最近、個人の更地の取引が活況となっています。
「更地」とは・・・
建物も庭木も無い土地を指します。
以前は、我々が買い取る不動産は100%古屋付でした。
古屋付で買い取り、我々が手間をかけて解体し更地にしていました。
しかし最近は、個人の売主が古屋を取り壊すケースが多く
我々は、個人の方から、更地で土地を買い取ります。
解体費用は、バカになりません。
30坪程度の家の場合、更地にするには
税込で200万円前後を要します。
なぜか?
理由は、一昨年の4月1日に施行された
「空き家に係る譲渡所得の特別控除の特例」
によるものです。
今、鎌倉でも空家が問題化しています。
40~50年前に分譲された住宅地では
ところどころに人の住んでいない空家が目立ち
庭木が荒れ、街全体の景観や雰囲気を乱しています。
その対策として政府が打ち出したのがこの優遇措置です。
親から相続した家屋又は家屋付土地を平成31年12月31日までの間に
『引き渡し前に建物を耐震リフォームする』か
『引き渡し前に古屋を解体する』か
どちらかを行った後、売却した人が対象となります。
譲渡所得の金額から3,000万円を控除することが出来るのです。
詳細要件は、下記の通りです。
①相続の開始の直前において、被相続人の居住の用に供されていた家屋
②昭和56年5月31日以前に建築された家屋(区分所有建築物を除く。)
③相続の開始の直前において、被相続人以外に居住をしていた者がいなかった
④相続後~譲渡の時まで事業用、又は賃貸していない
⑤相続日から起算して3年以内の譲渡
⑥譲渡価格が一億以下
簡単に言うと・・・
親からの相続した不動産を売る場合は、長期譲渡所得となり
売ったお金に対し、税率が20.315%かかります。
売却額から3000万円を特別控除できるので
単純に・・・
3,000万円×20.315%=6,094,500円
という考えてOKです。
最大で600万円超の税金を払わなくて済むこととなります。
30坪の古屋があり、150万円で解体した場合
解体費の150万円も売却のための経費として認められるので
最大で約480万円の得をすることとなります。
ということで・・・
今、解体屋さんが大忙し。
売ることが前提の次元減税なので、賛否ありますが
一昨年、相続税が大幅増税された後
多くの人が相続税を払う事になったため
税金を払うために不動産を売る事になっています。
その結果、多くの人がこの特例の適用を受け
更地にして、家を売却しているのが現状です。
相続税増税の時、皆無関心でしたが・・・
いざ、親の家を相続したりするとき、ええっと成る訳です。
これからも、様々な税金が上がっていきます。
上げられて、徴集された税金・・・
何に使われてます?
モリカケなんて、小さい小さい。
アフリカのODAに3兆円?
アメリカの欠陥ヘリコプターに3千億円?
アメリカの戦闘機の7千億円?
東京電力への援助に10兆円?
そこに日本の国民は全く興味がないのでして。
税金を取られるだけ取られ
こんな特例で「政府に感謝」する矛盾。
だれも口にしないから、不思議です。
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2018年4月9日月曜日
2018年4月8日日曜日
モハメドゥスラヒ
紹介しようとおもって切り抜いておいていたのに
すっかり机の肥やしとなっていた新聞記事があったので
発見した今日、ご紹介します。
東京新聞2017年12月12日「笑い命さざめく」より
グアンタナモからの生還『自由になるために、許す』
祈りを唱える母の姿と自宅の青い門が・・・
小さくなっていく。
警察へ向かう車のドアミラーに映るその光景は
モハメドゥ・スラヒの脳裏に今も深く刻まれている。
2001年9月に起きた米中枢同時テロの後
中東やアフリカで拘束された数百人が
キューバのグアンタナモ米軍基地にあるテロ容疑者収容施設に送られた。
その一人、モーリタニア人のモハメドゥは
CIAに国際テロ組織アルカイダ関係者と決めつけられ
15年もの間、拷問と監禁に耐えた。
昨年10月に解放された時・・・
母は病死していた。
「全てを許します。神がわれわれを許されますよう。」
生還後の第一声だった。
46歳のモハメドゥは
