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2022年9月24日土曜日

献金

TVニュースや新聞等で
「献金」「献金」と
我々庶民の身近には
まったく存在しない言葉を
良く目にします。

主に政治の世界で
たびたび問題になる
「政治献金」
というヤツです。

私、恥ずかしながら
48年生きて・・・
その『献金』という言葉が
宗教用語だということを
旧統一教会の開いた会見で
初めて知りました。

献金をすることで
自分の犯した罪を
償えるというのが
主な信仰なのですね。

「免罪符」なんて言葉も
その由来は
旧カトリックなどで
『金品を払い罪を償う』
という免状であり
許しを得た証として
教会が発行した証明書なんですって。

つまり・・・
千年以上前から
「宗教」と「献金」は
表裏一体なんですね。

逆に言うと
献金が無ければ
宗教は成り立たないのだと
言えます。

人は・・・
生きるためにお金が必要で
そのお金を稼ぐために
自分を押し殺し
他人の価値観で仕事をし
さらに悪事を働く輩もいる。

その過程で
自己嫌悪や罪悪感に苛まれ
それを払しょくするために
必死に稼いだ金を
献上しているとしたら
なんだか、とても不条理です。

多くの宗教では
現世の悪事が
「来世に影響を及ぼす」
「死後、地獄に落ちる」
「残された家族が不幸になる」
としており
その宗教的な概念は
全国民が認知するほどに
一般的な常識になってます。

あるかどうか解らない
「地獄」という概念が
人々に畏怖を植え付け
それが宗教へ
導いているのだとしたら
とても狡猾です。

ただ・・・
現代の若者は
「今だけ楽しければ良い」
という考えが蔓延していて
結婚もしないし子供も作らない。

だから、死後も来世も関係ないし
自分の家族の不幸も怖くない。(^^;)
そうなると・・・
天国とか地獄とか輪廻とか
因果応報というような
宗教的価値観は全く通じません。

また、キリスト教のように
「金欲が全ての悪の根である」
というような教えも
お金に執着しない現代の若者には
全く響かないだろうと思います。

そんなこんなで・・・
今まで多くの献金で
寺院や教会だけではなく
商業ビルや学校までを建てて来た
多くの宗教団体は
減り続ける信者の奪い合いをしていて
カルトの旧統一教会などは
生き残りをかけ必死で
手を変え、品を変え、名前を変え
政治中枢に入り込んだのだろうか?

私は『因果』とか『縁』は信じていますが
無宗教者なので
「お金を払えば罪が償える」
「お金は汚いモノ、罪そのもの」
という感覚は一切解りません。

何でも金で解決できると思っている
石原伸晃のようなヤツや
何でも金で解決しようとする
政治家のような連中が大っ嫌い。

だから・・・
逆に、気持ち悪く思うのです。

どちらかというと、日本的な
『善行を重さねれば、幸せになれる』
という方が好きです。

でも、宗教的には・・・
献金が善行なのかな?

日本には古くから
「地獄の沙汰も金次第」
「阿弥陀の光も金次第」
「三途の川も金次第」
というコトワザがあることを考えると
結局、宗教も
昔から目的は金なのかと
とても悲しくなります。

もしかして・・・
金銭が必要ない世の中になれば
宗教も必要なくなるのかしら?

なんだか禅問答のようだ。(^^;)

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