕を肯定してくれたように
感じました。

最後のページには
入院前日のあの夜のことが
書いてありました。

「昨夜、息子が私を背負ってお座敷を3周。」
「更に向上心を求む。」
「よい息子よ。最愛の秀平。」

自分は愛されていた
そして今も見守られていると
力が湧きました。

ノートの大半はまだ白紙のまま。

僕にも今、4歳の息子がいます。
自分の人生経験の中から
すてきなことを書いて
託せたらと考えていますが
父のようにはまだまだ
書けそうにありません。

以上

本文は下記をクリック
https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/oyako/73014/

ハタラクとは
「人が動く」と書いて
働くですが
自分が動くことにより
『傍』が『楽』になることが
ハタラクですか。

なるほど。
・・・
・・・
・・・

この言葉は深い・・・

なるほど。

自分が働くことによって傍が楽しいのか。

家族を持つお父さんたち。
多くの社員を持つ社長さんたち。
家事に向き合うお母さんたち。
ボランティアに参加される方々。

皆、フとした時に我に返り
「自分は何のためにこんな事してるのか?」
を自問自答することが
必ずあると思います。

そんな時、この言葉は
必ず気持ちを支えてくれる
ちからになってくれると思います。

私はちょっと、当分の間
余韻が消えそうもありません。


2023年9月11日月曜日

建築住宅の紹介ページ

数か月前のこと
当社の住宅を購入されたお客様より

株式会社平成のホームページを
スマホで閲覧すると
『過去の建築事例』が見にくいと
ご指摘を頂きました。

「ですよね~」
と答える私。

片手間で作ってきたので
知ってました。
でも、ページを直すとなると
結構大変な作業になるので
忙しさにかまけて
ずっと放置してきたんです。(^^;)

先週の金曜日・・・
突如仕事が丸一日パッと空いたので
意を決して
新しいページを作成しました。

下記が完成形です。
ご覧ください。



アドレスは、下記のとおりです。
http://www.heisei-shonan.co.jp/urinusi/syokai.html

実は・・・
当社のホームページは
一から十まで
私が作成をしておりまして(^^;)

初めて作ったのは確か・・・
24年ぐらい前だったかな?
プログラミング技能なんて
持ち合わせているわけもなく
最初は、一切の知識無く
市販ソフトのホームページビルダーを
買って来て作ったのを覚えてます。

それから10年ほどが経ち
世の中の大変換期が訪れ
当社もいつのまにか
集客はほとんどが
ネット経由となります。

そうなってくると
気が付くと・・・
ド素人の私が作ったHPが
当社の顔として機能しだし
焦ります。

「このままではダメだな~」

そう思いながらも
仕事で手一杯が続き

「お金を出して作ってもらうか?」
「どこかに管理維持を任せるか?」
「ネット専門の社員を雇うか?」

と、検討だけしますが
見て見ぬふりをして
放置していたんです。
(放置ばかりだ。)

そうこうしているうちに
HPの乗っ取りや改ざんが
社会問題化してきて
セキュリティー皆無の状態を
いつまでも放っておくことが出来ず

『一から作り直す』ことを決心。

決心するのに・・・
約4年掛かりました。(TT)

リコージャパンさんに相談し
ご提案を頂いた
あさくらソフトさんの
「使えるホームページ」
というクラウドサービスを
リースしたのは約8年前です。

今は、アサクラソフトが管理する
クラウド上にある当社ホームページを
日々更新をしています。

さて、話を戻します。

今まではPCでさえ見れれば
良かったネットも
スマホがシェアを独占する
世の中に変わりました。

今まで通りのHPの作り方だと
スマホでの閲覧には
適しません。

アサクラソフトさんは
スマートホンサイトを
自動生成してくれるシステムです。

それでも、PCとスマホを
同じように見せるには
高度な専門知識が必要で
アサクラのシステムを借りても
ほとんど解らず
手探りの作業となります。

とりあえず、丸一日かけて
過去50件を超える建築事例を
写真で見れるページを作るも
見事に失敗。
PCでは簡単に表示されますが
スマホでは全然違って表示される。

もう一度作りなおして
二度目の失敗。

再度、テキストを細かく修生して
スマホの画面を見て
またテキストを直して
見てを繰り返し。

3日間やって・・・・
改善できずギブアップ。

今日、朝からアサクラソフトの
サポートセンターに助けを求め
ようやく思い通りに
表示させることに成功しました。

あさくらソフトさん様様です。
しかも無料で訂正してくれました。
感謝。

そのお礼と言っては何ですが
「使えるホームページスーパーいいね」
をご紹介させていただきます。



アドレスは、こちら
https://asakurasoft.co.jp/hp.html

自分である程度、ホームページを
更新したい会社には
とても使いやすいシステムで
価格も他と比べてリーズナブル。

おススメサービスです。(^^)