サハラ砂漠の国モーリタニアで、遊牧民の家系に生まれた。
12人きょうだいの9番目。
600ページ余りのコーランを暗唱する神童だった。
奨学金を得て17歳でドイツの大学に留学。
電気工学を学び、12年後の00年に帰国し、技師となった。
しかし、米国が人生を変えた。
モハメドゥには、CIAが目を付ける条件がそろっていた。
アラブ人、高学歴。
米ソの代理戦争が続いたアフガニスタンで
まだ米国と協力関係にあったアルカイダから
戦闘訓練を受けていた。
米中枢テロの2カ月後、地元警察の要請で出頭し、CIAに引き渡された。
02年8月、グアンタナモにひそかに移送された。
「テロとは無関係だ。」と裁判で主張できる。
米国への期待は、夢にすぎなかった。
抵抗の意志をくじき「自白」させる手段に、鎖と拷問、屈辱が使われた。
ハンストであらがう者。精神に異常を来す者。
収容者の大半は非戦闘員で12歳の少年や80代の老人もいた。
モハメドゥは、証拠もないのに身柄を渡した自国政府を憎んだ。
生きている、と母に伝えたかった。
03年5月ごろ、モハメドゥへの拷問が激化した。
ラムズフェルド国防長官が「特殊尋問」を承認したのだ。
「アルカイダの勧誘者と認めろ」と、昼夜の尋問が70日間。
長時間の殴打、低温の部屋への放置。
女性兵士2人に性的暴行をさせ、祈りを唱えるモハメドゥをあざ笑った。
だが兵士は命令を拒否できず、嫌々やっていることに気付いた。
「この経験に一生、苦しむだろう。」と同情した。
しかし、心身が限界だった。
家族の声が聞こえ、指先に血がにじむまで髪を抜いた。
海水を飲ませ殴る拷問と、母を連行するという脅迫で全てに同意した。
04年が終わる頃だ。
待遇が変わった。
隔離監禁だが、新たな看守の米兵らは人間的だった。
在米で36歳の元看守スティーブン・ウッドは
モハメドゥに初めて会った日の驚きを覚えている。
「極悪人」という情報を一瞬で否定した笑み。
二人の間の境界が消えた。
人生や宗教を議論し「初めての女性」を明かし、散髪し合った。
うなされるモハメドゥを慰めた時に、拷問の事実を知った。
自分が命じられていたら?
「ゾッとする。」とウッドは言う。
05年6月、米国人弁護士が面会に来た。
モハメドゥが人身保護請求を申し立てた後だった。
「叫びが通じた!」
看守らから学んだ英語で、弁護士宛てに手記を書いた。
5年後、連邦地方裁判所は釈放を命じた。
だが米政権が控訴。
モハメドゥは絶望し、誰とも話さなくなった。
中国の老子や禅の本を読み、自身と対話した。
グアンタナモで非人間的な行為が横行していると・・・
米国で批判が起きていることは、知る由もなかった。
弁護士らが15年に出版にこぎ着けたモハメドゥの手記は
波紋を広げた。
収容所の実態、著者のユーモアや人間への好奇心、内なる善と悪の攻防。
検閲による数千カ所の黒塗りが衝撃を深め
ニューヨークでは朗読会も開かれた。
元主任検事は「拷問による自白。」と無実を証言した。
解放の日は突然、来た。
米軍機が降りたモーリタニアの首都ヌアクショットの空港には
米国大使もいた。
青い門をくぐり、自宅で報道陣と歓喜する家族に囲まれ
モハメドゥは、ぼうぜんとしていた。
それから約10カ月後の今年8月。
首都で会ったモハメドゥは、朗らかだった。
看守に人気だったヒップホップを歌い冗談を言いミント茶のお代わりを気遣う。
ふと「頭痛がひどい」とつぶやく。
拘禁の後遺症で、何種類もの薬が欠かせない。
なぜ、それでも許すのか。
「憎しみに支配されたくないから。」
憎しみは頭の中で『敵』に力を与え、自分を奴隷にする。
「許すのは自由になるためだ。」
まっすぐな目でそう答えた。
「神のご加護を。」郊外の砂丘で、モハメドゥは砂に書く。
風が少しずつ砂丘の形を変えながら、アラビア文字も足跡も消していく。
辺りが夕日に染まる。
「砂漠の平和が好きだ。」
『敵』の善意も引き出したあの笑みで、モハメドゥは言う。
米軍は、世界各地に秘密の軍事施設を持つ。
英国の人権団体によると・・・
グアンタナモには、約780人が送られたが
その中で有罪判決を受けたのは、たった9人だけ。
「米国人にも良くない。多額の税金で復讐者をつくりだしている。」
とモハメドゥ。
拷問には同盟国兵士も従事したという。
アメリカという合衆国が、どういう国なのか?
