なんだか、最近、新聞記事に読み入ることが多いです。
東京新聞の「時代を読む」にて、哲学者内山節さんのお話し。
かつて、日本の人々は
全てのものは、奥で、結び合っていると考えていた
見えない世界でつながっている、と
見える世界では「私」は「私」だ
森も木々も一本一本独立しているし
そこには様々な生き物も暮らしている
だが・・・
奥の方ではすべての人間も
自然の生き物たちも
山や岩や川や海も
つながりあう世界をもっていると
考えてきたのである
そしてその「つながりあう世界」を守っているのが
神や仏だと感じてきた
だから「つながり」にトラブルを起こすようなことをすると
神罰や仏罰を受けると
考えられていた
人や自然に対して悪い事をすると
奥の方のつながりあう世界に問題が生じ
それが自分に返ってくる神罰や仏罰ととらえていたものである
不思議に思われるかもしれないが
宗教や信仰は
明治時代に外国語に訳すためにあてられた言葉で
それ以前の日本では、宗教・信仰という言葉は用いられていない
だから、明治以前の日本には
厳密に言えば、宗教も信仰も無かった
「結び合う世界の無事を祈る」こそが、神仏への祈りであり
この祈りを通して
自分たちの生きる世界や
人間のあり方を
つかみとっていただけである
全てのものは、本当に奥の方で結び合っているのか?
そう聞かれたら、困ってしまう
証明できるものでは無い
そうかもしれないし、違うかもしれない
そう答えるほかない
しかし・・・
それが真実かどうかでは無く
「つながりあう世界」の無事を祈りながら暮らしてきた人間たち
その姿に・・・・
私たちが忘れてきた大事なものが
隠されているように感じているだけである。
全てのものは結び合っているという精神を忘れた時
人間たちは
自分の表面的な都合だけで
自然を破壊するようになった
人間同士も
共に暮らしていこうという精神を失った
その結果、バラバラになった個人の社会が出現し
孤立し追い詰められていく人たちが溢れている
私は今の政治には、基本デザインが無いと感じている
人間同士も、自然とも、諸外国とも
無事に「つながり」を造っていく。
その方向性を示すのが、基本デザインであるはずだ
今日の社会のように
全てのつながりを断ち切っていくかのような経済のあり方
それを変える方策を提起する
それが、今、求められている政治のはずだ。
面白いですね。
日本は、古来から「八百万の神」を信じてきました。
森羅万象に神が宿る。
よって、自然信仰ともいわれます。
草木、川、海、魚から熊や鹿、箸にも茶碗にも神様が居る。
だから、全てに全てを粗末にぜず、感謝しなさい。
「生き物や樹木にいたずらをすると祟りにあう。」
モノノケや、お化け・妖怪・・・
今でも息づいている自然信仰です。
「全ては、後ろで繋がっている」
それは、自然の摂理であって・・・
一つでも欠けてしまうと、地球が狂ってしまう。
人は、それを長い年月の中で理解し、培っていた。
こどもの頃に・・・
「物を大切にしないとバチが当たる」
「動物を可愛がらないとバチが当たる」
「亡くなった人を尊ばないとバチが当たる」
良く、親に言われましたね。
バチとは、「罰」を差します。
これも、神道の教えです。
「万物を尊ぶ」
政治家の方々・・・
国会議員の300人に近い方々が、神道の団体に属していらっしゃいます。
安倍総理は、たしか神道政治連盟の会長です。
そして不思議なことに・・・
原子力政策推進の政治家の方々
神道政治連盟に名のある人ばかりです。
なぜ??
山内さんが仰るように・・・
今の政府は、日本人のつながりをつぎつぎに打ち砕いています。
グローバルだとかなんだとか。
原子力の安全神話は消えて無くなりました。
核廃絶と謳う世の中での核発電ですから、安全の訳がないのですが。
今この瞬間も、福島では放射能物質が自然を犯し、人々を苦しませ、大地と海を蝕んでいます。
それなのに、神道政治連盟の方々は、原発を推進している。
なぜ????
どこの神社の宮司さんでも良いです。
解るように教えてください。m(_ _)m
お願いします。
バチが当たりますね?
祟りに合いますかね?
もしかしたら、今我々国民が受けている仕打ちが・・・
祟りなのでしょうか??
やはり、自然信仰を踏み外している張本人が、我々だからでしょうか??
考えさせられます。
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