素人に毛が生えた私ですが
このソフトの力で
今日よりスマホにて
当社の過去の建築物件が
写真付きの一覧画面で
ご覧いただけるようになりました。

今、個人情報の保護が
どんどんと厳しくなり
中々、完成物件も
ご紹介できなくなっておりますが

鎌倉で夢のマイホームをお探しの方は
ご活用してくださいませ。
↓↓
建築物件の紹介

2023年9月10日日曜日

鷲田清一先生

哲学者の鷲田清一さんが
また、垂涎のコラムを
東京新聞の紙面で語っていたので
ご紹介します。

以下転載(抜粋)です。

ITやSNSといっても
私はEメールと検索という
ごく基本的な機能を利用しているだけで
ツイッターもしない。

だから、イーロンマスクなる人物に
ツイッターが買収されたと聞いた時も
すぐに偽名だろうと思った。
てっきり・・・
「IRONMASK」(本物/ERONMASK)
鉄仮面だと思ったのだ。

報道によれば
その鉄仮面氏は
買収後に
人の気持ちを逆なでするような
方針を次々に打ち出している。

①従業員の大量解雇や求職措置
②利用者の特定アカウント凍結
③閲覧件数の制限
④名称変更
⑤ロゴ変更

もはや『公器』と呼んでもおかしくない
ソーシャルネットサービスをめぐり
その利用規則や
セキュリティの仕組みを
オーナーの一存で
変更するという事が
どうやら現実に起こっているらしい。

「この企業は俺のものだから、どうしようと俺の勝手」
という思いが早々に
外に噴出したのだろうか?

これは、わたしの所有物なのだから
「所有者は取扱いや処分を自由に決めてよい」
という理屈だ。
この理屈は今日(こんにち)
誰もが日常的に言いつのる理屈でもある。

これは私の持ち物だから
これは私の体だから
これは私の人生だから

決めるのは私ですという理屈。

実際の社会の近代化の過程で
確立されたこの『所有権』思想の主流は
「これは私の物である」
という所有権と
「私はそれを意のままにして良い」
という自由処分権を
ずっと、同一視してきた。

そして、その背景には
『所有権こそが個人の自由の確認をなす概念だ』
という認識があった。

だから・・・
多くを所有すればするほど
より多くの「自由」を享受できると
いう思いも出てくるのだが
これは注意を要する考え方である。

多くを所有するには貨幣がいるが
貨幣を使えば
貨幣にともなう「力」も消えてしまう。

つまり、貨幣というものは
それで何かを所有できる可能性によって
ある種の「権力」を持つものであって
使われるためではなく
所有されるためにある。

貨幣は・・・
使用すれば元も子もなくなる。

いま一つの盲点は

身体も自らの所有物であり
意のままにして良いと考えるが
何かを自分のものとして
具体的に所持することを
可能にするこの身体は
明らかに思いのままには
ならないものである。

ひいては・・・
その身体を台座とする「わたし」こそ
己の自由にならないものの
筆頭だということである。

このように
何かを所有するという
事態のまさかの根幹に
自分の意のままにならない
事態が鎮座している。

このことを甘く見てはならない。

人は将来
起こるであろう出来事を
現在の自分に
可能な想定の範囲内で
推し量るしかないが
その推量では・・・

■人間には予見不可能なもの
■人間には制御不可能なもの

を最終的にカバーできない。

そして・・・
私達が今、喫緊の課題として
直面しているものの代表が

『原子力発電所の廃炉』

であり
生成AIと呼ばれる

『人工知能の開発と制御』

である。

これらこそ
人間の自由処分権の
拡張に次ぐ拡張のなかで
顕著化してきた
「人間の意のままにならない」
ものの象徴的な事例と言える。

それらのコアにある問題を
一切直視せずに
それでも「何とかなる」と
言い続けるとしたら

それこそ鉄仮面ならぬ
鉄面皮ではないか?

以上。

2023年9月9日土曜日

今日は残りの人生で一番若い日

四苦八苦とは 

「生」・「老」・「病」・「死」
の苦しみと
「愛別」「怨憎」「求不」「五蘊」
の苦しみを足した
仏教用語です。

私は無宗教者ですが
四苦八苦という言葉を
良く使ってきました。
でも、その言葉の意味を
先日の東京新聞の紙面のコラムで
初めて知りました。

愛知学院大学の名誉教授で
白鳥山法持寺の住職でもある
川口高風さんの
「志いまだ老いず」です。



本にもなっているようで
末尾転載で興味が沸いた方は
読んでみてくださいませ。

四苦は

生苦/生まれることに起因する苦しみ。
老苦/老いていくことに起因する苦しみ。
病苦/病気による痛みや苦しみ。
死苦/免れることのできない死という苦しみ。

八苦は

愛別離苦/親・兄弟・妻子など愛する者と死別する苦しみ
怨憎会苦/怨み憎んでいる者に会う苦しみ
求不得苦/求める物が思うように得られない苦しみ
五蘊盛苦/五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ

五蘊(ごうん)は

「色」・「受」・「想」・「行」・「識」

蘊は

「積み蓄える」という意味を持ちます。
現代語に返還すると

色蘊(しきうん)/肉体
受蘊(じゅうん)/感覚
想蘊(そううん)/表像(想像)
行蘊(ぎょううん)/意思
識蘊(しきうん)/認識

となり
聞きなれない言葉ですが
仏教では、この五蘊で
衆生が形成されているとされています。

衆生(しゅじょう)は

命のある全てのもの

色・受・想・行・識
を簡単に例えると・・・

家を建てようとTVKハウジングに行く。(色)
色々な家を見て回る。(受)
その家での生活をイメージする。(想)
どのハウスメーカーで建てるか決める。(行)
完成後、このハウスメーカーにして良かったと思う。(識)

となります。

生き物はこのように
外的な「色」で始まり
内的な「受・想・行・識」を
連動させて
価値観を形成しているとの事。

つまり・・・
五蘊の内「色・受・想・行」までが
全部良くても「識」が悪ければ
全てが苦に変わるし
逆に・・・
「色・受・想・行」が悪くても
「識」が良くなれば
全てが楽になる。
終わり良ければすべて良しとは
よく言ったもので
識蘊は人のすべてを左右することから
「心王」ともいわれます。

また、色即是空の「色」は
この色を指します。

色即是空は

すべて形のあるものや
物質的なものは
その本質においては
みな実体がなく
「空」である

という仏教の教義で・・・
生物の価値を形成する「色」は
実態がないので
その色から成す心は
空虚だという事。

『四苦八苦』
という言葉はとても深いですね。

でも、仏教の教えは
『生まれたとたん四苦八苦』
ということになりますね。(^^;)
だから、仏様を信仰して
「祈りながら生きなさい」
という事になるのかなぁ?

以下より、記事を抜粋&転載です。
↓↓
私は三月に後期高齢者(75歳)になった
団塊の世代である。
65歳を迎えた時、高齢者の通知が届き
少し愕然したことを覚えている。
当時はまだ現職であったためか
高齢者の意識はあまり感じなかった。
しかし今回の通知は
確実に老境に入った知らせである。

事実、足腰に痛みを感じ
行動は素早くできなくなっている。

老人になれば
嫌でも死や病気を考えるようになる。
しかし大切なのは
心の老いを防ぐことであろう。
老年になって一番大事なのは
「志」と言ったのは
江戸時代の儒学者佐藤一齊である。

血気に老少ありて
志気に老少無し
老人の学を講ずるには
まさにますます志気を励まして
少壮の人に譲るべからざるべし

※少壮=若くて元気いっぱい

人間の体力から発する血気には
青年と老人で大きな違いはあるが
精神よりほとばしり出る志気には
老人と青年の間に違いはない。
だから老人が勉学をするには
まず志気を励まして
青少年の人たちに負けてはならない
と言っている。また

老人には
すなわち真に来日無し
尤も当に今日学ばずして
来日有りと謂うことなかるべし


老人にはもう取り戻す時間は無い。
今日学ばなければ
他日学ぶことは出来ない。
老人であるからこそ
一日一日を惜しんで
仕事に打ち込むことができ
一分一秒さえも
大切にできると言っている。
さらに

人は百歳能わず
只だ当に志、不朽に在るべし
志、不朽に在れば
則ち業も不朽なり


人間は百歳まで
寿命を保つことは困難だが
志だけは永遠に
朽ちないものでありたい。
志が朽ちなければ
行いも永遠に朽ちない。
と言っている。

人間の一生は「生老病死」である。
仏教ではそれを「四苦」といい
愛する人と別れる愛別離や
求めても得られない求不得などの
4つを合わせて「四苦八苦」という。

難しい問題や
容易にできないことと出会った時
思わず出てくる言葉でもある。

その中で・・・
『老苦』
が一番厳しいと
鎌倉時代の禅僧である
無住国師はいう。

老は八苦の随一
何事につけても
昔にかはりて、見苦しく
障りのみ多き中にも
人に厭い、憎まれ、笑はれ侍り


鎌倉時代でも現代でも
老人の姿は同じである。
肉体的衰えはもちろんであるが
それ以外に
疎外されることから生まれる
「孤独感」がある。

これこそ老人が一番感ずる
人生晩年の苦と言えるだろう。

人生には定年がない。
生まれた途端に
日付の書かれていない
定期券を手にするようなものだ。
そのため最期の時を
いつ迎えてもいいように
日々を悔いなく生きていきたい。

百一歳で亡くなった
禅僧の松原泰道師は

生涯現役、臨終定年

が座右の銘の一つであった。
亡くなる直前まで
日本全国、説法に飛び回り

自分は後期高齢者をとっくに終え
ただいま末期高齢者です
残された命も
秒読みの段階で
いつ消えるか分かりませんので
早々お話に入ります


と言って
会場を爆笑させた。

これから何年生きるか分からないが
志を持って
一日一日を生きたい。

私もそのうち気が付けば
八十歳、八十五歳になっていることだろう。

今日は、残りの人生で一番若い日


これは事実である。
日々精進し
後期高齢者一年生として
新しい気持ちで
前進していきたい。
志は、老い知らずである。

(以上、東京新聞5月7日紙面より)