CIAがどれほど恐ろしいのか?
思い知らしめてくれる記事でした。
そして・・・
モハメドゥ氏の言葉の深さに感服します。
現代社会において
15年もアメリカより投獄され・・・
無実の罪で拷問を受け続けた筆者。
その記憶は生涯消えることが無いはずです。
でも・・・
自分が自由になるために
己の中の憎しみを開放し、すべてを許す。
人は、なぜテロリストになるのか?
その理由にも、深く踏み込んでいます。
アメリカがテロリスト(復讐者)を作り出している。
アルカイダも、アメリカが作り出したという現実。
それに対し、無条件賛同する我が国。
考えさせられます。
すっかり机の肥やしとなっていた新聞記事があったので
発見した今日、ご紹介します。
東京新聞2017年12月12日「笑い命さざめく」より
グアンタナモからの生還『自由になるために、許す』
祈りを唱える母の姿と自宅の青い門が・・・
小さくなっていく。
警察へ向かう車のドアミラーに映るその光景は
モハメドゥ・スラヒの脳裏に今も深く刻まれている。
2001年9月に起きた米中枢同時テロの後
中東やアフリカで拘束された数百人が
キューバのグアンタナモ米軍基地にあるテロ容疑者収容施設に送られた。
その一人、モーリタニア人のモハメドゥは
CIAに国際テロ組織アルカイダ関係者と決めつけられ
15年もの間、拷問と監禁に耐えた。
昨年10月に解放された時・・・
母は病死していた。
「全てを許します。神がわれわれを許されますよう。」
生還後の第一声だった。
46歳のモハメドゥは
サハラ砂漠の国モーリタニアで、遊牧民の家系に生まれた。
12人きょうだいの9番目。
600ページ余りのコーランを暗唱する神童だった。
奨学金を得て17歳でドイツの大学に留学。
電気工学を学び、12年後の00年に帰国し、技師となった。
しかし、米国が人生を変えた。
モハメドゥには、CIAが目を付ける条件がそろっていた。
アラブ人、高学歴。
米ソの代理戦争が続いたアフガニスタンで
まだ米国と協力関係にあったアルカイダから
戦闘訓練を受けていた。
米中枢テロの2カ月後、地元警察の要請で出頭し、CIAに引き渡された。
02年8月、グアンタナモにひそかに移送された。
「テロとは無関係だ。」と裁判で主張できる。
米国への期待は、夢にすぎなかった。
抵抗の意志をくじき「自白」させる手段に、鎖と拷問、屈辱が使われた。
ハンストであらがう者。精神に異常を来す者。
収容者の大半は非戦闘員で12歳の少年や80代の老人もいた。
モハメドゥは、証拠もないのに身柄を渡した自国政府を憎んだ。
生きている、と母に伝えたかった。
03年5月ごろ、モハメドゥへの拷問が激化した。
ラムズフェルド国防長官が「特殊尋問」を承認したのだ。
「アルカイダの勧誘者と認めろ」と、昼夜の尋問が70日間。
長時間の殴打、低温の部屋への放置。
女性兵士2人に性的暴行をさせ、祈りを唱えるモハメドゥをあざ笑った。
だが兵士は命令を拒否できず、嫌々やっていることに気付いた。
「この経験に一生、苦しむだろう。」と同情した。
しかし、心身が限界だった。
家族の声が聞こえ、指先に血がにじむまで髪を抜いた。
海水を飲ませ殴る拷問と、母を連行するという脅迫で全てに同意した。
04年が終わる頃だ。
待遇が変わった。
隔離監禁だが、新たな看守の米兵らは人間的だった。
在米で36歳の元看守スティーブン・ウッドは
モハメドゥに初めて会った日の驚きを覚えている。
「極悪人」という情報を一瞬で否定した笑み。
二人の間の境界が消えた。
人生や宗教を議論し「初めての女性」を明かし、散髪し合った。
うなされるモハメドゥを慰めた時に、拷問の事実を知った。
自分が命じられていたら?
