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2021年7月15日木曜日

大島康徳さん

元プロ野球選手の大嶋康徳さんが
2021年6月30日
お亡くなりになりました。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

現在・・・
東京新聞で「この道」を連載中で
今日も朝、読みました。

すでに永眠されているのに
新聞の朝刊紙面で
毎日、大嶋さんが
我々読者に語りかけているのは
なんだか
とても不思議な気持ちで

「ああ、生きているんだな。」

と、思うのです。

活字とは、まさに読んで字のごとく
人や文明が滅んでも
なお生き続けさせるための
ツールなのだなと
強く感じました。

活字の「活」とは・・・

●生きること。生きていること。
●死中に活を求めること。
●気絶した人に意識を取り戻させる術。
●活発なこと。生き生きしていること。
●水が勢いよく流れるように動く、働く、生きる、生かす。

《名》気絶した人の急所をついたりもんだりして生きかえらせること。
転じて、元気を失った人に元気をつけること。

と、辞書に載っています。

文章を書き残すというのは
誰でも出来ることですが
昭和の時代は稀でした。
SNSが普及した現在
このブログのように
誰もが気軽に書き残せて

ネット上で万人が閲覧でき
サーバーが無くならない限り
永遠に残り
読まれ続けるとなると

あらためて・・・
「文字」の持つ
強靭な力とその魅力に
感化されている私です。

その大島さんが書き残した
東京新聞の『この道』より
第86回目を転載します。
(以下、転載)

僕は26年間
プロ野球の世界で
戦ってきました。

努力を重ねても
実るときもあれば
裏切られることもありました。

だからでしょうか?
世の中・・・
出来るものしかできない
なるようにしかならない
だろうと思っています。

生きていて
自分でコントロールできることって
そんなにないと思うんですよ。
だったら・・・
流れる雲のごとく
流れる川のごとく
その時その時を生きる。

それが極意だとおもうんです。

僕は、よく言うんです。
「究極は忘れること」だって。

負けたら悔しいですよ。
打てなかったら自分を責めます。
でも、球場から家に戻る間に忘れる。
一晩寝たら、すっかり忘れる。

それが出来る人は
強いと思っています。

忘れろと言っても
人はなかなか忘れらません。

「あの時、ああしておけばよかった」
「なんであんな間違えをしたんだろう」
ずっと頭の中で
グルグル考えます。

でも間違えない人なんて
いないんです。

そして、いつまでも
そこに居たって
仕方が無いのです。

無理にでも忘れて
次に行く。
それが人生なんです。

見逃し三振した打者は
次の打席で
初球を必ず振るんですね。
これはバッターの心理ですが
それでいいんです。

学校では「よく考えろ」と教えますが
時には深く考えずに
行動することも必要。
ホラも吹くし
空元気も出す。

失敗したことに囚われちゃ
いけないよね。

プロ野球では
『他人のせいに出来る監督は一流だ』
という格言があります。

他人のせいにして忘れるのは
無責任ですが
名言ではありますね。

『忘れ上手は生き方上手』
と言います。

一打席一打席
新たな気持ちで挑むように・・・

良いことも悪いことも
癌になった事さえも
こだわらず
一瞬一瞬を
生きて行けたらと思うのです。

以上
合掌(ー人ー)

「忘れ上手は、生き方上手」

私もこの格言を胸に
ここ10年ぐらい
生きてきてます。

あらためて、良い言葉だと
大島さんのお話で
思い巡らせています。

ありがとうございました。

2021年7月10日土曜日

やっと、三浦の魅力に気が付いた

ここ最近になり・・・
9月に閉園する
「油壷マリンパーク」が
SNS上で話題として
盛り上りを見せています。

9月末での閉園を惜しんで
訪れる人が
とても増えているそうです。

でも・・・
そんな書き込みの中で
「油壷」が良い所だと
紹介しているのは
とても少ない。(^^;)

個人的に
お気に入りの場所で
子供が小さいころから
我が家は通っており

↓↓8年前のブログ

こんな感じで「穴場」として
何度もこのブログや
その前のココログやシーサーブログで
ご紹介してきました。

だから・・・
油壷マリンパークが
老朽していて
それなのに駐車場料金が高く
「何時閉園してもおかしくないぞ」
というのは
数年前から
我が家の共通認識でした。

10年前には
個人的にこんな提案を
ココブログでしていました。
↓↓

何度も何度も
同じように提案を続けており
↓↓3年前のブログ

横浜でカジノ開発で
大騒ぎしているけど

なぜ、近郊に
こんなに素晴らしい所があるのに
外国企業も日本企業も
政治家も目を付けないのか?

