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2018年7月5日木曜日

集団意識と序列意識

先日の新聞で・・・
ハッとした記事がありました。

上田紀行さんの「若い人たちへ」です。(以下抜粋)

2010年、日本・韓国・中国・アメリカにて
高校生を対象に意識調査が行われた。
現在の24~26歳になっている人たちだ。

『私は先生に優秀だと認められている』
という問いに対し・・・
「私は認められている」と肯定的に答えた割合は

アメリカ:82%
中国:50%
韓国:40%
日本:18%

『親が私が優秀だと思っている』
という問いに対し・・・
「優秀だと思っている」と肯定的に答えた割合は

アメリカ:91%
中国:77%
韓国:64%
日本:33%

『自分は優秀だと思う』
という問いに対し・・・
「自分は優秀だ」と肯定的に答えた割合は

アメリカ:88%
中国:67%
韓国:47%
日本:15%

『私は価値のある人間だと思う』
という問いへの肯定的な答えの割合は

アメリカ:89%
中国:88%
韓国:75%
日本:36%

衝撃的な数値である。
この調査結果に対し『日本人の国民性だ』『謙遜の文化だ』
と、簡単に片付けてしまうのは早々だ。

かつての日本であれば
これが機能していたので
だからこそ両親も学校の先生も
「おまえはあまり優秀じゃない。」
と言ってきたのだけれど・・・

これからの世界を担う若い人たちにとって
それがいい事だけだとは、とても思えない。

そもそも・・・
なんでアメリカでは
9割の若者が「自分は優秀だ」と思えるのだろう?

アメリカでは、親も先生もとにかく子を誉める。
そして、多面的に誉める。
だから、アメリカの子供たちは
何か一つでも自分に優秀なところがあれば
「自分は優秀だ」と言明する。

かたや日本の親や子供たちは
「自分が属している集団」「その中の序列」
を気にする。

日本人は、相手が学生とみると
「どこに通ってるの?」と聞く。
社会人だと
「どこにお勤めですか?」と聞く。

その人が今、学生として何に打ち込んでいるのか?
社会人として何を目指しているか?
という事は、まず聞かない。

そして、序列を気にする。
大学の序列(成績や偏差値)
会社での序列(役職や年収)

日本人は・・・
集団への帰属感を大切にするので
集団が元気な時は元気だ。
しかし「個人としての強さ」や「人生の展望」を
あまり磨いてこなかったので
集団の元気がなくなったり、外に放り出されると
途端に元気がなくなってしまう。

終身雇用制が崩れてリストラが吹き荒れ
集団がもはや自分を守ってくれなくなってから
日本人の元気はしぼんでしまった。
しかし、多くの日本人の意識は
まだかつての「集団意識」にしがみついている。

同調圧力や忖度、そこからの脱却が・・・
これからの日本人の元気と幸せには必須なのだ。

「僕は優秀になって集団の中での序列を上げていきたい」
と聞くと、私たちは嫌な気分になる。
でも・・・
「僕は優秀になって地球の貧困を無くす努力をしたい」
といわれて、嫌な気分になるだろうか?
それどころか、誰だってその人を応援したくなるはずだ。

「序列」や「人の目」にがんじがらめになっている存在からは
これからの幸せは生まれない。

他人から命令されてではなく
自分の志から行動することが
現在のリベラルアーツ(幸せをもたらす技)になるのだ。

「自分に価値が無い」なんてことは絶対に無ない!!
自分の優秀さをどんどんと見つけ伸ばして
その若者の志に
この国のそして世界の未来はかかっている。

以上

面白いですね。

SNSやLINEで仲間外れされて、自殺する子供たち。
社会問題化していますが
これも「集団への帰属感」が生み出しているんですね。

広い世界の中の『日本』という小さな国。
その小さな国の中の『いち地方』にある数ある学校の中
その中のたった一校の『何十クラス』ある中の『一クラス』で
そのクラスの中の『数人』の集団の中から放り出されるだけで
命を絶ってしまう。

誤った集団への帰属性と・・・
強烈な序列意識。

広い広い世界の片隅なのに・・・
教室の片隅にしか自分の存在価値を見いだせていない。
それで命を絶ってしまうのは、なんとも勿体ない。

これは、世界観を示せない教育が悪いのだと。

「私は私」「俺は俺」ちんけな序列なんて糞くらえ。
イジメられたら、その場を去ればいい。
そんな小さな世界に留まる必要はないんだと。
そういう教育が出来ないのだろうか?

なぜ、学校は集団でまとめようとするのだろう?

今・・・
日本は得体のしれない渦の中にあります。
皆がその渦の中心に引っ張られていき、抜け出せません。
霞が関は蟻地獄のよう。
物事は見えない所でドンドンと決まっていく。
その見えないゾーンは、完全な集団意識で形成され
全ては序列で決められていっています。

以前、散々批判された手法で・・・
その悪しき自民党政治の慣習を変えようと政権交代がされた筈です。
それがいつしか、政治主導という名のもとに全て元に戻り
公共事業もODAも兵器購入も原発事業も大盤振る舞い。

「だれがなっても同じ」という考えも
実は、強烈な集団意識ですね。
「自分一人ではどうしようもないから」
これも集団への強い帰属です。

俺が政治を変えなければという
「強い個人力」をもつ若者たちを育てないと
何も変わらない。

政治離れとか言いますが・・・
違うんですね。
今の小中高の集団教育・序列教育が根元です。
一人だと腰が引けてしまう教育。
そこを改めなければダメ。

そして・・・
集団教育・序列教育のエリートたちが
政治をやっている以上
どんなに叫ぼうが、我々国民は見下されるだけなんです。

やはり、悪の根源は「受験」ですね。
このキーワードを日本から無くす。

子供たちを集団で縛り
偏差値という数字で格付けするのは
そろそろ辞めてみてはいかがでしょう?

これから少子化で個人の力が大事になります。

そして、外国人労働者が押し寄せる日本で
集団への帰属を求めても通じません。

ドンドンと押し寄せる強烈な個人の力に対し
謙遜なんてしていたら
日本はあっという間に無くなってしまうでしょう。



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