「ゾッとする。」とウッドは言う。
05年6月、米国人弁護士が面会に来た。
モハメドゥが人身保護請求を申し立てた後だった。
「叫びが通じた!」
看守らから学んだ英語で、弁護士宛てに手記を書いた。
5年後、連邦地方裁判所は釈放を命じた。
だが米政権が控訴。
モハメドゥは絶望し、誰とも話さなくなった。
中国の老子や禅の本を読み、自身と対話した。
グアンタナモで非人間的な行為が横行していると・・・
米国で批判が起きていることは、知る由もなかった。
弁護士らが15年に出版にこぎ着けたモハメドゥの手記は
波紋を広げた。
収容所の実態、著者のユーモアや人間への好奇心、内なる善と悪の攻防。
検閲による数千カ所の黒塗りが衝撃を深め
ニューヨークでは朗読会も開かれた。
元主任検事は「拷問による自白。」と無実を証言した。
解放の日は突然、来た。
米軍機が降りたモーリタニアの首都ヌアクショットの空港には
米国大使もいた。
青い門をくぐり、自宅で報道陣と歓喜する家族に囲まれ
モハメドゥは、ぼうぜんとしていた。
それから約10カ月後の今年8月。
首都で会ったモハメドゥは、朗らかだった。
看守に人気だったヒップホップを歌い冗談を言いミント茶のお代わりを気遣う。
ふと「頭痛がひどい」とつぶやく。
拘禁の後遺症で、何種類もの薬が欠かせない。
なぜ、それでも許すのか。
「憎しみに支配されたくないから。」
憎しみは頭の中で『敵』に力を与え、自分を奴隷にする。
「許すのは自由になるためだ。」
まっすぐな目でそう答えた。
「神のご加護を。」郊外の砂丘で、モハメドゥは砂に書く。
風が少しずつ砂丘の形を変えながら、アラビア文字も足跡も消していく。
辺りが夕日に染まる。
「砂漠の平和が好きだ。」
『敵』の善意も引き出したあの笑みで、モハメドゥは言う。
米軍は、世界各地に秘密の軍事施設を持つ。
英国の人権団体によると・・・
グアンタナモには、約780人が送られたが
その中で有罪判決を受けたのは、たった9人だけ。
「米国人にも良くない。多額の税金で復讐者をつくりだしている。」
とモハメドゥ。
拷問には同盟国兵士も従事したという。
アメリカという合衆国が、どういう国なのか?
CIAがどれほど恐ろしいのか?
思い知らしめてくれる記事でした。
そして・・・
モハメドゥ氏の言葉の深さに感服します。
現代社会において
15年もアメリカより投獄され・・・
無実の罪で拷問を受け続けた筆者。
その記憶は生涯消えることが無いはずです。
でも・・・
自分が自由になるために
己の中の憎しみを開放し、すべてを許す。
人は、なぜテロリストになるのか?
その理由にも、深く踏み込んでいます。
アメリカがテロリスト(復讐者)を作り出している。
アルカイダも、アメリカが作り出したという現実。
それに対し、無条件賛同する我が国。
考えさせられます。
2018年4月7日土曜日
五月病
五月病という表現があります。
言葉自体はメジャーですが
あまり深くは考えたことが無く
ふざけて「五月病だろ」などと言い合うぐらいで
実際、どんな病気かはあまり理解はしていません。
今、まさにこの時期が・・・
五月病の感染期なのだそうです。
入学と就職をする4月。
学校や会社など環境が180度変わり、その変化についていけない。
慌ただしい日々に流され、心が呑まれ平静を保てなくなる。
一人暮らしを始め、孤独にさいなまれる。
色々なケースがあるそうです。
大抵の人は、変化を自分で消化し
3か月程度で環境になれるのだとか。
しかし、新成人の中の何パーセントかは、それが出来ない。
そうなると、1ヶ月程度で心が折れてしまう。
結果、学校を休む。仕事を休む。
4月に入社・入学し、1か月後の5月に発症する。
だから「5月病」なのですね。
私の身の回りでも、5~6月ごろ、毎年こんな話を聞かされます。
「新たしく雇った若い衆が、もうやめちゃったよ。」
「新卒の子が、お腹痛いと中々会社にこない。」
すぐに辞めてしまう新入社員、社会問題化してます。
今年の新成人は、123万人。
高校生の新入学数は、約100万人。
中学生の新入学数は、約110万人。
(大学生はさすがに五月病はないのかな?)
