2015年5月31日日曜日

イジメ論争

教育現場で、数十年間全く進化していないものがあります。
それは、イジメ問題です。

だいぶ前の新聞で、こんな記事がありました。

「いじめには、やり返す強さ必要か?」

大人から「やられたらやり返せ」と教わった子供は
イジメの加害や被害を経験しやすい。

NPO法人ジェントルハートが調査した結果なのだそうです。

それに対して、激しい論戦が新聞上で勃発。

「やり返す強さを与える教育が必要」
「角が立たず、なんでも丸く収めようとする教育が間違っている」
「加害者の人権を保護しすぎ」

「すでに傷ついている被害者に何かさせようという発想が間違え」
「やり返したら逆効果」
「イジメらえている子供にやり返せと言うのは、逆に追い詰める行為」

「環境を整えるのは大人の役目」
「大人に助けを求めるのが第一歩」
「先生が最大の味方」

これら論争は、、ここ数十年なんら変わることなく、続けられています。
つまり、全く進歩していないわけです。

「やり返す」とか
「やり返さない」とか

その論争自体が、頭悪い。

自殺という行為が「やり返す」手段になっている今・・・
いじめられている子供に大人が「仕返し」を求めるのは、最大の蛮行です。

先生やカウンセラーは、赤の他人です。
事件や事故にならない限り、真剣な対応が難しいのは、自殺や殺人事件のたびに頭を下げる校長や教頭等をみれば容易に解るはずです。

唯一無比の味方は親ですが・・・
親の子に対する触覚というか感覚が正常に機能していない。

結果、全く無くならない学校でのイジメ。

じゃあ、どうするか??

まず、絶対に無くならないモノとして、皆が共通意識を持つことが必要です。
「イジメ根絶」なんて、もう何十年も無駄な事をしていることに気が付くべきです。

どのクラスでも、必ずあるのがイジメです。
それを大前提として・・・

これ、成績にしたらどうでしょう???

通信簿に「イジメ」という欄を作る。

5段階でも10段階でも良いですよ。
イジメの加害者となる生徒は、赤点です。
イジメの被害者となる生徒は、良い成績となる。(無条件)
イジメが起きた時に、手助けをした生徒は良い成績。
イジメが起きた時に、見て見ぬふりをした生徒は赤点。

それら報告が全て点数になる。

教科とすることで、先生もイジメを学科と同じように見る必要が出来る。
教科であれば、見て見ぬふりは出来ません。
数学や社会科と同じように、大手を振って、イジメに点数を付けることが出来ます。

赤点者には、厳しい補修やボランティア行為が強制される。
夏休みや冬休みに、福祉施設への毎日のボランティアなんて良いでしょう。

加害者は、それだけで躊躇しますよ。 被害者は、「いじめられた」と、必ず報告するでしょう。
「イジメがあった」という報告が生徒の成績になるのであれば、今まで他人事だった他の生徒達も見て見ぬふりはしないでしょう。

後でイジメが発覚して、クラスメイトが見て見ぬふりをしていたのが解ったら、皆赤点です。
全員に、夏休み中ボランティアをさせてはいかが?

国は一生懸命アンケートだけとって、数字にする。
被害数だけを割り出して、どうするわけでもない。
なんでも数字にしたいのは、霞が関の性癖か??

なぜ、イジメが無くならないのか??

簡単です。

それは、必ず起こるものだからです。
絶対に無くならない本能だからです。
そして、イジメをいつまでたっても「あってはならないモノ」としているからです。

現代日本の大きな社会問題です。

弱いものを排除しようとする本能は、生物学ですよ。
それを、人が陰湿に行うのは、人間学ですよ。
イジメの傾向と対策、生物学として取り上げなさい。

社会に出たら、いろんなイジメに合います。

会社でも・・・
町内会でも・・・
学校の保護者の中でも・・・
公園デビューでも・・・

世の中、イジメと同じ原理の様々な精神的プレッシャーに溢れています。
人は、それらと一生付き合わなければならない。

だったら、一番に教育するべきです。
歴史や化学式を憶えるよりも、よっぽど大事なモノのはずです。

教育委員会の大人の方々、ご一考を。

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