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2015年6月8日月曜日

スピードと時間軸の関係

「現代は、江戸初期とくらべ、1日の時間が1時間ほど時間が短くなっている。」

過去、新聞で見た記事です。
以前も似たような事を同ブログで書きましたが・・・
2015年も、もう6月。
早すぎませんか??時が経つのが。
もう、半分が過ぎてしまったんです。

毎日が猛スピードで過ぎていくので・・・
感覚的に、時間に置いていかれている気がします。

私だけの感覚なのかもしれませんが、
なぜ、こんなにも一日が過ぎるのが早いのか?

実は、移動するスピードに関連性があるのだとか。

江戸時代の主な移動手段は、徒歩でした。
人の歩く速度は、時速4km程度。
走って時速15km。馬で時速30kmぐらいです。

つまり、江戸時代の一般人の移動速度は、時速4kmだったのですね。
体感できる最高速度は、大よそ時速30kmだったわけです。

それが、現代・・・
自転車で簡単に時速30km超が出ます。
自動車やオートバイで時速60km~100km。
電車で時速80km~140km
新幹線で時速200km
旅客機で時速900km

一家に一台、自動車の世の中です。
つまり、現代人の平均移動速度は、時速40キロを超えるのです。
江戸時代の10倍です。
最高速度は、江戸時代の30倍にもなる訳です。

早く移動できるので、時間をより有意義に使えている筈です。
とするならば、もっと一日が長く感じるのが道理です。
しかし、逆に、この移動するスピードの変化が、1日の時間軸を縮めているというのです。

「移動速度が速いほど、時間軸が短くなる」

本当??

個人的に、凄く解ります。

徒歩の移動と、車の移動、感覚的なものですが、確実に異りますでしょ?

例えば、徒歩。
徒歩で山や街を散策すると、時間はとてもゆっくりと流れます。
自分を動力として移動する徒歩は、疲れます。
汗をかいて、水分を補給して、休み休み歩く。
その間に景色を見ながら、足元を見ながら、小さな虫や鳥のささやきまでを感じます。

一挙手一投足、自分の体に気を使いながら移動するのが徒歩です。

対照的に・・・
自動車で移動しながら観光地を巡ると、なんだか忙しない。
他力ですから、足元を見ることなどない。
汗もかかないし、休むことも無い。
景色もビュンビュン過ぎていくから、気に留まらない。
眠気以外、自分の体を気にすることもない。

運転に意識は及びますが、どちらかというと、散漫です。

徒歩と自動車、大きくことなるのは、動力です。
ようは・・・
現代社会は、ほとんど他力なんです。
逆に江戸時代は、全て「自力」。

江戸時代は、大阪から東京間を行き来するには、東海道を通って自力で3週間を要しました。
しかし、現代は、他力の新幹線でたった2時間半です。

凄まじい速度の違いです。
172倍もの差です。
その差はそのまま労力の差にもなります。

時間軸がねじれないわけは、ないですね。

じゃあ、じっとしていれば・・・
時間は、最もゆっくりと流れてくれるのか??

いえいえ、そうはさせてくれません。
この世で最もスピードのあるモノが、皆さんの一番身近に存在します。
しかも、究極の「他力」です。

そうです、インターネットです。(テレビもそうですね)

パソコンやスマートフォンの画面を通して、日々、行っているネットワーク。
これ、光速です。

光速は、時速10億kmですかね。

旅客機の111倍の速さです。
つまり、皆、画面を通じて、すさまじいスピードの乗り物に乗っていると言えます。
だから、現代が益々加速しているように感じる。

ネットは、時間に隙間を与えません。
手元で、他力がドンドンと入り込んでくる。
そして、自力は益々削られていく。

自分が子供の頃、1日はとても長かった。

今の感覚の5倍~6倍は、日が暮れるまで、長く感じました。

単純に考えて・・・
人がエンジンとインターネットを手放せば・・・
一日は、その瞬間に長くなるのでしょうか??

長くなると、個人的に確信しているのですが。
試してみたいな~。

ガスも電気も水道もない、自力の生活。
スマホもアイパットも存在しない日常。

お盆休み、2泊三日で山形でキャンプをします。
短いですが、そこで、試してみようと思います。

もしかしたら・・・

我々のように都会でサラリーマン的な生活を送る人間と、田舎で百姓をやっている人間では、すでに流れている時間のスピードが全く異なるのかもしれません。

だとしたら・・・


もったいないですよね。
我々。

同じ時間ですもの。
長く感じた方が良いに決まってますもの。(^^;)

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