そのうち2%が五月病になっただけでも
6万6千人超という凄い数になります。
さらに、五月病は子供だけの問題ではなく・・・
30代や40代のサラリーマンにも多く発症し
そのほとんどが鬱病と診断されるのだとか。
さらに、この時期、お母さん達も危険なんですって!!
(下記東京新聞記事より)
初めてのお子さんが受験したり入学したりした家庭では
気候の変化で女性特有の生理的な体調不良がありながら
重度の花粉症に苦しみ
その中で受験や卒業を終え、一息つく間もなく新しい生活が始まる。
子供の通学の準備や弁当作り、PTAや町内会・・・etc
さらに子供の様子に気をかけるなど
「過緊張」状態が続き、その疲れを抱えたまま大型連休に入る。
そこでも、張り切って旅行を計画して家族で出かけ
その先で、原因不明の心身不調に陥るケースが多々ある。
(竹上順子さん)
ほほ~
トリガー(引き金)は、大型連休なんですね!!
知らなかった。
心身共に疲労した中で、1週間の大型連休。
ここで発症するのかぁ~。
疲労回復のための休日が、「継続性の遮断」になってしまうのですね。
面白い話があります。
農家の人たちは、とても長生きです。
田舎の個人農家は、皆、80歳を超えても元気で健康。
朝から野良仕事をして、自分の足で歩き、モリモリ食べる。
ピンピンコロリを実践する方々です。
その理由は何か?
それが「継続性」なのだそうです。
小規模農家は、365日、畑や田んぼと向き合います。
仕事を続ける限り、毎日、畑に通い・・・
土の状況を確認し・肥やしを捲き、耕し
種をまき、水をやり、虫を退治し、草むしりに腰を折り
収穫したら、脱穀、洗浄・加工等に精を出し
収穫物を人様に売るものと己が食べるものに分け
自ら食べるものは、干して、漬けて、手間暇かける。
このあたり前のように続けてきた日常が・・・
確実な「継続性」となり、人の心を平穏に保つのですって。
同じことを続け、変わらない日常を過ごす大切さ。
その日常の生活の一部として仕事が存在する強さ。
これが・・・
個人農家のおじいちゃんおばあちゃんの健康の秘訣なのです。
この話を聞いて、長年の疑問がひとつ解けました。
なぜ、成功した芸能人やスポーツ選手は
大金を手にした後、幸せにならずに身を滅ぼすのか?
なぜ、稼いだ後に麻薬や薬物に手をだし
心身ともに蝕まれ、身を滅ぼすのか?
その原因は、お金に物を言わせ
自分の生活環境を一変させてしまうからなんですね。
馴れ親しんだ地を捨て、都内の高級住宅地に豪邸を建る。
都心の高層タワーマンションに引っ越す。
食べる物から着る物まで、すべて高級なものへ変える。
子供の通う学校を一流私立にして、ママ友まで変わる。
人付き合いも一変し、遊ぶ人も場所も変わる。
体をその環境に押し込んでも・・・
心が付いて行けない。
そんな人が薬物に手を出すのですね。
身と心のギャップを埋めるために。
大っ嫌いな細木数子が10年前ぐらいに言っていました。
「人を支えるのは、衣・食・住です。」
長年、慣れ親しんだ物は「継続」してきたものです。
その衣・食・住の継続性を断ち切ってしまうと
生活の基盤が崩れる。
そうなってしまっては、金がいくらあってもダメなんですね。
人間って。
日々、異なる仕事をしている我々。
大きなプロジェクトをするサラリーマンも大変ですね。
数か月の都度で仕事の切れ目があると
継続性は失われ、何度も相応の対応力が求められ・・・
出張や転勤を数年おきに繰り返す。
新しい仕事が始まる都度、自分を奮い立たせたりしていると
ひょんなきっかけで、心が折れてしまうのです。
でも、そこで家族がいれば、折れそうな自分を支えてもらえる。
家族も、重要な継続性の一つです。
「継続は力なり」という言葉。
単純に続けることが良いことと捉えられていますが
中々深いですね。
色んな意味を持ち合わせているように思えてきます。
とにもかくにも・・・
もうすぐ、魔のゴールデンウィークです。(笑)
我が家も気を付けなければなりません。
といっても、我が社にゴールデンウィークがあるのか?