ずっと、不思議でした。
そうしたら・・・
ようやく
本当にようやく
今年の5月に
京急が再開発を発表。



その再開発に伴い
油壷マリンパークが
閉園となる訳です。
素晴らしいです!!!
待ちに待っていました。

3年前に・・・
私がブログで提案した通りの
計画になりますよ!!

京急が発表している
油壷の再開発プランには
こんなワクワクのイラストが
付いています。

(※クリックすると拡大します)

画像元
https://www.keikyu.co.jp/assets/pdf/20210512HP_21026TK02.pdf

まずは2025年に
マリンパーク跡地に
新規施設がOPENするとのこと。

楽しみで仕方ありません。

以前、油壷を
イタリアのアマルフィーのように
出来るのではないか?
と、言いました。

(※画像はワンダートリップさんより)

はたまた
これまた沖縄で一番の観光地になった
「瀬長島ウミカジテラス」
みたいに作りこめば良いと
言いました。

(※画像はリッカドッカさんより)

サンライズからサンセットまで
見れる地形です。
富士山もドンと見えて
こんなサンセットの絶景を見ることが可能です。

(※画像は、たけぞうさんの掲示板より)

三浦半島は、実は凄いポテンシャルを持っているのです。

どうなるか・・・
今から楽しみで仕方ありません。

また、近郊の不動産価格は
数倍に跳ね上がることが
予想されます。

沖縄の本部町周辺は
再開発で何十倍も
土地価格が暴騰をしたのは
有名な話です。

不動産投資をされている方
今、三浦半島が
絶賛、ねらい目ですよ!!!

2021年7月5日月曜日

認知症の預金引き出し

2021年5月31日、東京新聞の「AtoZ」
『変る銀行の認知症対策』を転載します。

人生百年時代への対応として
一つの形を示せた。
全国銀行協会の三毛兼承(MUFG会長)は
今年二月、銀行界の指針を公表した際に
こう述べた。

認知症で意識能力が低下した人は
所有する預金を金融機関に
厳格に管理されてきた。

例えば・・・
本人が親族と同行して銀行に訪れ
「引き出したい」と伝えても
認知機能に疑いがあると
窓口で判断されたら
口座からお金を出すことが
出来なかった。

『預金は預金者本人のもの』
という大前提があるためで
銀行は、認知症の疑いがある預金者
又は、その親族に対し
出金したい場合は
成年後見制度の利用をうながしてきた。

今回の銀行界の『指針』は
こうした運用を緩める内容だ。

具体的には・・・
本人との面談や
担当医への聞き取りや診断書で
『認知症の発症』が確認できれば
後見制度を利用しておらず
代理人に指定されてもいない親族に
「極めて限定的」に
預金の引き出しを認める。

使い道は・・・
本人の医療費や
本人の利益にかなう場合に限る。
投資信託などの解約も認める。

全銀協は、あくまで方針を示しただけで
実際にどう対応するかは
各銀行の判断とするが
いち早く動いたのがMUFGだ。

預金者が認知症になる前に
『代理人』を指定し
発症後に代理人が診断書を提出すれば
預金の引き出しや
株売却などの取引きが出来るサービスを
今年3月に開始した。

代理人は、配偶者や二等親以内の親族で
自治体のパートナーシップ制度の
利用者も認める。

これまでにも各銀行には
本人が指定した代理人に
キャッシュカードを発行し
預金引き出しなどを認めるサービスはあった。

MUFGの例は、
認知症の発症した段階で
初めて代理の効力が生じる点が
特徴となる。

銀行界が従来の姿勢を転換したのは
成年後見制度の利用が
全く進まないためだ。

2020年末に
成年後見制度を利用するのは
約23万2千人。
一方で認知症の人は
約630万人に上り
利用率は、たった3.6%に留まる。

利用率の低迷は
費用や手続きの煩雑さに
問題があることが要因となっている。

親族が後見人に就きたいと
考えても、選ぶのは裁判所の裁判官で
親族が選ばれることは稀で
大半が弁護士や法律の専門職が
選出されている。

本人の資産が多額だったり
相続人などの利害関係者が多い場合は
特にそうだ。
後見人には、月に数万円の報酬を
支払わないければならず
弁護士らを選任された親族は
「なぜ、他人に管理されなければならないのか?」
「なぜ、身内の財産管理に金を払うのか?」
との不満が根強い。

