最近の世間の動向は・・・
どうにも、違和感しか感じません。
「何が何でも集団的自衛権が必要」という主張も・・・
「何が何でも憲法9条が必要」という主張も・・・
お互いが一方的過ぎて、全く噛み合わない様。
お互いが、「我々の平和を守れ。」と、言っています。
しかし、その主張の中には、一番大事なものが抜け落ちています。
この写真、見てください。
今、この瞬間におきている風景です。
我々が平穏に晩御飯にあり付いている時と同じくして・・・
こんな世界が、実在するんです。
同じ地球上。
同じ、時間。
同じ、空の下。
イラクやシリア等の国々では・・・
我々が見るのと同じ青い空から、毎日、爆弾が降っています。
イスラム国と戦うためと称して・・・
多くの一般市民が、平然と巻き込まれ、虐殺されています。
おかしいのです。
アメリカや他先進国の空爆の建前は「一般国民をイスラム国の脅威から守るため」だった筈。
家が燃え・・・
職場が潰れ・・・
ライフラインが破壊され・・・
仕事もなくなり、食べるものも、飲むものも無くなる。
親が殺され、妻が殺され、子供も死んでしまった。
さて、そうなったら・・・
一般人だった父親は、どうすればいいのでしょう?
貴方だったら、どうしますか?
死ぬしか、ないですね。
それ以外で残された道は、復讐心に身を任せ、テロリストになるしか有りませんよ。
なぜ、これだけ攻撃され殺され続けているイスラム国が・・・
日に日に、ますます勢力を拡大しているのか?
なぜ、そこが議論にならないのか??
馬鹿でも解るでしょ?
個人の苦しみと悲しみが、テロを生んでいるんですよ。
なぜ、皆、そこを見て見ぬふりしているのか?
なぜ、「平和の国」を掲げる日本で、議論にならないのか?
「世界最大の空爆」を受け、その恐ろしさを一番知っている国民が、なぜ止めろと言わないのか?
本来ならば、救出が高らかに叫ばれる一般の人の命です。
先進国の人間なら、たった一人でも、国ぐるみで救出される一般人。
何億円も払ってでも救出される命です。
しかし、「テロとの戦い」というレッテルが張られたら最後・・・
街にテロリストがいれば、その他大勢が居ても爆弾投下。
女・子供・老人・妊婦・赤ちゃん、病人、一切関係なく木端微塵です。
人の命が・・・「命」では無くなってしまっています。
私の感じている違和感はなんだと思います?
多分「日本人が皆、この空爆を受け入れている。」ことが原因だと。
皆、「平和」「平和」って言うけど・・・
結局、そこにあるのは・・・
「今の自由気ままな生活を崩されたくない。」
「戦争に行きたくない。」
「日本では、テロが起きてほしくない。」
はたまた・・・
「アメリカに追随したい。」
「世界の覇権者側にいたい。」
「中国や北朝鮮、ロシアに直接圧力を掛けたい。」
今、この瞬間に奪われている命に対して・・・
「助けたい」
とか
「救出したい」
とかいう、言葉が・・・
右を見ても、左を見ても、新聞をみても、TVを見ても、皆無。
なんだ、この世の中は?
正直、気持ち悪い。