2018年2月5日月曜日

野暮

野暮という言葉があります。

あまり使われませんが・・・
粋な言葉ですね。

粋っていう表現はおかしいのかな?
粋の反対語が野暮なもんで。


独特な雰囲気がありますね。
色々な意味を含み・・・
受ける側によって、捉え方が異なる。
これぞ日本語って感じで
色気ある言葉だと個人的に思うのです。

野暮の持つイメージは・・・

「しつこい」
「くどい」
「諦めが悪い」
「周囲が見えない」
「情けがない」
「人の話を聞かない」
「理解力に欠ける」
「金に汚い」

一言で執着ですね。
諦めが悪い。
去にこだわり、いつまでもグジグジ根に持つ。

私はそんな人が世の中で一番嫌いです。
そんな野暮ったい奴とは、付き合いたくありません。

野暮の真逆が『粋』です。

「物事に執着しない」
「過去にこだわらない」
「未来志向」
「気遣い・心配りが出来る」
「人の話を聞く」
「理解力が優れる」
「情が深い」

あっさりとして気持ちが良い。

日々、粋でありたいですね。
仕事もプライベートも。

ですが、この粋という言葉も・・・
人によって、捉え方がまるで違います。
野暮な人から見たら、粋な人間は異質に映るでしょうし。

私は、野暮な事を言われたらお客様でも喧嘩します。
役所や警察署でも怒鳴りあいをします。
よって、そんな方々から見たら「柳のどこが粋なんだ!」となる。
このブログを見て「あいつ、バカ言ってら」と吐き捨てる人もいるかな?

また、どうやっても生粋(キッスイ)にはなれないのが人間でして。
粋であるためには、日々努力が必要のようです。

東京新聞で作家畠山健二氏がこんなことを言っています。

花柳界では粋人、通人と呼ばれるため
様々なことを学んだ。
独自のしきたりがあり、客にもそれなりの資質が求められる。
座敷での所作、振る舞い、祝儀の切り方、芸者の口説き方
すべてが勉強だ。
長っ尻も嫌われる。
いつまでも呑んでいるのは野暮天だ。
風のようにさっと消えるのが粋。
江戸時代に吉原で「野暮な客だね」と陰口をたたかれるのは
江戸っ子にとっては万死に値する屈辱。
やせ我慢をしてでも粋を気取るのだ。
日本の文化といえる。
毎年、料亭は減り続け、下町で残っているのは浅草と向島だけ。
なんとしてもこの文化を守ってもらいたい。

花柳とは、遊郭をさします。

芸者遊びが良いか悪いかは別として・・・
「粋人」とは、これまた綺麗な言葉ですね。
畠山さんは、粋という言葉をとても端的に教えてくれてます。
「通人」という言葉も、これまた素敵な響き。

最近、文春や新潮等々・・・
週刊誌が世の中を騒がせています。
あれは、野暮ですね。

その野暮に群がり拡張するマスコミ。
「野暮天」ですね。

日本の政治家も、なんとも野暮ったい。
様々な物事に執着する輩の集まりです。

今、世の中が野暮そのもので・・・
粋が通せない日本になってしまったと感じます。

総理大臣が「日本を取り戻す」と仰います。
でも、彼らが垂涎する古き良き文化は
「粋の文化」以外の物でもないと思うのです。

過去の日本を取り戻すには、日本人が粋になることなのです。
(※すでに過去に固執する時点で粋ではないのですが)

嘘、ごまかし、方便、弁解、弁明・・・
粋じゃないですね。
金をちらつかせて、選挙に勝つ・・・
無粋です。

その時点で、OUT。
言ってることをやってることが異次元。(^^;)

でも、逆に考えれば、政治家たちが粋人になれば良いだけのこと。
それだけで、国際問題はあっという間に解決しそう。
国内の様々な争い事も万事うまくいくように思うのです。

日本人は、粋でありたいです。
無粋な世の中の片隅で、蟻のごとく願うのです。

新聞で「粋」という言葉をみて
夢想にふける私でした。

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