親族が後見人に就いても
年に一度
本人んお財産状況を通帳の写しを添え
裁判所に報告しなければならず
50万円以上の商品購入や
50万円以上のサービスを受ける際は
事前に裁判所に連絡したりといった
手続きが必要となる。

また、親族としての立場より
後見人としての立場が優先されるため
「贈与」を受けることが
一切出来なくなる。


親族が後見人に就き
裁判所の下で本人の財産を
信託銀行や信用金庫から
引き出す制度も利用が進まない。

厚生労働省の推計によると
認知症の人は
2025年には730万人
2030年には830万人
と増え続け
高齢者の2割を超える見通しだ。

認知症の人の金融資産は
去年度時点ですでに
『160兆円』にもおよび
2030年度には215兆円となり
個人が持つ資産の『一割』を占めるという
民間試算も存在する。

これほど多額の資産が
本人の意思が確認できないという理由で
凍結されると、様々な問題が生じる。

第一は・・・
医療費や福祉施設への入居費を
本人の預金では払えず
年金すら引き出せないことだ。
金融機関には
多くの不満が寄せられている。

結果、株式市場などへお金が流れず
消費も先細っていく。

銀行界が対応に乗り出したことを
歓迎する声は多い。
ただ、全銀協もMUFGも
『後見制度の利用』
をうながすのが基本方針で
後見人ではない代理人との取引は
「補完」という位置づけだ。

公的制度を民間が代替えすると
今回の指針には問題点もある。
親族らが引き出した預金を
本人の利益のために使ったか否かを
確認するための仕組みが不十分な点だ。

本人が元気な時に
自ら代理人を選らび
判断能力が低下した場合に
財産管理を託すMUFGのサービスは
仕組みに関しては
法律に基づく任意後見制度と
同じ内容だ。

ただ、任意後見制度は
裁判所が選んだ弁護士なおが監督人に就く。
監督人は、後見人を監視し、
財産目録を定期的に提出させる。
本人の利益を保障するためだ。

これに対し、MUFGは
本人と代理人が委任契約を結ぶこととなるため
銀行が間に入って
使途を制限する事は無いとしている。
全銀協の指針も
本人が選んだ代理人が
本人の利益の為にお金を使うところまでは
求めていない。

金融機関が今回の取り組みを
進めるきっかけとなった大きな一つには
「医療費なのを本人の預金から払いたい。」
「でも実際は出来ない!」
という声だ。

その解決には、金融機関から
支払先に直接、お金を振り込む手段もある。
各信託銀行は有料の
『認知症対策サービス』として
代理人を介さない
直接振り込みのサービスを
設けているところもある。

ただこうしたサービスは
数百万円以上の資産を預ける事が
条件となる。

以上

今・・・
日本には、630万人もの
認知症者がいるのですか。

「日本人は2人に1人が癌になる」
と言われていますが

75歳を日本人が認知症になる確率は
『5人に1人』となる世の中なのだそうです。

自分の親が認知症になるなんて
考えたことがないですが
逆に言うと
長生きをする親を持つ子の5人に1人が
親の認知症に直面することとなる訳です。

ある日突然、母が痴呆になり
多額のお金が必要になっても
親の生活費すら預金口座から
引き出すことが出来なかったら
死活問題ですよね。

ゾッとします。

でも、皆、その事実を知らず
全く認識していない。(^^;)

第二次ベビーブームに生まれた我々。
そして、団塊の世代の親たち。
これからが、超高齢化社会の本番です。

日本国として
立ち向かっていかなければなりません。







2021年7月2日金曜日

認知症


直木賞作家:桜木紫乃さんの絵本
「いつかあなたをわすれても」
が集英社から出版され
とても話題になっているそうです。
(下記、東京新聞の記事を転載します。)


