2021年7月2日金曜日

認知症


直木賞作家:桜木紫乃さんの絵本
「いつかあなたをわすれても」
が集英社から出版され
とても話題になっているそうです。
(下記、東京新聞の記事を転載します。)


八十一歳の母が認知症になって
五年前についに私の名前を忘れた。

とうとうきたか、と思いつつ
実はあまり悲しくなかったんです。

桜木さんは、そう自身の体験を振り返る。

桜木さんの母は
認知症の今が「一番幸せそう」なのだという。

母の人生は
恵まれているとはいえなかった。
父が家庭向きじゃない人だったし
嫁姑(しゅうとめ)関係でも苦労したし。

私が結婚で家を出たら
グチの相手がいなくなって
体調を崩してしまったほど。

それが今は
「毎日パパが家に帰ってくる!」
と無邪気に喜んでいる。

母は誰かを悪く言うこともなくなり
負の感情から解放された。

本当に良かったなって思うんです。

絵本も「さとちゃん」と呼ばれる
高齢女性が認知症になり
娘の名前を忘れる設定だ。

物語は、孫娘の視点から語られる。

名前を忘れられても
「悲しくないし、悲しくなかったことに驚いている。」
と母が話すのを聞いて
「なぜ?」と驚く孫娘。

物語が進むにつれ、その理由が明かされる。

さとちゃんが
みんなのことを
わすれる日は
わたしたちとのおわかれを
こわがらずに
かなしまずに
すむ日

桜木さんの母のように
さとちゃんは忘れることで
人生の荷物を
ひとつずつ下ろす

それは『お別れの準備』なのだと。

桜木さんは
最初に娘の視点で書いたら
自分と近すぎて
濃すぎるスープみたいな文章に。
孫娘の視点に変えたら
ちょうどいい距離感になったと笑う。

小説と違う執筆作業は
新人時代のように
編集者からダメ出しの連続だった。

いかにそぎ落とすかに
苦心した。
五十代半ばにして
新しい挑戦ができてよかった。

そして、桜木さん自身
母親に忘れられたという
『子としての戸惑い』
はあった。

執筆しながら
『その戸惑いをどこに落ち着けるか』
を考えたという。

桜木さんは
母娘が紡いできた歴史を
一枚の絵にたとえる。

母とその長女である私は
半世紀かけて
一緒に絵を描いてきた。

母が認知症になって
絵が完成に近づき
『余白』
がはっきりした。

母が完全に私を忘れたら
たとえ母が生きていても
絵は完成なの。

と話す。

そして同じたとえは、
桜木さんと娘にも通じる。

今・・・
私と娘が
えがいている絵は
どんな感じかなあ?

と、想像します。

桜木さんがこの絵本を通じて
自分の母に贈りたかったのは

「私を忘れていいよ。」
「忘れた方が寂しくないから。」
「そして忘れても怖くないから。」

という思いだという。

絵本で、さとちゃんの娘は、
自分の将来について
わが子にこう語りかける。

もしも
いつかあなたを
わすれる日がきても

わすれてしまうあれもこれも
みんな
なかったことでは
ないのだから
あんしんしてね

これは
たいせつな
たいせつな
わたしたちのじゅんばん

以上
※2021年5月24日の東京新聞より

「めからうろこ」です。

自分の目を覆い
視界を塞ぎ
思考を停止させていた
うろこが
ポロッと剥がれ落ちました。

なるほど!
なるほど。

なるほど・・・

ちなみに・・・
めからうろこという言葉は
『旧約聖書にある言葉』
なんだということも
このブログを書いていて
初めて知りました。

もとの語源は・・・

『The scales fall from one's eyes』

なんですって。
(余談です。)

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