「嘘をつくな」というのは・・・
「人間を辞めろ」と言っているのと同じ。
哲学者の中島義道さんが新聞紙面で仰ってました。
氏曰く(注釈)
国会中継をずっと見ていたが
皆「嘘だ」「嘘じゃない」とえんえんと議論して
「ウソをついた!」という形だけで他人を非難することに終止し
いわれた当人も「ウソではない!」とただ弁解するだけであって
あまりにも退屈で、途中2時間も眠ってしまった。
どうして人は「ウソをつくべきではない!」と言いつつ
絶えず、ウソをつき続けるのか?
人の行動原理は、三つに分けられる。
■理性主義
道理(人として行う正しい道)に従うというもの。
我々国民が政治家に期待しているものが、これにあたる。
「約束を守るのは、人として当然である。」という考え方。
■功利主義
幸福を最大の目的とすし、快楽や利益を基準にして行動をするもの。
■情緒主義
その時々の感情を行為の基準にするもの。
「昨日約束を守るつもりだったが、今日気が変わった。」
という態度がこれにあたる。
大部分の現代日本人は、基本的には功利主義に立っている。
比較的どうでもいい場合は情緒主義で
逆に自分の信念に直結する場合も情緒主義である。
しかし、どちらも名目上は理性主義だとしているのである。
そして、興味深いのは・・・
我々が他人の行為を判定するときは、秩序を適用しているという事。
秩序とは、理性主義を指す。
安倍晋三首相も、菅義偉官房長官も、このことをよく知っている。
事実そうであったとしても
「私の得になるからしました。」とも
「その時の気分に誘われてしました。」とも
言わないのであって、だから必然的に
「1点の私欲も無く、ひたすら国民のことを考えて行いました。」
というウソばかりの答弁になるのだ。
しかし、カント(ドイツの哲学者)は、これを「善意のウソ」と呼び
ウソのなかで最も悪質なウソとみなした。
なぜなら、こう語る時の人は
他人を騙すのみならず、自分も騙し
さらに・・・
「私は国家のためにやっているのだ。」
という、善意に基づいているからである。
ほほ~
批判する側も、批判される側も
その大部分は自分の利益を最優先しているのに
どちらも「国民の為にやってるんだ。」と嘘をついているから
国会自体が嘘くさくなっているのですね。
面白い。
そして、我々も「国民の為に」とシュプレヒコールを上げていても
皆、実は理性主義ではなく、限りなく功利主義であって
その手段として情緒に身をゆだねている。
それでいて「我々は理性主義だ」というから
一歩引いて第三者的に見ると
なんだかオカシイように思う訳ですね。
哲学だな~。
でも、この三つに基いて考えてしまうと
もう、どう考えても、社会全体が嘘の塊に思えてきます。
全ての仕組みが、功利主義の上に成り立っていて
情緒主義が表裏一体でのさばっている。
それを必死に法律で押さえつけているのが現実かと。
それでいて、皆、理性主義のフリをしている。(苦笑)
ちなみに理性主義は、法があって初めて成立します。
掟がなければ、皆、情緒主義に走りますから。
その法律が・・・
今、日本では危機に瀕しようとしている。
「国のため」という善意によって。
なるほど~。
とても難しい切り口ですが・・・
物凄く現代社会を解き明かしたお話でした。
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