八十一歳の母が認知症になって
五年前についに私の名前を忘れた。

とうとうきたか、と思いつつ
実はあまり悲しくなかったんです。

桜木さんは、そう自身の体験を振り返る。

桜木さんの母は
認知症の今が「一番幸せそう」なのだという。

母の人生は
恵まれているとはいえなかった。
父が家庭向きじゃない人だったし
嫁姑(しゅうとめ)関係でも苦労したし。

私が結婚で家を出たら
グチの相手がいなくなって
体調を崩してしまったほど。

それが今は
「毎日パパが家に帰ってくる!」
と無邪気に喜んでいる。

母は誰かを悪く言うこともなくなり
負の感情から解放された。

本当に良かったなって思うんです。

絵本も「さとちゃん」と呼ばれる
高齢女性が認知症になり
娘の名前を忘れる設定だ。

物語は、孫娘の視点から語られる。

名前を忘れられても
「悲しくないし、悲しくなかったことに驚いている。」
と母が話すのを聞いて
「なぜ?」と驚く孫娘。

物語が進むにつれ、その理由が明かされる。

さとちゃんが
みんなのことを
わすれる日は
わたしたちとのおわかれを
こわがらずに
かなしまずに
すむ日

桜木さんの母のように
さとちゃんは忘れることで
人生の荷物を
ひとつずつ下ろす

それは『お別れの準備』なのだと。

桜木さんは
最初に娘の視点で書いたら
自分と近すぎて
濃すぎるスープみたいな文章に。
孫娘の視点に変えたら
ちょうどいい距離感になったと笑う。

小説と違う執筆作業は
新人時代のように
編集者からダメ出しの連続だった。

いかにそぎ落とすかに
苦心した。
五十代半ばにして
新しい挑戦ができてよかった。

そして、桜木さん自身
母親に忘れられたという
『子としての戸惑い』
はあった。

執筆しながら
『その戸惑いをどこに落ち着けるか』
を考えたという。

桜木さんは
母娘が紡いできた歴史を
一枚の絵にたとえる。

母とその長女である私は
半世紀かけて
一緒に絵を描いてきた。

母が認知症になって
絵が完成に近づき
『余白』
がはっきりした。

母が完全に私を忘れたら
たとえ母が生きていても
絵は完成なの。

と話す。

そして同じたとえは、
桜木さんと娘にも通じる。

今・・・
私と娘が
えがいている絵は
どんな感じかなあ?

と、想像します。

桜木さんがこの絵本を通じて
自分の母に贈りたかったのは

「私を忘れていいよ。」
「忘れた方が寂しくないから。」
「そして忘れても怖くないから。」

という思いだという。

絵本で、さとちゃんの娘は、
自分の将来について
わが子にこう語りかける。

もしも
いつかあなたを
わすれる日がきても

わすれてしまうあれもこれも
みんな
なかったことでは
ないのだから
あんしんしてね

これは
たいせつな
たいせつな
わたしたちのじゅんばん

以上
※2021年5月24日の東京新聞より

「めからうろこ」です。

自分の目を覆い
視界を塞ぎ
思考を停止させていた
うろこが
ポロッと剥がれ落ちました。

なるほど!
なるほど。

なるほど・・・

ちなみに・・・
めからうろこという言葉は
『旧約聖書にある言葉』
なんだということも
このブログを書いていて
初めて知りました。

もとの語源は・・・

『The scales fall from one's eyes』

なんですって。
(余談です。)

2021年6月25日金曜日

子供の宿題への向き合い方

最近の学校は
毎日、宿題が出るのでのですね。

私の子供のころは
宿題をやったという記憶が
どう思い返しても
無いのですが・・・

我が子たちは
毎日、学校から宿題を持ち帰ってきます。

そして、それが原因で
家の中では
日々、妻の怒鳴り声が響きます。

遊びに行く前に
「宿題やってからにしな。」
ご飯を食べる前に
「宿題はやったの?」
ゲームやる前に
「いいかげん宿題やりなさい!」

そして、毎日の最後は
寝る前に・・・
「あなた宿題はやったの?」

という確認となります。

私に似ている息子は、自分で率先して
妻を恐れて、さっさとやるタイプですが

妻に似た娘は、反抗します。
徹底的に反発します。
言われても、やりません。
絶対に。

寝る前に確認され
娘「明日の朝やるからっ!」
妻「はぁ?」
娘「眠いから無理!」
妻「あれだけ言ったのに?」
娘「おやすみなさい」
妻「寝る前にやれ!」

ほぼ毎日の出来事です。(苦笑)

妻のお母さんが以前・・・
我が娘を見て
こんなことを妻に言ってました。

「あんたの子供のころソックリ!」

因果応報です。

ちなみに私は、子供達に
「宿題をやりなさい!」
とは、一度も言ったことがありません。

だって・・・
学校で6時間も我慢して
固い椅子に座り続け
小っさい机に
ただただ縮こまっていた子ですよ。

家に帰ってからも
勉強って、理不尽だと思いません?