2023年9月7日木曜日

厚木屋

ユーチューブ界隈で
ここ数年、ラーメン店主の
動画が話題を呼んでいます。

その中でも異彩を放つのが
王道家さんの公式チャンネル



家系ラーメンは
神奈川県ではとてもメジャーな
ラーメンですが
王道家さんというお店は
私、今まで知りませんでした。

同年代で、身一つで
なりあがった人達は
人としてパワーがあり、
人として癖が強く(面白みがあり)
見ていて飽きませんね。(笑)

横浜にある吉村屋が開発した
醤油豚骨&太麺は
いつしか横浜家系と呼ばれ
その店で修業をした人が
独立し有名店を作り
我が湘南エリアでも
街を歩けば
「何々家」という
濃厚豚骨ラーメン屋を必ず目にするほど
多くの系列店が
あふれかえっています。

系譜図
http://hamarepo.com/iekei_kakeizu/

その昔・・・
六角家が一大ブームになったのは
25年ぐらい前ですかね?

当時は、日本全国から
六角橋を目指して
ラーメン好きが横浜に来て
お店の前はいつも大行列。

券売機で券を買った後
「スープの濃さ」
「油の濃さ」
「麺の硬さ」
等を口頭で一人一人が注文する
独特の手法が
社会現象になってましたっけ。

先週の定休日・・・

その家系の中で
「全国1位~2位を争う美味しさ」
と言われている店舗に
ようやく行くことが出来ました。

厚木にある『厚木屋』です。
あまりにも「美味い」という
評価をされていたので
いつかいつか行こうと思いつつ
場所も遠いので
来るまでに数年かかりました。

家族と来店。
でも・・・
トラブル発生。

気温36度の猛暑の中
行列に並んでいたら
娘が貧血でダウン。
急遽、妻と娘は
車の中で冷房をかけて
待っていることに。

息子と私二人で入店。

ネギチャーシューの
味玉トッピングを注文。


注文後・・・
約5分ほどで、来ました。
早い!

これが今、
横浜家系を代表する一杯です。

ちなみにシステムは
六角家の時と変わってません。
でも、厚木屋は
座ってから聞かれます。
六角橋の六角家の時は
店内に入っても壁際に並ばされて
その時に聞かれたっけ~。

店員の勢いに気後れして
「全部普通で」
と注文したのを
思い出しながら・・・

「お好みはありますか?」
と聞かれ
今回も気弱さを発揮して
息子と声を小さく
「全部普通で」と注文。(^^;)

一口食べて
15年ぐらい前に
妻と二人で食べた
本家吉村屋のラーメンと瓜二つ。
ほとんど同じと言って
良いのではないかな?

息子は・・・
「美味い!メッチャ美味い!」
と夢中で食べていましたが
アラフィフの私は
とてもショッぱく感じてしまい
たびたび、水を挟むことに。

食後、息子は
「いや~美味しかったね!」
と笑顔でしたが
私は、お腹を押さえ
油に負けた胃からこみ上げる
胸焼けを抑えるのに必死。(^^;)

歳を取ると
動物性の油を大量にとると
すぐに体が拒否反応を
起こしますね。

車に戻ると・・・
娘は回復しており安堵しながら
私は、その30分後から
見事に腹がくだり
晩御飯までの間5回以上
トイレに駆け込む
ハメと相成りました。(TT)

あっさりラーメン派の娘と妻は
食べなくて良かったのかも。
怪我の功名とは
こういう事をいうのかな?

そんな話をSNSでしたら
同年代の人たちから
「俺も」「私も」
と同感の嵐。
50歳を過ぎると皆
家系を食べると
お腹が下るようです。

SNS上の結論として
家系ラーメンは
20代~30代の食べ物で
40代になったら体調が良い日
50代になったら食べちゃダメ
という事に至りました。

その後、家系が大好きで
『二郎』をこよなく愛する
大工の遠藤さんから
家系だったら
茅ヶ崎にある「清水家」がダントツに美味しい
という情報をもらいました。

近々、食べに行ってみようかなぁ?
(全く、こりてない)


2023年9月3日日曜日

日本全国水族館制覇への道

海外旅行に行かないがために
家族に対して
「全都道府県制覇」
を掲げた私ですが

その目標に対して
その地その地において
何かモチベーションがないと
張り合いがないと考え
息子と妻が大好きな
「水族館も制覇しよう」
ということにしました。

ただ・・・
最近、入館料も上がり続け
高額で中々大変です。

我が家が今まで行った水族館数は
今年のお盆で40館っ!!

