立ち退き

当社が所有している不動産の中で・・・
築後５０年が経過している店舗付住宅があります。

４連棟の長屋になっており、すでに２部屋が空いています。

さすがにもう建物もボロボロ。
新規で募集を掛けるわけにもいきません。
家賃収支だと、赤字となる状況なので・・・
取り壊して、売却をするのが最良です。

その一室に、一人、おばあちゃんが住んでいます。
１階で居酒屋を構え、２階が住居です。

先日・・・
彼女に、今後の事を相談に行きました。
ようは、立ち退き交渉です。

毎月、家賃は当社で取りに行って、手渡しで貰っていました。
それは、高齢で心配だから。
身寄りも居ない、一人暮らしなのです。

店の入り口で、名前を呼びます。
２階から、「は～い」という声。
「だれだい？」
「こんな時分に。」
小言を言いながら、昔の家特有の急な階段をゆっくりと降りて来る様子が、足音で分ります。

モンチッチかピグモンか。
とっても小さな御婆ちゃん。
ここ数年で、随分と老けました。

足腰が悪いので、ゆっくりしか動けません。
ですが、言葉や思考はとってもはっきりしています。

早速、話しました。
①隣が出ていくこと。
②もう、古くて手直しが効かない事。
③新しいたなごを募集しない事。
④建物を、取り壊しをしたい事。

すると、おばあちゃん、おもむろに話し始めました。

おたくの会社が、この建物を買い取ったのは１０年前だったか？

あたしがここに来たのはさ、５０年以上前だよ。
その時、あたしゃまだ３０歳後半だった。
一人で出てきて、だれも頼らず・・・
身一つでここに来て、店を出したんだ。

手伝いなんか、一度も居ないよ。
あたし一人で店を切り盛りして・・・
今年で、９０歳だよ。

今のいままで、たった一人でやってきたんだ。
この場所で、５０年、一人で頑張ってきたんだよ。

色々なことがあった。
でも、今思い返せば楽しいよ。

なじみの客が出来て、皆、あたしの料理を食べにくる。
それだけで、毎日うれしくてね。

あたしの「モツ煮込み」はこの界隈じゃ有名よ。
みんな銭湯の帰りに寄って来たもんだよ。
こぶ締め造らせたら、天下一品ね。
今じゃだれも作れないぐらいの、コブ締めだわさ。

でも、見てごらん。
夜になったら店の前の道路は、人っ子一人通らない。
だから、客なんて入らない。
寂しいもんだよ。

毎日、開けてるんだ。
店は、毎日必ず開けてる。
今日も、いつでも出せるように、サトイモ剥いておこうと思ってさ。

でも、入らないよ。
時代が変わったね。

だから、日持ちするこぶ締めとか、いつでも煮〆るように・・・
そう、してはあるんだ。

こう客がこないんじゃ、あたしもそろそろ潮時かとは思う。
老人ホームのようなところに、行くしかないのかね。

でも、まだ、ふんぎりが付かないよ。

そう話すと・・・
おばあちゃん・・・
大粒の目ヤニを、涙で溶かしながら・・・
おもむろに、歌いはじめました。

包丁一本、さらしに巻いて～
旅に出るのも、板場の修業～

その歌を聞きながら、私、なにも言えなくなってしまいました。

その歌声は、昭和初期のラジオから聞こえてくるような・・・
なんて言ったらいいか・・・
途中で歌い終わって「人前で歌うなんて、何十年ぶりかしら。」
といいながら、顔をくしゃくしゃにする彼女。

９０年の人生を私の目の前で振り返った彼女が・・・
思いがけずに口ずさんでしまった歌です。

今はもう、当時の情景の影もない・・・
このボロ長屋が・・・
彼女の人生そのものなんですね～。

私、もらい泣きをこらえるのに一苦労。

さてと、参ったな～。（＾＾；）