個人的には、
メイ一杯好きな事をやればいいと思うのです。

でも、妻は先生から直接
「宿題をやってこない」
と、注意を受けたりしており
放任するわけにはいかないようで。


そこで妻は、娘が帰ってきたら
自分の目の前に座れせ
監視のもと、宿題をやらせます。
そして・・・
問題を前に長い時間考え込んでしまう娘に
答えを教えてしまいます。

それを見た私は
「教えちゃだめだよ」
と口をはさみます。
そうすると妻
「じゃあ、どうすればいいのよ!?」
と、半ギレ。

「間違えるのも勉強なんだから」
「自分が思う答えを書かせな」
「間違えを見て、先生がこの子はここが解らないのかと理解するんだから」

と、言おうものなら
娘に対してイライラを募らせた妻の火山が
私に向けて「ドンッ!」と噴火します。

だから、触らぬ神にたたりなし。
最近は見て見ぬふり。(^^;)

そんな中、東京新聞に
下記記事がありました。

まず一つ目
岡崎勝先生の「子供ってワケわからん」より

子供が遊ぶのは必然。授業中だって先生の声にかまわず遊びます。
「どうしたら授業中に集中してくれますか?」と、若い先生によく聞かれ答えに迷います。

消しゴムを小さくしたり、落書きをしたり、折り紙を折ったり、手紙を書いて回したり、ダンゴムシをペンケースに入れて飼育したり、色々と遊びます。
しかし『それが子供なんだよ!』と思います。
それでいいじゃないかとは
言いにくいですが、遊びたい気持ちを抑えることは出来ないよなと思います。

集中できない理由は色々です。
学習している内容は分っている。問題も出来るので聞くのが面倒くさい。
逆に理解できないし、聞いていても分らないという意欲低下です。
さらに課題の作業が単純で面倒臭い時もあるでしょう。
でも、一番の理由は「こんな楽しいことをやるのは今でしょ!」という事です。
遊びには集中できます。休み時間であろうと授業中であろうと、遊んでいる子供の顔はいつも輝いています。
私は、授業中でも遊んでいる子供を見ると「楽しそうだなあ」と思って力が抜け、笑ってしまいます。

遊ぶ時のドキドキワクワクは、
子供にとって何にも代えがたい大事な物なのです。
私は、しかたなく「あのさあ、そろそろノート開いてくれない?」と言うと「しょうがないなあ~。」という顔をして子供達は授業に付き合ってくれます。

以上
素晴らしい先生ですね。
こんな先生に担任になってほしい。

遊びを制してはダメ。

私は、宮崎駿さんが著書で仰るように
『子供は、遊ぶのが仕事』
というのが信念なので
小学生の内は勉強なんてしなくて良いとまで考えます。
以下、宮崎さんのお言葉

大人になると人間は不自由になるけど、子供の頃はずっと自由だというモノの考え方があったと思うんですよね。
けど、いつのまにか子供時代というのは、大人の時代のための投資の時期だというふうになってしまったんです。
その先行投資が、今ことごとく裏目に出てしまってるんです。
子供たちのことが多分僕らの一番の大きな失敗じゃないかな。
大失敗ですよ。はっきり。

子供時代というのは、大人になるためにあるんじゃなくて、子供のときにしか味わえないものを味わうためにあるんだと思う。
子供時代の5分間の体験というのは、大人の1年間の体験よりも勝るんですよ。
トラウマもその時にできる訳でね。
個性とかなんとか言いますけど、個性なんてその子供時代の経験から育つもんです。
はじめから個性がある訳ではないんです。
ですから個性を伸ばすとかなんとかいろいろ言いますけど、そういうのは止めて子供を一回大人の監視下から解放する、そうすれば遊び場がなくても子供は遊びます。