世界的に有名な水族館プロデューサー
中村元さんの著書
全館訪問取材中村元の全国水族館ガイド125


が指針となります。

「あと85館もあるのかぁ~」

ただ閉鎖された水族館も多く
最新刊では109館に
減ったとの事。
コロナ禍で
16館も閉鎖したのだとすると
すさまじいですね。

今まで行った40館の
個人的なランキングは下記の通りです。
(※赤文字は閉鎖した水族館)

■1位/沖縄美ら海水族館(沖縄)
■2位/横浜・八景島シーパラダイス(神奈川)
■3位/下田海中水族館(静岡県)
■4位/寺泊水族博物館(新潟県)
■5位/名古屋港水族館(愛知県)
■6位/新江ノ島水族館(神奈川県)
■7位/鴨川シーワールド(千葉県)
■8位/アクアワールド大洗水族館(茨城県)
■9位/マリンピア日本海(新潟県)
■10位/鳥羽水族館(三重県)
■11位/しながわ水族館(東京都)
■12位/アクアマリン福島(福島県)
■13位/葛西臨海水族園(東京都)
■14位/越前松島水族館(福井県)
■15位/伊豆・三津シーパラダイス(静岡県)
■16位/京急 油壺マリンパーク(神奈川県)
■17位/加茂水族館(山形県)
■18位/四国水族館(香川県)
■19位/あわしまマリンパーク(静岡県)
■20位/サンシャイン水族館(東京都)
■21位/姫路市立水族館(兵庫県)
■22位/マクセル アクアパーク品川(東京都)
■23位/上越市立水族博物館うみがたり(新潟県)
■24位/アクアトト岐阜(岐阜県)
■25位/のとじま水族館(石川県)
■26位/すみだ水族館(東京都)
■27位/海遊館(大阪府)
■28位/宮島水族館(広島県)
■29位/須磨海浜水族園(兵庫県)
■30位/マリホ水族館(広島県)
■31位/沼津港深海水族館(静岡県)
■32位/ヨコハマおもしろ水族館(神奈川県)
■33位/箱根園水族館(神奈川県)
■34位/犬吠埼マリンパーク(千葉県)
■35位/アドベンチャーワールド(和歌山県)
■36位/東京タワー水族園(東京都)
■37位/川崎水族館(神奈川県)
■38位/勝浦海中展望台(千葉県)
■39位/上野動物園 両生爬虫類館(東京都)
■40位/よこはま動物園ズーラシア(神奈川県)

38~40は水族館なのかな?
という感じ。

今後85館あるとすると・・・
さすがに厳しいなぁ。

水族館とは言い切れないような
小さいものは除いても
あと40館は間違いなくあります。

ちなみに
行っていない場所で
絶対行かなけらばならないのは

北海道/旭川動物園
北海道/おたる水族館
秋田県/男鹿水族館GAO
宮城県/仙台うみの杜水族館
愛知県/南知多ビーチランド
三重県/伊勢シーパラダイス
兵庫県/城崎マリンワールド
島根県/しまね海洋館アクアス
岡山県/渋川マリン水族館
山口県/しものせき水族館
福岡県/マリンワールド海の中道
長崎県/九十九島パールシーリゾート
大分県/大分マリーンパレスうみたまご
鹿児島県/いおワールドかごしま水族館

年末に三重と愛知を攻めて
来年は・・・
中国地方(山陰)を攻めます。

ランキング1位を
覆す可能性があるのは

北海道の「旭川動物園」か
大分県の「うみたまご」でしょうか?

でも一位の「美ら海水族館」は
飛び抜けた存在なので
難しいかなぁ。(^^)


2023年9月2日土曜日

47都道府県制覇の旅

何度かお話している内容ですが
また、同じ話を致します。

娘が小学校低学年の時・・・

「何々ちゃんがハワイに行ったんだって!」
「学校で自慢してた。」
「私もハワイに行きたい!」
「トン、連れて行って!」

仕事から帰って
今日も一日乗り切ったと
安堵しながらの晩御飯時に
愛娘に突如言われた
純真無垢な無理難題。

その瞬間、思考停止して
パッと「うちは無理だよ!」
という普通の受け答えが
口から出そうになって

喉元のところで踏みとどまります。

そんなこと言ったら
「何で?」「何で?」「何で?」
と永遠と続き
寝るまで収拾がつかなくなるのが
目に見える。(^^;)

実際・・・
お金もないし
英語しゃべれないし
外国、怖いし
それ以上に飛行機が嫌い。
心底嫌い。

400tの鉄の塊が
空を飛ぶ?
それだけでも信じられないのに
その中に何百人も乗り込み
地上3000mの空の上で
どこの誰かも知らない
日本人ではない
会ったこともない
外国人の操縦士に
命を預けるなんて
人のやることじゃないですよ。(苦笑)

でもね。
もし、娘にそんなことを言ったら
親父として立つ瀬ないし
めっちゃカッコ悪い。(^^;)

