先日、新聞でこんな感じを見た。
「頽廃」
タイハイと読みます。
意味を調べると・・・
「風俗、気風がくずれ、不健全になること」
とあります。
その記事をご紹介します。
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私の家のある群馬県の山村「上野村」は
今例年より早い春を迎えている。
四月中旬にはソメイヨシノやしだれ桜が咲き
月末には山桜も散り始めた。
ワラビや山ウド、フキなどが姿を見せている。
子育て時期が近付いて、小鳥たちも忙しくなってきた。
村の暮らしは案外忙しい。
畑仕事をしたり
山菜を取りに行ったり
春祭りもあれば
共同作業もある。
最近では、土日様々な企画も行われている。
面白いのは、それが仕事なのか村の暮らしなのかが・・・
良く解らないことだ。
仕事だと言えば仕事。
それが村の暮らしだと思えば、暮らしなのである。
伝統的な社会では、すべてが何となく一体化している。
仕事と暮らしも一体化し
それらと結ばれながら
地域文化や地域社会も作られている。
山の神信仰や水の神信仰のような土着的な信仰も
それらと結んでいる。
それが伝統的な「生きる世界」のかたちだった。
この点では、世界中変わることはない。
ところが近代的な社会がつくられていくと
このような一体的な世界は壊れていく。
仕事は仕事、暮らしは暮らし、文化は文化、社会は社会・・・・
となったのである。
そのことによって、暮らしや文化、社会から独立したものとしての職業が成立した。
そしてこの変化が、職業倫理を問われなければならない時代を生むことになった。
伝統的な社会では、職業倫理は自然に形成されていた。
仕事は仕事以外の要素と結ばれていたから
仕事に対する考え方も、総合的につくられていたのである。
暮らしや社会を壊すような仕事はしてはいけないし・・・
仕事の中に文化や、ときには土着的な信仰も内蔵されているのだから
そういう結びつきが自然に職業倫理を成立させていた。
ところが仕事が仕事だけで独立したものになると
仕事の都合が優先され、仕事の倫理が独り歩きするようになったのである。
こうして近代社会になると
自分や自分の企業の利益しか考えない人が生まれてきた。
さらには、誠実に仕事をしているつもりでも
自分の職業だけの狭い世界の発想で行動し
それが結果的に、社会を壊していくような現実も発生するようになった。
事実上の粉飾決算をおこなったいた東芝
燃費データをごまかした三菱自動車
ブラック企業的な経営を行う経営者
パナマ文書にみられる税から逃れようとする人たち
不祥事を繰り返す政治家
そして、原発の危険性を無視しようとする人たち
私たち社会は、そんな人たちがあふれるようになってしまった。
職業は、職業以外の世界と結びつきを失ったとき
職業だけが独り歩きするようになり
頽廃していく。
その結果
絶えず職業倫理の重要性が語られ
しかし現実には、倫理観の欠如した事件が頻発しつづける。
そんな時代を、私たちは迎えている。
そのことに気が付いている人たちは
自分の仕事が社会や暮らし、文化と結ばれている世界を確立しようとして
新しい仕事づくりをはじめ
あるいはボランティアなどに力を注ぐようになってきた。
企業でも従業員の社会貢献活動に、本気で取り組むところが生まれた。
放置すれば、仕事が人間を頽廃させる不幸な時代を
私たちは、直視せざるをえなくなってきている。
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東京新聞「時代を読む」から哲学者内山節さんのお話。
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