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2017年1月24日火曜日

誰か教えて?

安倍首相が、事あるごとに言っていた言葉

「戦後レジームからの脱却」

これって、自民党のタカ派といわれている方々の言葉を借りると・・・

「占領軍に押し付けられた憲法の改正」
「占領軍に押し付けられた文化の放棄」
「戦前の日本人への回帰」

簡単に言うと・・・

「アメリカが造った現代日本の脱却」

という事ですよね。

つまりは、日本の・・・

「アメリカからの脱却」

のはずなのです。

なのに、なんなのでしょう。
とくに最近、際立っている・・・この違和感。

その様をとても上手く言いあらわす古い言葉が日本にはあります。

「へつらう」

日本の中枢の今の状況は、まさにこの言葉で集約できます。
オバマからトランプに変わるとなった途端
まあ、トランプに対する日本政府の様。

言っていることとやっている事がまるで違うのだが、だれも咎めない。

こんなにも「戦後レジームからの脱却」のチャンスは、二度と来ないはずです。

なのに逆に、こうべを垂れてアメリカに忠誠を誓っちゃってる。

安倍首相のトランプ氏への言葉

日米は自由、民主主義、人権、法の支配といった
普遍的価値の絆で固く結ばれた揺るぎない同盟国だ。
できるだけ早期に会談し、
信頼関係のもとに揺るぎない日米同盟の絆をさらに強化していきたい。

違和感が過ぎてしまい・・・
もう麻痺しそう。

さらに、言葉も通じず、たった1時間半しか会ったことの無い人に対し・・・

「信頼できる指導者だ。」

と、言いきった。
北朝鮮の指導者への祝辞じゃないんだから。

「米軍が撤退するなら、日本は日本人が守る」

という事が、自民党の主張に添っているのだが、言えないのね。
いつまでも、我が国はアメリカの言いなりなのかしら。




2017年1月23日月曜日

容姿は一番「横綱」らしい

稀勢の里が、念願の横綱です。

誰の念願だったのか、はさておき・・・
直後の稀勢の里のお父さんの話、とても印象的でしたね。

「横綱にる息子が気の毒だ。」

下記は、そのお話です。

戦後復興のハングリーな日本と同じ環境のモンゴル勢。
相撲史上最強と思われる白鵬が君臨している。

そういう中で、日本勢対外国勢という構図が出来上がり
日本代表として、ファンや関係者の期待を一身に受け
中学を卒業して
相撲しか知らない純粋培養の本人にすれば
病気になるぐらいの重圧を感じていた。

私としては・・・
大関のままでケガなく病気にならない体づくりを第一に考え
好きな相撲を長くやってもらうのが念願でした。

しかし、それでは、お世話になった人、世間が許してくれません。

現在の閉塞(へいそく)した時代
日本人としての気概に乏しくなった時代

伝統文化、様式美を具現化した相撲は
相撲を通じて礼儀、作法、道徳等の日本の良さを見直し
「知らしめる」という義務使命があるのではないでしょうか。

また、上に上り詰めたときは・・・
自分もしくは家族のためということから手を離れて
国家のため日本の伝統文化に気概を持って伝承しなければなりません。

これから、今まで以上に稽古をこなし
自分を律し、より勉強して
名実ともに誰からも模範になるような立派な人間になるよう
ひたすら努力しなければなりません。

そういった意味で「おめでとう」と言うよりは
これからは、なお一層頑張らなきゃいけないと思うと
気の毒になったというのが本音です。

なんという、子を思う親の心。
心の裏側まで絞り出しながら、真情を吐露したかのよう。

おめでとうではなく・・・
「できれば、大関のままで居させてあげたかった。」

そんな言葉、誰が想像できたのかな?

きっとマスコミの誰もが、万歳三唱で狂喜乱舞する両親の絵を撮りたかったでしょうね。

お父さんのまぶたの裏には、なにが見えているのでしょう?
きっと、子供のころ野球少年だった稀勢の里がいて
楽しんで野球に熱中している小さな姿が、鮮明に映ってるのでしょう。