そこが大きな問題です。
言葉自体はメジャーですが
あまり深くは考えたことが無く
ふざけて「五月病だろ」などと言い合うぐらいで
実際、どんな病気かはあまり理解はしていません。
今、まさにこの時期が・・・
五月病の感染期なのだそうです。
入学と就職をする4月。
学校や会社など環境が180度変わり、その変化についていけない。
慌ただしい日々に流され、心が呑まれ平静を保てなくなる。
一人暮らしを始め、孤独にさいなまれる。
色々なケースがあるそうです。
大抵の人は、変化を自分で消化し
3か月程度で環境になれるのだとか。
しかし、新成人の中の何パーセントかは、それが出来ない。
そうなると、1ヶ月程度で心が折れてしまう。
結果、学校を休む。仕事を休む。
4月に入社・入学し、1か月後の5月に発症する。
だから「5月病」なのですね。
私の身の回りでも、5~6月ごろ、毎年こんな話を聞かされます。
「新たしく雇った若い衆が、もうやめちゃったよ。」
「新卒の子が、お腹痛いと中々会社にこない。」
すぐに辞めてしまう新入社員、社会問題化してます。
今年の新成人は、123万人。
高校生の新入学数は、約100万人。
中学生の新入学数は、約110万人。
(大学生はさすがに五月病はないのかな?)
そのうち2%が五月病になっただけでも
6万6千人超という凄い数になります。
さらに、五月病は子供だけの問題ではなく・・・
30代や40代のサラリーマンにも多く発症し
そのほとんどが鬱病と診断されるのだとか。
さらに、この時期、お母さん達も危険なんですって!!
(下記東京新聞記事より)
初めてのお子さんが受験したり入学したりした家庭では
気候の変化で女性特有の生理的な体調不良がありながら
重度の花粉症に苦しみ
その中で受験や卒業を終え、一息つく間もなく新しい生活が始まる。
子供の通学の準備や弁当作り、PTAや町内会・・・etc
さらに子供の様子に気をかけるなど
「過緊張」状態が続き、その疲れを抱えたまま大型連休に入る。
そこでも、張り切って旅行を計画して家族で出かけ
その先で、原因不明の心身不調に陥るケースが多々ある。
(竹上順子さん)
ほほ~
トリガー(引き金)は、大型連休なんですね!!
知らなかった。
心身共に疲労した中で、1週間の大型連休。
ここで発症するのかぁ~。
疲労回復のための休日が、「継続性の遮断」になってしまうのですね。
面白い話があります。
農家の人たちは、とても長生きです。
田舎の個人農家は、皆、80歳を超えても元気で健康。
朝から野良仕事をして、自分の足で歩き、モリモリ食べる。
ピンピンコロリを実践する方々です。
その理由は何か?
それが「継続性」なのだそうです。
小規模農家は、365日、畑や田んぼと向き合います。
仕事を続ける限り、毎日、畑に通い・・・
土の状況を確認し・肥やしを捲き、耕し
種をまき、水をやり、虫を退治し、草むしりに腰を折り
収穫したら、脱穀、洗浄・加工等に精を出し
収穫物を人様に売るものと己が食べるものに分け
自ら食べるものは、干して、漬けて、手間暇かける。
このあたり前のように続けてきた日常が・・・
確実な「継続性」となり、人の心を平穏に保つのですって。
同じことを続け、変わらない日常を過ごす大切さ。
その日常の生活の一部として仕事が存在する強さ。
これが・・・
個人農家のおじいちゃんおばあちゃんの健康の秘訣なのです。
この話を聞いて、長年の疑問がひとつ解けました。
なぜ、成功した芸能人やスポーツ選手は
大金を手にした後、幸せにならずに身を滅ぼすのか?
なぜ、稼いだ後に麻薬や薬物に手をだし
心身ともに蝕まれ、身を滅ぼすのか?