そこで一考。

娘をこう騙し・・・
もとい・・・
娘をこう諭しました。

日本も旅行したこと無いのに
海外なんて恥ずかしいよ。
山形のお父さん(妻の父)も言っていたよ。
「地元を知らずして他を知るなかれ」って。
先に日本を全部旅行して
日本を知ってから海外に行かないと。
海外に行って
「日本はどういう国ですか?」
ときかれて、応えられないと恥ずかしいよ。
日本を旅行して全国制覇したら
海外旅行を連れて行ってあげるよ。

すると幼少の娘は
「わかった、約束だよ!」
と、すんなり了承。

大人って、なんて卑怯なんでしょう。

1年に2都道府県を旅行したら
23年は掛かりますもん。(笑)
さすがに成人したら
親と海外旅行なんて行きたくないですよね~。
しめしめ。

それから6年が経ちました。

現在、父である私は
この「約束」の呪縛に
憑りつかれて
毎年、奮闘しています。(TT)

理由は、3対1という
多数決の構図です。

■言い出しっぺ/私1人
■その相手/娘・息子・妻3人

特に妻が強敵でして
「約束は必ず守る」
「男は一度言ったことは必ず責任を持つ」
って、いつも貴方が人として
子供に言い聞かせてる事だよね。
子供が巣立つ前に
実現しないとダメだね。

そう言いはなつ妻の両脇で
腕を組みうなずく娘と息子。

もう、後には引けません。

2023年の今年・・・
福井・石川・富山と3都道府県を踏破。

現在、子供たちと宿泊した都道府県数は
23にもなりました。(オレンジ)
宿泊していないけど
旅行した都道府県数は28。(黄色)

子供が生まれる前に行ったところを
合わせると33。(グレー)


子供たちが行っていないのは

北海道
東北/青森・岩手・宮城
中部/滋賀・京都・奈良
山陰/鳥取・岡山・島根・山口
四国/愛媛・高知
南九州/福岡・佐賀・長崎
北九州/宮崎・鹿児島

あと18都道府県。

大分県と熊本県は
息子が0歳で
娘は妻のお腹の中だったので
もう一度行かなければならないかな~

そうすると・・・
あと20ですね。
地方7くくりと考えると
あと4年ぐらいで
回りきれる可能性が高いです。

そうすると娘は、16歳。

妻曰く・・・
16歳過ぎると
女の子は家族旅行なんて
付き合ってもくれなくなるよ。
急がないと。

私の年齢を考えると
脳梗塞とか心筋梗塞で
ぽっくり逝くことも
十二分に考えられるので

頑張ってお金貯めながら
計画しなければっ!

ん?
なんだかおかしいな?

「本末転倒」とは
まさに・・・
こんな事なんでしょうか?

「自縄自縛」と言うほうが
正しいかしら!?

2023年9月1日金曜日

奥飛騨の日帰り温泉

七尾市~鎌倉市まで
この道をチョイスしました。


安房峠を登り
上高地を抜けていく
一番険しそうなルードですが
まだ行ったことのない
岐阜の有名な観光スポット

■新穂高ロープウェイ
■奥飛騨くま牧場
■GattanGo

があります。
でも、すでに午後1時半過ぎなので
寄れたら寄ろう的な算段で
いざ出発。

出発してすぐに富山に初入県!
齢50歳にして
石川県も富山県も初来訪の私。
お恥ずかしいったら
ありゃしません。

子供様々です。

氷見市の商店街を横切ると
ん、ハットリくん?
忍者ハットリくんがいるぞ!!!
錯覚か?

ググってみると
氷見市は
藤子A不二雄さんの
出生地なんですね!!

なんと、町全体に
安孫子氏の作品が
オブジェとして飾ってある。

ぐぉ~っ!!
こりゃスゲーっ!!!

富山観光ナビのWEBサイト
マップがありました。

(※クリックすると拡大します)

私は、子供のころ・・・
ドラえもんにはあまり影響を受けず

■怪物くん
■忍者ハットリくん
■プロゴルファー猿

で育ったと言っても
過言ではありません。

車で運転しながら大興奮で
我が家族に
ここで観光する旨を伝えると

娘「暑いから絶対ヤダ。」
息子「知らないからヤダ。」

一言で拒否。(TT)

絶句しながら
涙ながら氷見の街を通過。

富山観光ナビのHPには
こんな素晴らしい写真が満載。



シンゾウが泣いてる!!
やばい、逃げろっ!!


あああっ
超絶残念。
見て回りたかった。(涙)

それにしても
なぜ、怪物くんやハットリくん(あとパーマン)
は、ドラえもんのように
新しいアニメとして出てこないんだろう。

「獅子丸や影千代を今のアニメで見たい!」

そう思うのは私だけでしょうか?

