作家?数学者?の
森田真生さんのコラムが面白かったので
東京新聞より転載します。
小さな子供は
財布など持たずに
外の世界に飛び出していく。
彼らは
誰のものでもない
落ち葉を拾い
真っ赤に実った果実を摘み
まん丸の石ころを掴み
川の透明な流れに
身を乗り出してのぞき込む。
彼らの世界の境界の無さは
見ている親をハラハラさせることもある。
「その木の実は
お隣さんのものだから
勝手に積んではいけないよ。」
「そのお寺の小石は
無断で持ち帰ってはいけません。」
「買わないものには
触らないの!!」
大人の世界では
あらゆるものが
誰かのモノとして囲い込まれている。
誰かのモノを
自分のモノにするためには
正当な対価を支払う必要がある。
だから大人は
出かけるときには
財布を忘れてはならないのである。
財布が無いと出かけられないのは
地球上でも
人間だけだろう。
セミは木に止まる前に
木の「使用料」を心配していない。
ミミズは土中で眠るために
土の「宿泊料」を支払う必要はない。
自然は、お互いに分け合い
与え合っている。
大自然においては
全てが等しく
誰のものでもない。
これを
価格という一つの尺度に染め上げ
所有の権利を争い合っているのが
人間という
不思議な生き物である。
人間は、引き返すことが
できないのでしょうか?
人が作り出した機械が
人工知能を与えられ
人の価値観だけで
すべてを判断するようになると
自然は、やはり失われていく一方で
より一層、人と自然が敵対していく。
そして、人工知能が
人を凌駕するようになると
もう、人間は・・・
自然を取り返すことが
出来なくなるなるのではないか?
そんな気がして
なりません。
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