それから僕らの仕事もそうですけど、アニメーションとかゲームとか色んなことを言いながら、金を稼ぐ為に子供たちを相手にしている商売を法的に規制するしかないと思うんです。

子供時代に先行投資すれば、その後で大変な配当になって戻ってくるというのは錯覚でしょうね。これは自分自身がつまらない人生を送っている親の、勝手な幻想じゃないかと僕は思うんですけども。

自分の周りにいる子供たちと夏、山小屋で付き合ったりして「良い子だなぁ」と思もった子が、小学校2年生になった途端『九九』が出来なくて悩んでるって聞かされるんです。
そうすると僕は頭に血が上るんです。
「なんでこんな幼い子に九九を教えなきゃいけないんだ」って。
何年か経てばすぐ覚えられますよ。
なんでこんな小さな魂に「覚えなければ、お前は一人前の大人になれないんだ、一人前の子供じゃないんだ」みたいに脅すんだろうって。
その子の小学校二年生のもっと豊に暮らせるはずの時間を、それで奪ってしまってるんだと思うんですね。

まず、つまらない校長先生の話しを聞くためになぜ朝礼をするのか?
人前で話をしたい人の為に朝礼があるんだと僕は思うんですけど…

子供の頃、一体何を覚えなきゃいけないということですよね。
そしたら読み書きとそろばんですよね。
それから一定の社会常識です。
それをまず義務教育の中でわかる様にしてやればそれでいいんだ、という考え方に戻せば、子供たちはずっと楽になるんです。
とにかく、ドンドン肥やしをやって、水をかけて陽にさらせばいくらでも植物は伸びるんだということは、嘘だということですね。

人間という生き物は(精神的に)とても壊れやすく、もっと不思議な力を持っていて、もう少し野放しにしてあげた方が、実はちゃんと育つんだという当たり前の事にね、気が付けば良いんです。

以上

本当にごもっとも!
宿題なんていう、半強制的なものを
学校が出して、子供にプレッシャーを与えるのは
辞めてほしいと思うのです。

こんなことを言うと
妻に怒られますので
この辺で辞めておきます。

そして、またまた東京新聞紙面にて
数学の専門家である谷口隆さんの
とてもとても「ためになる」お話。

「3+1=5」。
子どもが足し算の問題にこう答えたら、学校の先生も保護者も、普通は「×」を付けるだろう。ところが、「○」にした数学者がいる。

神戸大大学院理学研究科教授の谷口さんだ。
当時3~4歳で、足し算を覚えて間もなかった娘に口頭で尋ね、「5」という答えを「そうだね、5だね」と○にした。正解の「4」も教えなかった。

谷口さんは「答えは一応3より大きいし、また7や8のような見当外れの数でもない。何より、それまで指を使って足し算をしていた娘が、初めて指を使わずに導いた答えだった」と振り返る。「いずれ足し算はできるようになる。指を使わずに足すという新たな一歩を大切にしたかった」

現在は小学生の長女、幼稚園児の長男の2児の親でもある谷口さん。
算数に取り組む2人の様子を観察し、誤答にも常に理由があり、部分的には正しい推論をしていることに驚いた。
こうした発見を、近著『子どもの算数、なんでそうなる?』でも紹介している。

子どもは考えた答えを誤りだと否定され、正解だけを押しつけられるうち、自分で考える意欲を失っていくという。谷口さんは「ある時点で誤った認識をしていても、月日がたち、学びが深まるにつれて、自ら誤りに気付いて修正する力が子どもにはある」と話す。

長い目で見て算数の力をつける上で大事なのは、自分の頭で考える姿勢だという。
谷口さんは「自分で考えてたどり着いた答えは、正誤にかかわらずすてきなもの。正解を教えたり、誤りを訂正したりするのに躍起になるのではなく、子どもが考えた道筋を一緒に楽しんで」と訴える。

「現時点だけを見て『この子は算数が苦手』と決めつけたり、口にしたりするのは避けてほしい」とも。
心身の発達と同じように、算数の学び方や進度には個人差がある。
「その子が自分なりのペースと関心の持ち方で学んでいるのであれば、焦らなくて大丈夫。大事なのは、一人一人が自分に合った形で算数を学んでいくこと。それこそが本人にとって糧となる」と話す。

以上

我が家にも
この考えを浸透させようと思います。
素敵です。