あまりにも意気消沈する私を見て
少し進むと妻が・・・
「通り道に藤子不二雄のミュージアムがあるよ」
と、スマホ片手に一言。
子供たちは「嫌だ~」の大合唱。
すると妻が
「ドラえもんが居るみたいだよ」
と言うと・・・
「え!ドラえもん?行く行く!」
と、手のひら返し。

ドラえもんパワーおそるべし。

ここは、氷見市を抜けた高岡市。
藤子F不二雄さんこと
藤本氏の生地なんですね。

に入館!


ドラえもんには
この通りの我が子たち。

なんだか、納得いかないな~。
藤子不二雄と言えば
FじゃなくAでしょ?
なんで、Aの作品知らないのよ!!

今度DVD仕入れて見せなければ!

30分ほど滞在し、
外に出たらすでに午後4時。

もう、どこにも寄らず
峠越えとなります。

走ること3時間。
クマ牧場を超えたあたりで
有名温泉地がちらほら。
午後7時半ごろ
奥飛騨温泉郷を通過。

そこで日帰り温泉施設を発見。
ここで休憩とします。

奥飛騨温泉「ひらゆの森」です。


どうやら、超有名な
日帰り温泉施設のよう。
ラッキーです。

中は素晴らしく・・・

(写真はひらゆの森のHPより)

情緒たっぷりの中
約1時間、温泉に漬かりました。
思いのほか、奥飛騨の白濁の湯を
味わえて良かった!!

素晴らしい内湯・外湯は
下記動画でチェックください。 

(※上記動画は森チャンネルから)

男性陣は、いち早く温泉から出て
先に晩御飯。


軽食スペースで
コロッケをぱくつく息子。

閉館の9時まで滞在して
帰路につきました。

直近まで大渋滞だったようですが
深夜の高速は予想通り一切渋滞は無く
家に着いたのは午前2時前。(^^)

これにて・・・
我が家の2023年度の夏休み旅行は
終わりです。
来年は、どこに行こうかしら。

つづく(もうちょっと)

2023年8月31日木曜日

能登島の絶品ハンバーグ

我が家の中部横断4泊5日の旅も
あっというまに
最終日の8月13日です。

この日は・・・
3連休の最終日でもあり
「お盆最大の帰省ラッシュ」
というTVニュースを
旅館で見て戦々恐々。(^^;)

加賀屋を出たのは
午前10時過ぎで
能登半島から鎌倉まで
車でおおよそ8時間。

このまま帰ったとすると
丁度、渋滞のど真ん中にハマって
家に到着するのは
深夜0時を過ぎるのが
目に見えています。

だったら、渋滞の時間を外して
空いている深夜に
高速を走るのがベストかなぁ。

ということで
午前中に帰る予定を変更し
反対方向へ車を走らせ
能登島大橋を渡り
能登島に上陸!

「のとじま水族館」に向かいます。



この旅3つ目の水族館です。
なぜ水族館ばかり行くのかは
下記をご覧くださいませ。
https://heisei-shonan.blogspot.com/2023/02/blog-post_4.html

のとじま水族館は
日本で現在4館だけしか
飼育に成功していない
「ジンベイザメ」が見られる
希少な水族館です。


工夫を凝らした展示。

よくある鯵の群れかと思ったら
タイですねこれ!


ジンベイザメ2匹が
優雅にお出迎え。


イルカショー。
猛暑の中、超満員。
アナウンスが独特でした。(^^)


こじんまりした水族館で
そんなに長居する展示も無く
大混雑&猛暑の中
午前中で切り上げます。

次の目的地は
特に決まっていません。
とりあえず・・・
お昼ご飯を食べられるところを
近くで探します。

能登島を抜ける田舎道に
レストランを発見。
「はいから食堂」ですって。
https://haikara-syokudo.com/

海面とほぼ同じ高さじゃない?
海抜1mぐらいかな?
しかも海まで5mほど。
海との間には
車がギリギリすれ違えるぐらいの
道路しかありませんよ。

なんだ、この
トレンディードラマ(死語?)に
出てきそうなロケーションは。(□゜;)


3組が並んでいましたが
もうすでにお昼を過ぎており
ここでランチとします。

待つこと40分、入店。

絶景の店内。


ハンバーグ定食は
ライス・サラダ・ドリンクセットで
1850円(税込み)


おいしい!!
メッチャ美味しい。

能登島にきたら
ここのランチを食べなければ
損です!!!

しかし・・・
なんだろう。
海面とさほど変わらない
お店の立地といい
商売毛のない店構えといい
店内の独特のハイカラな様子といい
海しか見えない眺望といい

「これ夢かな?」

もしかしたら・・・
まだ加賀屋の部屋で寝ているのかも。
本気でそう思うほど
なんだか、現実味がなくて
不思議な感覚のお店でした。

ランチを堪能したあと
コーヒーを啜りながら
3つある帰路を悩みます。

①新潟まで抜けて上越で帰るか。
②岐阜まで抜けて東名で帰るか。
③奥飛騨を抜けて中央で帰るか。

一番早いのは上越。
途中寄り道ができるのは東名。
山を抜けるのが中央。

時計は、午後1時過ぎ。
どうしよう?