その原因は、お金に物を言わせ
自分の生活環境を一変させてしまうからなんですね。
馴れ親しんだ地を捨て、都内の高級住宅地に豪邸を建る。
都心の高層タワーマンションに引っ越す。
食べる物から着る物まで、すべて高級なものへ変える。
子供の通う学校を一流私立にして、ママ友まで変わる。
人付き合いも一変し、遊ぶ人も場所も変わる。
体をその環境に押し込んでも・・・
心が付いて行けない。
そんな人が薬物に手を出すのですね。
身と心のギャップを埋めるために。
大っ嫌いな細木数子が10年前ぐらいに言っていました。
「人を支えるのは、衣・食・住です。」
長年、慣れ親しんだ物は「継続」してきたものです。
その衣・食・住の継続性を断ち切ってしまうと
生活の基盤が崩れる。
そうなってしまっては、金がいくらあってもダメなんですね。
人間って。
日々、異なる仕事をしている我々。
大きなプロジェクトをするサラリーマンも大変ですね。
数か月の都度で仕事の切れ目があると
継続性は失われ、何度も相応の対応力が求められ・・・
出張や転勤を数年おきに繰り返す。
新しい仕事が始まる都度、自分を奮い立たせたりしていると
ひょんなきっかけで、心が折れてしまうのです。
でも、そこで家族がいれば、折れそうな自分を支えてもらえる。
家族も、重要な継続性の一つです。
「継続は力なり」という言葉。
単純に続けることが良いことと捉えられていますが
中々深いですね。
色んな意味を持ち合わせているように思えてきます。
とにもかくにも・・・
もうすぐ、魔のゴールデンウィークです。(笑)
我が家も気を付けなければなりません。
といっても、我が社にゴールデンウィークがあるのか?
そこが大きな問題です。
2018年4月6日金曜日
鎌倉にて建築家の家
鎌倉市岡本で手掛けていた当社売主の建売住宅ですが
最後の1棟を先月末にお引き渡ししました。
「出来上がりを見て、予想をはるかに超えている。」
「こんな家になるとは、考えてもみなかった。」
「満足度、140%です。」
ここまで言っていただけると・・・
本当に、この仕事冥利につきます。
お客様の引っ越しはまだ少し先となります。
良い生活が出来ますよう、これかもお力添え致します。
最後の1棟を先月末にお引き渡ししました。
一級建築士事務所アトリエI´s
建築家の伊藤誠康先生に基本設計をお願いした
「建築家設計による建売住宅」です。
キッチン&ダイニングが吹き抜けとなっています。
キッチンは、フルオープンキッチンで
冷蔵庫はパントリーに置く配置となっており
キッチンやダイニングからは見えない設計です。
でも、キッチンに隣接して使える工夫がなされ・・・
パントリーに隣接するランドリーとさらにその奥にある脱衣所に
そのままつながっています。
ここがランドリースペース。
洗濯機を背部に置き、雨の日もインナーに洗濯物が干せます。
その後ろが、脱衣所。
鴨居の上は繋がっています。
よって、脱衣所には洗濯機を置かなくて済むので
必然的に洗面化粧台は大きくなります。
この家は、1Fが居室で、2階がリビングと水回り。
3階はフリースペースとなっています。
大型の2LDKですね。
3階の廊下の手すりは、井関大工手造り。
石井塗装により、クリア塗装を施してあります。
階段は、登りやすく!!
特に3階建ては。
転回場の段数は出来る限り減らすことをお勧めします。
2階に戻って・・・
奥に見える大きな窓は・・・
大型のバルコニーです。
この物件には2階にも屋根付きのバルコニーがあります。
1階の主寝室は、お客様のご要望で畳に変更となっています。
玄関は、2段上がり框。
一部をこんな形状として・・・
ベンチにできるようにしました。
靴を履くときに、重宝します。
ご購入されたお客様から
お引き渡しをしたとき、こんな言葉を頂戴しました。
「仲介業者から御社の話を聞いて半信半疑で買った。」
「でも、たかが建売住宅なので、期待はしていなかった。」「出来上がりを見て、予想をはるかに超えている。」
「こんな家になるとは、考えてもみなかった。」
「満足度、140%です。」
ここまで言っていただけると・・・
本当に、この仕事冥利につきます。
お客様の引っ越しはまだ少し先となります。
良い生活が出来ますよう、これかもお力添え致します。
2018年4月5日木曜日
春ですね
本日は・・・
朝一から、娘の入学式でした。
その中に、去年入学した息子の姿。(^^;)
速いですね。
40歳過ぎてからの、時間の経過は。
まともに考えると本当に怖くなります。
この時間軸だと・・・
あっという間に「おじいちゃん」です。
ちなみに私の同級生は、すでに子育てを終え
息子が成人していたり、娘が大学に入学していたり。
皆、若い頃に経済的に物凄く苦労して
体力勝負でここまで子供を育ててきました。
その見返りとして、余生を自分の為に使い
のんびりできそうな雰囲気満々。
なんともうらやましいのです。
我々アラフォーの子育ては、体力勝負が出来ません。
20代~30代に比べ、疲労が全く回復しないので
子育てが、日々、自分の体を蝕んでいきます。(苦笑)
それを、若い頃持ち合わせていなかった経済的な余裕でどうにか補う。
子供が成人するころまで、身体は持つのだろうか?