その愛おしい息子が
いつの間にか「日本人唯一の横綱」に祭り上げられてしまった。

なんだか、親として、子に詫びているようにも聞こえ・・・
文章を読むだけで・・・
なんとも悲しい気持ちにもなるのです。

でも、これだけ『ぼくとつ』でありながら
やさしく暖かい言葉って、私は経験したことが無いのです。

なんだか、親って凄いですね。
ほっこり悲しい。

2017年1月22日日曜日

さてさて

さてさて

建築家伊藤誠康先生設計の注文住宅
N様邸、大工工事もいよいよ大詰めに入ってきました。

天井杉板張りです。


化粧パネル(ニセモノ)じゃないので、一枚一枚、天井に張っていかなければなりません。

首をくの字にして、思いタッカーを片手に・・・


かなり肩が凝りそうな、作業です。

鎌倉市大町の建売住宅(販売前に完売)も、順調に工事が進んでいます。

先週、ウレタン断熱の床面の吹き付け工事を行いました。


床下への吹き込みは、当社でも初めての試みです。

鎌倉市梶原では・・・
建築家伊藤誠康先生設計の、本格ガレージハウスの建築がはじまりました。


建物総面積50坪の建売住宅となります。

部分的に深基礎として、法面箇所の不安を解消する構造としております。


それにしても、物凄く住環境の良い所です。
自分で住みたいくらい。

鎌倉山の麓では・・・
2宅地の小規模開発を申請中です。


3月末日には、許可が下りる予定なので・・・
販売はもうしばらくすることが出来ません。

玉縄2丁目では、分譲予定地の旧所有者の古家の解体が終わりました。


きれいになりました。
不動マネジメントさん、いつもありがとうございます。

北鎌倉駅の造成地は、2棟の建売住宅の着工直前です。


こちらは年明け早々に着工予定でしたが・・・
一部に地盤補強判定が出てしまい、補強工事の日程を抑えることが出来ず。
2月1日から、地盤補強工事を開始し、その後すぐに建物の建築を開始します。

ここも、建築家伊藤誠康先生設計の「北鎌倉の家」となります。

その他、まだまだあるのですが・・・
順次ご紹介していきます。




2017年1月21日土曜日

扁桃腺が腫れて・・・

昨日は、扁桃腺が腫れあがり・・・

息を吸うだけで、激痛。

鼻が詰まっているので、口で息を吸うしかなく・・・

口で空気を吸いこむと、その空気が扁桃腺に触れ、ビリビリと刺激します。

まるで、擦り傷に塩を塗り込まれたような痛みが、息を吸うごとに喉に走ります。

仕事から帰って、おかゆをかき込み、熱い風呂に入って、布団に直行。
でも、寝られない。(TT)

空気を吸うごとに、脳天に響く喉の激痛。
こんな経験、初めて。

息を吸うごとに痛みにしびれて・・・
朝まで、一睡もできませんでした。

でも、熱は出ず、インフルではないようです。

幼稚園では、園児が次々にインフルエンザに倒れ、学級閉鎖の直前です。

それにしても・・・
なぜインフルエンザって、毎年決まって同じ時期にはやるのでしょう?
絶対におかしいですよね~。

製薬会社の陰謀じゃないかしら?
だって、インフルエンザ関連だけで製薬会社は、年間総額1兆円を儲けるそうですよ。
菌をばらまくなんて、ほんとうに容易ですから。

なにはともあれ、健康って本当に大事です。

軽い病気をするだけで、同じ景色なのに、視覚が異なってしまう。
きれいな景色も、ネガティブに映る。

早く直さないと。

というか・・・
その前に周りからうつされない努力をする必要がありますね。

直近で、会社に空気清浄器を導入します。(^^;)

遅すぎたか。

2017年1月20日金曜日

野毛山動物園

体調が悪い時は・・・
家でゆっくり養生するべきですね。

うちの会社は、1人づつ風邪を引いていき、ついに最後に私に魔の手が。
昨日から、風邪でグズグズです。(TT)

今週の水曜日から、体調不良でしたが・・・
子供達の「動物園に行きたい」という要望に応え、野毛山動物へ行きました。



色々、動物が亡くなってしまっているようです。
そういえば、トラが死んだって、ニュースに出てましたね。

ゾウも居なくなり、ラクダも居なくなり・・・

しろくまの檻の中に、娘が~っ!!!!



って、ビックリする写真ですが・・・
シロクマはオブジェです。
本物はおらず、檻の中は開放されていました。(^^;)

とにもかくにも、走り回る子供達。
鼻を噛みながら、子供達の後を追いかける私。

日々の家事と子育てと幼稚園の卒園式の準備にと・・・
疲れきっている妻は、子供達を追う気力もありません。(^^;)

真冬は、レッサーパンダの動きが早いんですね!!
夏場は丸くなっているだけなのに。

さて、ふれあい広場にて、モルモットやハツカネズミを触り・・・


ここで、みっちり30分。
真冬の寒空の中。

息子は「暑い」とジャンパーを脱ぐのです。

それを震えながら、じっと丸まりながら見続ける四十過ぎ夫婦。

6歳と42歳では、これだけ気温の実感が違うのですね。
「活発な代謝」と「活発な老化」の差。(TT)

爬虫類館は、3回行ったか?

展望台に行き、夕日のみなとみらいを愛でて・・・


そのまま、帰えろうと、試みましたが・・・

「太鼓の達人やりたいっ!!」
という、脅しにも似た猛烈な要望に応えて・・・

帰り道にある、上大岡のアミューズメントパーク・ジアスへ。


太鼓達人、フルコンボ。

すでに、午後6時過ぎ。

あとは、ごはん食べさせて・・
風呂に入れて・・・
歯を磨いて・・・
明日の幼稚園の準備して・・・

このあとやる事満載。
休日とはいえ、ゆっくりはできない訳で・・・

こうして、貴重な休日は、すべて子供達に費やされるのでした。