つづく

2023年8月28日月曜日

日本一の旅館

金沢市内の観光は
あまりの猛暑に
妻も娘も「もう歩けない」
というので早めに切り上げ

最後の宿泊地に向かうことに。

金沢で超有名なケーキ屋さん
「ル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ」に寄り道。
https://le-musee-de-h.jp/


石川県立美術館の中にあり
やたらとおしゃれで
やたらと敷居の高そうな
超高級スイーツ店です。


そこに・・・
おのぼり観光者丸出しの
私の図。


(外気36度の中なので、何卒お許しを)

その後、1時間かけて
能登半島へ到着。

4日目に選んだのは・・・
妻が何年も前から「行ってみたい」と言っていた
世界的に有名な
あの『日本一』といわれる旅館です。


和倉温泉加賀屋!!

能登半島のくぼみに位置し
目の前が七尾西湾。
海に浮かぶ能登島大橋と
能登島が一望できる
素晴らしい景観立地です。

実は今日・・・
妻の誕生日でして・・・
今回の中部横断の旅の
最終目的であり
この加賀屋への宿泊が
誕生日プレゼントとなります。
(高価だぁ~)

エントランスは海一望。
そして広い!!


入口で着物を着たベルガール?がお出迎え。
フロントで受付し
海一望のソファーに導かれ
「ウェルカム抹茶」
をごちそうになりました。

茶菓子(わらび餅?)が
めっちゃくちゃおいしい。

飲み終わったころ合いを図り
こんどは和装の男性の仲居さんが声を掛けに来て
すべての荷物を持って
部屋まで案内してくれます。

とにかく広い。
部屋に行く間に
いくつもある館内施設の
説明をしてくれましたが
広すぎて覚えられない。(笑)

ここは、夜11ごろまでやっている
ラウンジですって。


その他・・・
ミュージカル公演や
マジックショー
ダンスホールに
特産物朝市・・・etc

盛りだくさんですね。

部屋に付いたら
仲居さんが・・・
私が手に持った紙袋を見て
家族に聞こえないように
「そちらは何かサプライズですか?」
「お手伝いしましょうか?」
「厨房の冷蔵庫で冷やしましょうか?」
「お皿とフォークをお持ちいたしましょうか?」
と、耳打ちされます。

凄いね。
袋のお店の名前見て
ケーキと解かったのも凄いけど
普通、そんなことある?
加賀屋のサービスは
すげー!!

「妻が誕生日なんです」
「ケーキは妻は自分で選んで買ったので」
と、私が話をすると
「お誕生日おめでとうございますっ!」
と、妻に笑顔。

冷蔵庫だけお借りすることをお願いすると
「お食事の後にお皿とフォークを合わせお持ちします」
だってさ。(゜゜;)

お部屋で一服し・・・
館内を散策。
中階にあったバルコニーが絶景。


能舞台。(□゜;)


他の階では
エミール・ガレの陶磁器の販売会や
輪島塗の販売会もやっていて
その横では、輪島塗り体験も。


館内探検は40分ぐらいかかり
「兼六園散策より時間かかったね」
と息子と顔を見合わせます。(苦笑)

4階にプールもある。

エントランスから
ホテルの外に出ると
温泉源がいくつもあり
そこを通り過ぎると防波堤。
ドルフィンウォッチングの船が数隻。

釣り具の貸し出しもやっていて
4組ぐらいが釣りをしていましたが
この時期は何やっても釣れないよ~(^^;)

堤防からの加賀屋。


さて、お風呂に入って
晩御飯です。


晩御飯は豪華絢爛。
しかも最上階ラウンジ。

この旅4泊5日の中で
最終日だけ、お宿でご飯。(苦笑)

ケチった甲斐あり
絶景の中の夕食は
とても良い思い出となりました。

こりゃ、日本一と言われるのも
納得です。

食後・・・
ケーキを手渡されて
部屋に戻って
妻の誕生日のお祝い。



ル・ミュゼ・ドゥ・アッシュの
「ガブリ・ペシェ」
ですってよ、奥様。(^^;)

桃が丸ごとで
種の部分をくりぬいて
そこに生クリームが詰まってて
絶品でした。

その後は・・・
4日間の猛暑の中の観光で
皆すぐに爆睡。

つぎの日の朝。
初老の私だけ日の出前に目が覚め
部屋からの景色を堪能。

一人で大浴場の露天風呂に入って
家族を起こして
朝ごはん。



朝ごはんは・・・
今まで泊まった旅館の中で
ダントツNo1です。

米と味噌汁がうめえ。

部屋に帰って荷造り。

チェックアウトの前に
息子と二人で
もう一度、館内を散策。


有名な「加賀友禅」エレベーター。


旅館から出た直後
家族全員一致で
「素晴らしかった~!」
と一言。

贅沢なひと時を
過ごさせてもらいました。

さて、今から・・・
8時間かけて
神奈川に帰りまっせ!!!

つづく