2023年6月16日金曜日

AIが人知を支配する

先日、天才「羽生善治」と天才「成田悠輔」の
対談をユーチューブで見ました。

動画が見れない人は、下記をクリック。
https://www.youtube.com/watch?v=x1NWqojaicc&t=934s

なんていうんでしょう・・・
全く異なる分野の天才2人ですが
ものすごくシンクロしていて
(※顔も似てる)
話に引き込まれました。

とても面白いので、ぜひ見てほしいです。

(以下、一部転載です。)

将棋AIが進化するスピードは
半端ではなくて・・・
最新バージョンが
1年前のバージョンと勝負したら
ほぼ最新バージョンが勝つ。

AIは・・・
人間とは比べものにならないスピードで
進化している。

将棋はもっともAIの研究をしやすい分野で
人間の知能と比較する象徴として
見られてきた。
ゆえに最初の頃は人間側に
かなりアレルギーがあった。

例えば・・・
肉体は人間よりライオンとか
ゴリラとかの方がはるかに強いが
人間は知能があるから
動物園をちゃんと管理してきた。

でも知能の部分で
AIに簡単に追い抜かれ
負けてしまうというのは
人類が経験してなかったことなので
この社会を構築してきた
人間に対する価値感が否定され
それに対する抵抗感とか恐怖感が
今、MAXになっている。

ただ、これも人間の面白いところで
だんだん適応して
すぐ馴染んでしまい
いつのまにかAIが
普通に存在していたかのようなものに
なっていっている。(苦笑)

AI将棋の使い方はまだまだ未知数で
今後、理想的なパートナー関係を
構築できる可能性もある。

新しい戦術を深掘りする手段として
コンピューターを活用している人が増え
面倒な分析をAIに任せれば
もっと人間の能力が引き出されるかもしれない。

将棋の強みである「経験」は
人間同士がリアルで対極することでしか
得ることが出来ず
それが伸び悩みにつながっていたが
今はAI将棋で効率良く「経験」できるので
棋士の成長のスピードも恐ろしく早い。

ただAIの進化のスピードと
人間の能力のスピードが離れすぎてしまうと
好影響を受け取れなくなってしまうように思う。
離されないように頑張らないといけないが
かなり難しい状況だ。

科学の世界でも似たことが起きていて
分野によってはGPTで論文を
そこそこ自動生成できるようになっている。

論理学では定理を自動的に生成して
正しさを証明・確認することが
AIで行われており
さらに、新しい論文の正当性や
品質を評価する「査読」も
AIに任せる風潮がある。

そうすると・・・
生産する側も評価する側も人間ではなくなって
人間が寝ている間に
どんどんAI主導で
科学が進化していくようなフェーズに
入ってしまっている。

人間の専門知識や経験・直感を超えた
神々のデータ遊びみたいな感じで
様々な分野で
新発見がされる時代になっていくのかもと。

機械学習の話で言うと
アルファ碁は3000万局ぐらい
機械学習させている。
人間が一生で指せる試合は
大体10万局ぐらい。
1人の人間の人生300回分ぐらいの
経験値がAIにはあるので
それは強い。

最近では、人間の試合は学習させず
AIにルールだけ教えて
最新だともうルールも教えず
何もない状態から学習させており
どんどん人間の介在を・・・
小さくしていっている。

結果、人間が介在しない方が
ものすごい進化を遂げるのではないかと。

仮に最も人気のあるミュージシャン
作家、アニメ作家、クリエイターetc
全部人間でなくなったとしたら?

その時に人はどう感じるのか・・・
とても興味が沸く。

人間の感性がちょっとずつAIの感性に浸食されて
気がつかないうちに
元の感性が失われていくはずだ。

そこに至る過渡期の人間が
どう反応をするのかが気になって。
たぶん私たちが生きている間に
それっぽい世界が訪れる可能性が高い。

無から有を創造するとか
新しいものを作り出す役割を
人間が果たすのは微妙だよねってことが
はっきりしてしまった時に
フロンティアの開拓者でない自分を
人間は許せるのだろうかと。(苦笑)

ある意味で古代に逆流するのかもしれない。

人間がもっとも強くて
人間がもっとも賢い存在だと
自分たちで思い込めていたのは
ここ数百年ぐらい。

それ以前は・・・
自然とか神様みたいな圧倒的で
理解も支配もできない存在が
世界を動かしているとされていて
人間にできることは祈ったり
踊ったりすることぐらいだった。

そういう感じに戻っていって
新しい祈りとか
新しい踊りみたいなのを
人間は作っていくのかなって気がする。

利益率とか費用対効果とかが測れる領域だと
人間はハード的にもソフト的にも
AIに置き換えられていく運命だ。

でも、不要不急で
無駄にも見える営みにおいては
AIは評価が及ばない。

人間は自分でやることに
勝手に己で・・・
価値や喜びを見出せる強みがある。

たとえAIより作曲技術が低くても
自分で鼻歌を歌いながら
ギターやピアノを弾いてみる楽しさは変わらない。

AIより将棋が下手でも・・・
人間が将棋をやる楽しさは
変わらないのと同じです。


以上

実際、話はまだまだ続きます。
ぜひ、実際に見てほしいです。

すぐ近い未来・・・
人知はAIに支配されるようです。

その時、人間という存在は
どうなっていくのでしょう?

私が子供のころに見た
映画「ターミネーター」の世界が
本当に目の前に
あるのかもしれません。苦笑

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