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2019年6月9日日曜日

幸せとは

ブログで紹介するつもりで
切り取った新聞記事が貯まりにたまってきたので
一気にご紹介していきま~す。

まず、その前に・・・

北朝鮮の拉致問題とロシアの北方領土問題。
我が国の首領が「私が必ず解決する」と言い放ち
もう7年ぐらいたちましたかね?
どちらとも、1mmとも前に進んでいません。

北朝鮮に至っては
何もせずにただひたすら米国頼み。
その後、国内向けに言うだけ番長で
選挙が近づいてきたら
無条件で金総書記と会うと言って
北朝鮮報道官から
「面の皮がクマの足の裏よりも厚い。」
と言われる始末。

この表現が言い得て妙で
思わず笑ってしまいましたが
とても笑い事では済まされない面の皮です。

さらにロシアへの対応のまずさを
新聞紙面で指摘されていました。

ロシア経済誌RBは
北方領土交渉に関する記事で
ロシア外交筋の話として
「大統領府の原則は、島の交渉に対し
日本側が受け入れられない条件を出して
日本に拒否をさせることだ」とした。

これは、プーチン氏の対日方針と読み替えてよい。


ロシアの狙いは

領土問題を継続しながら
日本に経済・技術などの分野で協力を拡大させ
外交・安全保障面で日米間にくさびを打ち込むことだ。

日本の外務省は、今年の外交青書から

「北方領土が日本に帰属する」
という日本の原則的な立場を削除したが
自分で自分の首を絞めるに等しい行為だ。

欧米を相手に

戦争をしかけ一歩も引かないロシアである。
弱腰の日本をみせてしまったら
百戦錬磨のプーチンは
日本にもう一段の譲歩を狙って
今後、驚くような圧力をかけてくるだろう。

つまり・・・
北方領土は、解決に向け後退している訳です。(^^;)
でも安倍政権は「やった感」「やってる感」満々。

この今の政府の様子を
とても良く表現した記事がありました。

川崎・登戸で起きた小学生の殺傷事件。
事件後・・・
安倍晋三首相は、緊急閣僚会議を開き
「強い憤りを覚える」
「安全を何としても守らねばならない」
「政府一丸となって早急に取り組む」
と発言。

テレビも新聞も大きく報道した。


こうした緊急閣僚会議は

悲惨な事件が起こるたびに催される
恒例行事のようになっている。

2016年のやまゆり事件の閣僚会議では

安倍首相が
「断じて許せない」
「内閣一丸となって対応する」
と発言。

2018年の結愛ちゃん事件の閣僚会議では

「こんな痛ましい出来事を繰り返してはならない」
「命を守ることを何よりも第一に全ての行政機関があらゆる手段を尽くす」
と語った。

その十か月後・・・

心愛ちゃんの事件が発覚すると・・・
また閣僚会議を開き
「虐待根絶に向けて総力を挙げる」
「あらゆる手段を講じて子供たちを守る」
と述べた。

かっこいいセリフは、すべて官僚の作文。

首相はそれを読んでいるだけだ。

心にもない芝居。


国民に「やっている感」を植え付ける見世物。

それが緊急閣僚会議なのである。

本当に、この内閣の性質を
よく表しているものだと思います。

虐待も無差別殺戮も
北朝鮮もロシアも
財政再建もデフレ脱却も
すべて同じ構図のように思われます。

もう一つ
今の日本の確信を言い表している人がいます。
元農水大臣「山田正彦」さんのです。

現在の日本の構造は
政府の上に米国がいて
さらにその上に巨大な多国籍企業がいる。

他国の巨大企業の利益のために
アメリカは動き
そのアメリカの恐怖におびえ
ただひたすら従う我が国。

主権・主権と威勢のいいことを国内向けに発し
その示しに中国と韓国を口撃し
ただアメリカの傘の下に隠れながら
ロシアのおびえ、言いたいことも言えない。

右翼でもなく
保守でもなく、
民族主義や国家主義ですらない。

今の現状、そう思えてなりません。

そういえば・・・
「しょぼい喫茶店の本」という本が
売れているそうですね。
著者の話が新聞記事にありました。

バイトも続かず転々とし
なんとなく始まってしまった就職活動。
周りに合わせる自分に疲弊し
自分を偽る事への自己嫌悪と葛藤する日々。
そんな中・・・
SNSで様々な人たちと出会い
触発され、助言を受けて
「しょぼい喫茶店」を開業。
現在に至るまでを等身大の言葉でつづっている。

「僕は働きたくなかった。ただただ働きたくなかった。理由はよくわからない。」

から始まる本書に共感することも多いだろう。

自分を偽りながら
出来ないことを無理にするのではなく
出来ることをやっていく。

まずは自分自身と向き合い
出来ないことを素直に受け入れる。
そのうえで
自分でも出来ることを探し
一歩を踏み出す。

「何にも縛られない自由こそが幸せなんだと思っていた。それを確保するだけのお金があればいいと思っていた。でも今はそうじゃない。僕は、自分自身の自由を放棄して得られるものでしか、大切なものを守ることが出来ない。だけど、そのことで僕以外の誰かが幸せになるのなら、それは、僕にとって幸せなことだ。」

こう、最終章にある言葉からは
筆者がたどりついた幸せの価値観を強く感じた。

読了後・・・
無性に「しょぼい喫茶店」に行きたくなり
ビルの二階でカウンター7席のみのお店に訪れた。

確かにしょぼいというのがしっくりとくる。
しかしそこには
様々な人たちからの思いが込められた
小さな小さな幸せの空間があった。

読んでいて、むず痒い内容ですが・・・
これは、人の本能的な部分の確信ですね。

私も自分の子供が出来た前と後では
人格が180度かわりました。
自分の自由を放棄して得たもので
少しでも子供たちを幸せにする。

今、私の動力は、その一点です。

でも、筆者表現は・・・
この自己犠牲は「自分以外の誰か」となっています。
そうなってくると、一気にたちが悪くもなります。

是非、我が国の政治家の皆さんには
「自分以外の誰か」が国外ではなく
我が国民あることを願うばかりです。



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