2018年5月18日金曜日

千と千尋の神隠しの主題歌

つい先日・・・
ひょんなことから某サイトでこの動画を見ました。



動画が見られない人は下記をクリック。

映画「千と千尋の神隠し」のエンディング曲で
今では主題歌となっている「いつも何度でも」です。

今までしっかりと聞いたことはありませんでした。
個人的に「もののけ姫」以降、宮崎アニメを評価してないからなのですが・・・

この歌手ナターシャ・グジーさんのお話を聞き
そして、歌を聴いて衝撃を受けました。
http://www.office-zirka.com/

深い。
なんて深い歌なんだろうか。(゜゜;)

■作曲:木村弓
■作詞:覚和歌子

呼んでいる胸のどこか奥で、いつも心踊る夢を見たい
悲しみは数えきれないけれど、その向こうできっとあなたに会える
繰り返すあやまちのそのたび人は、ただ青い空の青さを知る
果てしなく道は続いて見えるけれど、この両手は光を抱ける
さよならの時の静かな胸、ゼロになる体が耳をすませる
生きている不思議、死んでいく不思議、花も風も街もみんな同じ

人は、興味を示さないと、とことん盲目になる生き物ですね。
この映画が放映されたのが17年前のこと。
今の今まで17年間、この歌に無関心だったことが恥かしい。

そして、今、この動画を見た奇跡。
日本の現状になんとも当てはまるこの歌。
不思議な「えにし」と言えます。

ウクライナ出身のナターシャグシーさんが、なぜこの歌を歌うのか?
なぜ、バンドゥーラ奏者の彼女が日本語を学び
日本語で活動をしているのか?
それも不思議ですね。

もっと不思議なのは、実は元々この曲・・・
千と千尋の神隠しの為に作詞作曲されたものではなく
この映画が製作される4年も前に
いちファンの木村さんが送ったファンレターに始まります。
奇跡的に宮崎駿さんが彼女に返信をした。
そして、その返信には未発表の企画アニメのあらすじまでが書いてあった。
そのあらすじに触れた木村さんがイメージで曲を造り
アニメが製作される前に覚さんが詩を当てた。

そのアニメの題名が「煙突書きのリン」
このアニメは大地震で壊滅した東京が舞台で
様々な事情でご破算になったのだそうです。

しかし、ご破算になった2年後。
その曲を忘れられなかった宮崎駿が、千と千尋の神隠しを手がけた。
不思議な事だらけです。

その話が、考える高校生のためのサイト「まんもTV」に紹介されています。
そのまま転載します。

「ゼロになるからだ」は、死を思わせる言葉でありながら
不吉さよりも懐かしさを覚えるのは
それがあまり現代人の使わなくなった「魂」を連想させるからだろうか。
私たちの魂はどこから来てどこへ行くのか。
その生と死の不思議さを詠む覚和歌子さんに
詩に込められた思いを尋ねました。

そうですね。不思議といえば・・・
さよならのときの静かな胸 ゼロになるからだが耳をすませる
生きている不思議死んでいく不思議 花も風も街もみんなおなじ
この4行を書いているとき、何故だか泣けて仕方なかったんです。
自分でも変だなと思いました。
自分で書いているのに、自分が書いていない感じ。
そういう状態で書いた詩はあとから何度読んでも
たった今初めて出会ったみたいに新鮮なんですよね。

歌い手の木村弓さんとは8年来の仲ですが
彼女は20数年前に脊椎を痛めて
その治療に必死になって生きてきた人なんです。
そんな理由からほとんど遊ぶための外出もしないんですが
たまたま「もののけ姫」を見に行ったらひどく感動して
その感動のままに宮崎駿監督に伝えるべく
自分の自主制作CDやテープを添えて手紙を書いたんです。
そしたら一週間後にご本人からお返事をいただいたんですね。
監督のもとには多いときで一日に段ボール3箱分の手紙が来るそうで
それに目を通すこと・・・
まして返事を書くことは天文学的確率の低さだと後から聞いて
ああよほどのご縁だったのだと思いました。

監督からの返事には
いま進行している企画の音楽をお願いするかもしれないが
期待しないで待っててくださいといった内容が書かれてあって
木村さんはその手紙を私に見せてくれながら言ったんです。
今ずっと頭の中で鳴っていて消えない曲があるの。
もしかしたらこれのための曲かもしれない。

その作詞を木村さんから依頼されて
テープを預かったものの私は3ヶ月間
それに手をつけず曲を聞きませんでした。
なぜだかすぐに詩をつけるのがもったいない感じがしたんです。
さすがに催促を受けるようになったので
ようやく机に向かって書き始めたら
それこそ12.3分でできてしまったんですね。
ちょっと普通じゃない感じでした。

木村さんはとても喜んで歌ってくれて
それをテープで宮崎監督に送ったのですが3ヶ月後
「企画自体が潰れました、ごめんなさい。」
という返事をいただきました。
私はまあ、そんなもんだろうと思い
木村さんとは、いい曲が出来ただけでよかったじゃんと言い合い
その歌は木村さんにライブで大切に何度も何度も歌われました。
もう曲が主題歌のために作られたなんてことさえ忘れかけた頃
作ってから勘定してほぼ2年半後ジブリからの電話で
あの曲を宮崎監督が忘れられないので
『千と千尋の神隠し』で使わせて欲しい。
と申し出を受けたんです。
これ、ちょっとないような、珍しい話でしょう。
運命的というか(笑)。

~中略~

現代では死を遠ざける風潮が強まりすぎて
死が不自然なものとして捉えられています。
すばらしく死んでいく姿を誰も考えないですものね。
先だって亡くなった柳家小さん師匠は
亡くなる前日にちらし寿司を食べ
「うまかった。明日は鰻だ」と言って床に就き
あくる朝、それはそれはいい死に顔で亡くなってたそうです。

そんな大往生が、法律的には変死扱いなんですね。
病院で迎える"死"しか正しい死ではない。
とても変です。

天災と人災に苦しむ日本。
そして、不条理ばかりの現代社会。

何度も何度も繰り返されるあやまち。
それを目の当たりにして人は
過去も今も未来も、ただ空を見上げるしかない。

人は・・・
みずからを愚かな生き物だと悔やみながら
数えきれない悲しみを背負う。
その人生は果てしなく続いて思えるけれど
さよならはすぐそこにあるんだよ。
身も心もゼロになるのだから、今、耳を澄ましてみなさい。
人なんて特別ではなく
花も風も街もみんな同じなんだと気が付くはずだよ。

そう語りかけられているよう。
でも、この歌はとらえどころなく・・・
違うようにも思える。

宮崎駿さん、本当に凄いですね。
彼がこの曲と詩を木村さんと覚さんに書かせたのです。
なんだか、神がかってます。

もう少し、聞き込んで・・・
理解を深めてみようと思います。


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