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2021年7月15日木曜日

大島康徳さん

元プロ野球選手の大嶋康徳さんが
2021年6月30日
お亡くなりになりました。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

現在・・・
東京新聞で「この道」を連載中で
今日も朝、読みました。

すでに永眠されているのに
新聞の朝刊紙面で
毎日、大嶋さんが
我々読者に語りかけているのは
なんだか
とても不思議な気持ちで

「ああ、生きているんだな。」

と、思うのです。

活字とは、まさに読んで字のごとく
人や文明が滅んでも
なお生き続けさせるための
ツールなのだなと
強く感じました。

活字の「活」とは・・・

●生きること。生きていること。
●死中に活を求めること。
●気絶した人に意識を取り戻させる術。
●活発なこと。生き生きしていること。
●水が勢いよく流れるように動く、働く、生きる、生かす。

《名》気絶した人の急所をついたりもんだりして生きかえらせること。
転じて、元気を失った人に元気をつけること。

と、辞書に載っています。

文章を書き残すというのは
誰でも出来ることですが
昭和の時代は稀でした。
SNSが普及した現在
このブログのように
誰もが気軽に書き残せて

ネット上で万人が閲覧でき
サーバーが無くならない限り
永遠に残り
読まれ続けるとなると

あらためて・・・
「文字」の持つ
強靭な力とその魅力に
感化されている私です。

その大島さんが書き残した
東京新聞の『この道』より
第86回目を転載します。
(以下、転載)

僕は26年間
プロ野球の世界で
戦ってきました。

努力を重ねても
実るときもあれば
裏切られることもありました。

だからでしょうか?
世の中・・・
出来るものしかできない
なるようにしかならない
だろうと思っています。

生きていて
自分でコントロールできることって
そんなにないと思うんですよ。
だったら・・・
流れる雲のごとく
流れる川のごとく
その時その時を生きる。

それが極意だとおもうんです。

僕は、よく言うんです。
「究極は忘れること」だって。

負けたら悔しいですよ。
打てなかったら自分を責めます。
でも、球場から家に戻る間に忘れる。
一晩寝たら、すっかり忘れる。

それが出来る人は
強いと思っています。

忘れろと言っても
人はなかなか忘れらません。

「あの時、ああしておけばよかった」
「なんであんな間違えをしたんだろう」
ずっと頭の中で
グルグル考えます。

でも間違えない人なんて
いないんです。

そして、いつまでも
そこに居たって
仕方が無いのです。

無理にでも忘れて
次に行く。
それが人生なんです。

見逃し三振した打者は
次の打席で
初球を必ず振るんですね。
これはバッターの心理ですが
それでいいんです。

学校では「よく考えろ」と教えますが
時には深く考えずに
行動することも必要。
ホラも吹くし
空元気も出す。

失敗したことに囚われちゃ
いけないよね。

プロ野球では
『他人のせいに出来る監督は一流だ』
という格言があります。

他人のせいにして忘れるのは
無責任ですが
名言ではありますね。

『忘れ上手は生き方上手』
と言います。

一打席一打席
新たな気持ちで挑むように・・・

良いことも悪いことも
癌になった事さえも
こだわらず
一瞬一瞬を
生きて行けたらと思うのです。

以上
合掌(ー人ー)

「忘れ上手は、生き方上手」

私もこの格言を胸に
ここ10年ぐらい
生きてきてます。

あらためて、良い言葉だと
大島さんのお話で
思い巡らせています。

ありがとうございました。

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