正直、自信はありません。
でも、その代り、若い頃好きな事やってきたわけで。
一体全体、どっちが良いのだろう?
とにもかくにも・・・
私の人生の40代での重大イベントが、本日、全て終了しました。
夫婦で必死に背負っていた肩の荷が・・・
今日、おりたのです。
「無事、子供を2人、小学生にしたぞ~!!」
近いうちに、妻と乾杯するかな。
今後、待ち受けているのはアラフィフ子育てです。
50歳前後での子育てのコツ・・・
何だと思います?
個人的に「老後の事を考えない」です。
思い立ったら吉日。
やりたいことは、後先考えず実行する。
脳こうそくとか心筋梗塞とか・・・
明日、自分がぽっくり死んでしまうかもしれません。
そうなる前に、子供に費やすのが正解かと。
ちなみに我が家、受験は一切考えておりませんので・・
あと7年後の高校受験まで、のんびりできるかな?
まずは、お盆休みまで、全身の力を抜いて
体力回復を図って行きたいと思います。
朝一から、娘の入学式でした。
玉縄小学校の新入生は、3クラス。
この辺の小学校では、深沢小学校に次ぐクラスの多さ。
保護者の前に、ちっこい子供たちが一杯。
このあいだまで・・・
幼稚園児・保育園児・未就学児だった子供たち。
皆、なんとも楽しそうにニッコニコ顔で
ピッカピカに輝きながら並んでます。
今日が皆、生まれて初めての小学一年生です。
皆、まっさらで一切けがれていない。
そんな清い魂をこれだけ目の前にすると・・・
布施明の「シクラメンのかほり」じゃないですが・・・
けがれた大人の私には、とても眩しく・・・
まともに見ることも出来ないのです。(笑)
これから、娘の長~い6年間が始まります。
ちなみに、出迎えたのは1歳年上の2年生。
彼らも少し前まで、ピッカピカの一年生でした。
そんな彼らが、1年で成長し
自分たちが365日前に受けたのと同じに
校歌を歌い、鍵盤ハーモニカを演奏し
上級生顔して、1年生を出迎えている不思議。
速いですね。
40歳過ぎてからの、時間の経過は。
まともに考えると本当に怖くなります。
この時間軸だと・・・
あっという間に「おじいちゃん」です。
ちなみに私の同級生は、すでに子育てを終え
息子が成人していたり、娘が大学に入学していたり。
皆、若い頃に経済的に物凄く苦労して
体力勝負でここまで子供を育ててきました。
その見返りとして、余生を自分の為に使い
のんびりできそうな雰囲気満々。
なんともうらやましいのです。
我々アラフォーの子育ては、体力勝負が出来ません。
20代~30代に比べ、疲労が全く回復しないので
子育てが、日々、自分の体を蝕んでいきます。(苦笑)
それを、若い頃持ち合わせていなかった経済的な余裕でどうにか補う。
子供が成人するころまで、身体は持つのだろうか?
正直、自信はありません。
でも、その代り、若い頃好きな事やってきたわけで。
一体全体、どっちが良いのだろう?
とにもかくにも・・・
私の人生の40代での重大イベントが、本日、全て終了しました。
夫婦で必死に背負っていた肩の荷が・・・
今日、おりたのです。
「無事、子供を2人、小学生にしたぞ~!!」
近いうちに、妻と乾杯するかな。
今後、待ち受けているのはアラフィフ子育てです。
50歳前後での子育てのコツ・・・
何だと思います?
個人的に「老後の事を考えない」です。
思い立ったら吉日。
やりたいことは、後先考えず実行する。
脳こうそくとか心筋梗塞とか・・・
明日、自分がぽっくり死んでしまうかもしれません。
そうなる前に、子供に費やすのが正解かと。
ちなみに我が家、受験は一切考えておりませんので・・
あと7年後の高校受験まで、のんびりできるかな?
まずは、お盆休みまで、全身の力を抜いて
体力回復を図って行きたいと思います。
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